テキスト主体

懐中電灯と双眼鏡と写真機を
テキスト主体で語ろうとする
(当然、その他についても、語ったりする)

キミとなでっこ!

2014-01-17 23:58:42 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
いつのまにか、西尾維新氏の代表作のようになっている物語シリーズですが、アニメシリーズの今月末発売のキャラ本、第4弾千石撫子のなかに、恋物語最終話でチラ見せし、エンドロールでも興味を煽った、物語中で千石撫子が拘泥し、憑神落としの動機にもなった自作漫画が載るそうです。


もちろん、キャラ本など購入するつもりはないのですが、あざとい関心の乞い方に、漫画には興味があります。この物語シリーズでは、サブリミナルのようなシーンや、

ここでも紹介しているような、日刊紙などへのショートストーリー掲載、などなど、おそらくは作者の西尾維新氏も積極的にかかわっていると覚しきメディア拡販の手法に、彼の才能の一面を感じます。コピーライターっぽいというか、言葉の音感(語感よりもうちょっと音っぽい感じ)にたいするコダワリが垣間見えるのです。
戯れ言使いシリーズや刀語シリーズなどでもそのような傾向は有ったのですが、現時点での彼の代表作たる本シリーズではそれが顕著になってきているようです。
肝心の、小説のほうも、終物語 中編が同じく今月末に上梓されるようですので、アニメの花物語がどのような形で提供されるか含めて、期待したいトコロなのです。

舞い上がったサル デズモンド・モリス

2013-11-25 23:32:43 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
色々と物議を醸した裸のサル(1968)、の著者による、30年後の続編とも云うべき著作で、この本もそれなりに批判、賞賛、話題を呼びました。1996年に新刊で買って、いまだに内容についてよく憶えている、私にとってもそれなりにインパクトのあった本です。例えば、ヒトのオスによる、ヒトのメスのバストへの性向を、直立歩行し、臀部が強調されなくなった事による、臀部への性向の代償行動だと大胆に指摘するあたり、読み手によっては、眉唾に感じるかもしれませんし、アクア説(水棲類人猿説)を簡単な検証で肯定しているあたり、異端とされてもおかしくないのかもしれません。しかし、著者の独特の観察眼と、並でない文章力により、ごく違和感なく読ませ、そのうえ面白く感じさせてくれるのは、素直に認めざるを得ないでしょう。生物学、という硬派な観点では、批判もあるでしょうが、例え、恣意的、こじつけのような論点の進め方であっても、この著者ほど軽やかで辛辣にヒトを論じている人も、他にはあまりないように思います。喩えるなら、軽妙で風刺的な戯曲に登場する三枚目の役柄を、ヒトという種に背負わせて、小粋なオペレッタ、狂言のようにしてしまう、そんな印象です。
もう、17年前の刊行で、既に絶版ですが、図書館、古本屋ではよく見掛けます。
いまさら取り上げたのは、拙ブログのなかで、この本の内容に類似した事柄が、しばしば出てくることに気付いたからです。

ひたぎサラマンダー <物語>シリーズ セカンドシーズン 恋物語

2013-11-23 23:50:19 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等

画像差し替えました


例によって、新聞広告の書き下ろし短々編、ひたぎサラマンダーについて。
ブラッドベリの華氏451度について感想を述べ合う、阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎ嬢なのですが、まず、イラストについて。目が丸すぎて、ひたぎ嬢が幼い雰囲気になっているのは、双脚を開き、オーバーニーと舞い上がったスカートの狭間の絶対領域を淫靡に感じさせないためかとも思うのですが、私、足を開いて踏ん張っている女性、特にスポーツや武道など感情が昂ぶっていれば尚良し、両太ももの間の空間を華厳の空間とひそかに呼んでいる輩でありますので、今回の広告には花丸進呈です。

作者のブラッドベリ自身は、華氏451度のなかで訴えているのは、焚書をアイロニーにしたテレビによる文化の破壊だと述べておられるそうですが、有川浩の図書館戦争など、焚書を題材にした作品にはそのテーマの厳しさを和らげるようなサブプロットが設けられている場合が良くあるようにも思います。二人の会話のなかでも、華氏451度のなかでの、Fireman(消防ではなく燃やす方)モンターグと文学少女クラリスとの逸話をボーイミーツガール的に捉えていたりするのですが、ひたぎ嬢のツンツンっぷり、そして最後に盛大にデレるのは、ひたぎ嬢推しの私にとって、イラストとともに、朝からニンマリしてしまうコーヒーブレイクとなりました。

