テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

MBT(主力戦車)不要論

2013-11-11 23:45:53 | シロートの戯言
WW2から、現在にかけての対戦者兵器の発達、対戦車攻撃ヘリの台頭などで、古くから言われているのがMBT不要論です。
古くは、磁力吸着地雷を持った歩兵による特攻で、機銃を持たなかったWW2独軍のエレファントが次々と屠られ、慌てて機銃を装備したころから始まり、バズーカやパンツァーファウスト、RPG-7やスーツケースサガーなど、歩兵科の対戦者兵器が充分な威力を持ち、さらにイリューシンIl2、Hs129など低高度低速の対地攻撃機から、対戦車ヘリが登場するにおいて、MBT不要論は喧しく議論されました。対NBC能力(放射能、細菌、ガス)を獲得してからも、中性子爆弾とそれに伴う戦域核のドクトリンが、よりMBTの重要性を削ぐような論調もありました。北海道を中心に、61式、74式、90式、10式とMBTを開発運用してきた日本に於いては、ソ連の崩壊とともに、北海道での上陸阻止戦闘の可能性が薄れ、南端の島嶼群に対する危機が高まってきたことから、予算の効率運用という観点もあって、戦車の減数が報じられています。実際、その減数を補綴するのが、空輸可能(空挺不可)なMCV(機動戦闘車)だと云われています。

平成28年から配備を目指しているMCVは73式装甲車を更新する96式装輪装甲車と同じく

整地行動能力を重視しており、その分、攻撃力防御力不整地行動能力は低下しています。なにより、装輪車に”士魂”の二文字は似合いません。


要は、陸上戦の可能性を低く見ている顕れだと思いますが、上陸後の抵抗戦力が些少な場合、上陸部隊の編成が極めて容易になるという、戦術的な観点が足りないようです。
云うまでもなく、WW1で登場した戦車は泥沼化した塹壕戦を打ち破り、戦車部隊の行くところがすなわち最前線の陣地になる電撃作戦の主役です。日本国内に於いて、MBTを無力化できる対戦車兵器群(おもに航空機)を展開できるのは米軍だけであり、それ以外の軍隊の攻勢に対し、不動の威力抵抗ができる兵器こそがMBTであり、海上、海中防御能力を高めるのが、先決ではあるのですが、侵攻側に、機動性の高い小規模部隊で充分と思わせることは、海での戦いをも不利にします。
実際、沖縄以南の島嶼群に、MBTを配備することは、今の情勢から見て不可能事だとおもいますが、このようなむやみやたらな反戦、反軍運動を維持させている背後の思惑に阿る必要はなく、傑作と云われる10式戦車の装備数を減らすのは、感心できません。



島嶼での戦いも、その先に市民の住まう地域の占領を目指しているのは間違いない(再奪還を防ぐため)ので、本来なら住民の居る島々に、充分な陸戦能力を軽んじるのは机上の空論のように思います。