オギーのぼうけん旅行(1979)

2013-11-09 22:01:33 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
あかね書房のあかね世界の児童文学、アン・ローレンス著、ハンス・ヘルウェッグ画、清水真砂子訳の児童向けの本です。
ハリネズミは、危険が迫ると、丸くなる、という強い本能があるそうです。実際、動きの鈍いこの小さな動物は、丸いとげの塊になることによって、外敵から身を守っています。
でも、やさしいイギリス人親子の一家が引っ越した先へ向けてぼうけん旅行をするオギーは、かあさんが何度も言っていた、本能に逆らう行動、「道路でくるまが迫ってきたら、けっしてまるまってはだめ、はしるの。」という教えに助けられ、無事にやさしい一家の元にたどり着き、寒くなる季節にたまらずに冬眠へと誘われ、満たされて眠ってしまいます。春になって、寝ぼけたオギーを起こしに来たやんちゃな仔猫のティギーとの出会いが続編となります。

何故か、今でも理由は不明なのですが、衝動的に買った本で、続編の「オギーのゆかいな友だち」も購入し、幾度となく読んだばかりか、主人公であるハリネズミのオギーのキャラクターはいつも私の中のどこかにあって、S.A.S(英軍の特殊部隊)の教練の中に、郊外でのサバイバル食としてハリネズミの丸焼きというのがあるのを知ったとき、「オギーならぷりぷり憤慨するだろうな・・」などと思ってしまったこともあるのです。
訳者の清水真砂子さんはル・グインのゲド戦記シリーズの訳も手がけておられ、この本を買う前から存じ上げていたのですが、2007年の学校図書館図書整備協会の会報にエッセイを載せておられ、そのなかで、オギーに触れています。
曰く、旅行先の北欧のとある街でふと前を横切るオギーに出会った、と。もちろん物語の中、ロンドン郊外で暮らすオギーではないのですが、生まれて初めて見たハリネズミの動くさまを見たとき、28年の年月をあっさりと越えて、氏のなかの一部となっていたオギーが呼び覚まされた、との逸話でした。二つのお話の翻訳中に、オギーに魅せられ、その存在がずっと残っていたことに、あらためて文学の持つ力に感嘆した様子を書いておられます。
作者のローレンスは1942年英国生まれ、自然保護関係の職を経て教職を務め、結婚後作家活動、1987年に病死されています。オギーのシリーズは未訳のOggy and the holiday、というのがありますが、おそらくは訳者の清水氏も訳したかったのでは無いかと思われるこの作品については、「休暇」を実体のあるものだと勘違いしているオギーが、「休暇」を見に行くお話ではないかと想像しています。原著は手に入るようですが、まずは、どこかに眠っている2冊のオギー、何かの折りに探してみようと思っているのです。

今秋のアニメ

2013-11-03 22:49:15 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
ハナシをきくと、期待作揃いだそうです。

革命機ヴァルヴレイヴ、境界の彼方、メガネブ!、のんのんびより、ぎんぎつね、東京レイヴンズ、蒼き鋼のアルペジオ、WHITE ALBUM2、何度か紹介してる、<物語>シリーズ セカンドシーズン、などなど。
幾つか、レコーダーに溜まってるのを観てみました。
まあ、一見で、これはダメ、というのも無かったですが、相変わらず、円盤(BD、DVD)を売らんかな、という姿勢が満載です。
著作権云々のテロップが流れないといけないのは、もはや放送では当たり前のことになってるようで、実際にテロップの内容を知らしめるより、余計なモノを入れることでこだわる人たちに円盤を買ってもらいたいんだ~としてるようにしか見えません。

まあ、内容については、のんのんびよりのほんわか感が気楽、境界の彼方ヒロインが、アラレちゃんの進化形に見える、そんな感想なのであります。


しのぶサイエンス <物語>シリーズ セカンドシーズン 鬼物語

2013-10-26 11:22:00 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等


今回は、上の新聞広告の対象である、<物語>シリーズ セカンドシーズン 鬼物語、についてではなく、広告に掲載されている、書き下ろし短編、しのぶサイエンス、について。

サイエンスといっても、話題はアシモフの「われはロボット」(文中では東京創元社版の「わたしはロボット」になってますが、ここでは早川書房版の小尾芙佐氏の名訳に敬意を表して)、などのSF小説から始まっており、忍(しのぶ)とサイエンス?火と水よりも噛み合わないタイトルの印象とは、やや違い、しのぶサイエンスフィクション、という感じです。(まあそれでも、ちぐはぐ感ありありですが)
人形娘で憑喪神(つくもがみ)の斧乃木余接(おののき よつぎ)との会話で進む話ですが、余接の読んだ唯一のSFが「ディアスポラ」であるというのも、捻りが効いてます(恐らくはグレッグ・イーガンのディアスポラでしょうが、同一タイトルの勝谷誠彦の”小説”のほうがGoogleの検索でも先に出ます)。
この前、漫画雑誌に載った「おうぎフォーミュラ」が推理小説に深く傾倒した内容だったのに対し、ラノベ界の第一人者たる西尾維新氏が児戯っぽくSFにもベクトルを振った、とも思えます。
忍のことを「最底辺の都落ち」と揶揄した余接ですが、普段の余接よりもずっとキャラの立った様子(話題を途中で放棄せず結末まで持って行こうとするところなど)は、この憑喪神語りの短編の登場を予感させます。
お話は、支配者たる人類が滅し、残された文明の利器のみが跳梁跋扈することを空想する忍の一人語りで終わるのですが、決めゼリフ、
「―― ぱないの。」(半端ないのぅ)
は、予想通りで、快いのです。

秋の夜長に読書

2013-10-22 20:35:11 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
まだ、世界史や中国史を習う前、吉川英治の三国志を読みました。
読まれた方やご存じの方も多いかと思われますが、冒頭は劉備側からの史観で、原典ほどではないとはいえ、曹操は敵役であるのは変わりません。しばらく後に読んだ「人物 中国の歴史」、という本などでは、思いの外三国志の人物は登場せず、しかも、割とあっさりめで、どことなく違和感があったものでした。その後のNHKの人形劇 三国志は、主題歌が細野晴臣作詞作曲でカネボウのキャンギャルだった小池玉緒さんが歌っていたこともあり、たまに見ていました。小池玉緒さんのファンだったわけではなく、知り合いが彼女にそっくりだったので興味があったのでした。その人形劇の中での曹操はさらに悪役っぽい造形で、ヨミに似た雰囲気を感じたものです(造形は川本喜八郎氏による)。


先月、青空文庫で、吉川英治の三国志が上梓され、Webで自由に読むことが出来るようになり、早速スマホに入れ、時間を作って読み返してみようと思っています。
あの頃、歴史観含め、いまとは中国に対する見方、考え方は、現在とは大きく異なっていました。近代中国や中共と三国志時代では民族や価値観等大きく異なることなどを知ったいま、読み返してみるのもオモシロイと思ったのです。

千石撫子―物語シリーズ セカンドシーズン 囮物語 なでこメドゥーサ

2013-09-23 12:56:43 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
時系列的には既刊最後になる花物語が後回しにされ、かといって、なぜか、順番の鬼物語でなく標題の囮物語が始まりました。

先週末の新聞の全面広告(書き下ろし短編"なでこミラー"つき)で知ったワケですが(前回は早くも2回目の総集編だったので見てない)、かの千石撫子(せんごく なでこ)さん、
撫子>「そ、そうだね……だったら撫子、頑張ってエロくなる!」
クチナワ>「すげえ台詞だ……」
撫子>「エッチな本を読みまくるよ!」

というようなセリフを吐く、天然ロリ+エロキャラがアニメ版では昂進、動悸、眩暈っぽく発展しております。CV(声優)さんも、スタッフの意図を分かってやっておられるようで、流石は子役時代から明石家さんま師匠と掛け合ってきた花澤香菜さんだけのことはあります。



個人的には、撫子さんは、好きじゃないキャラで、作品のなかでも、無垢っぽく見える故の業を背負った、どちらかというとあまり救いのない、嫌われ(もしくはザンネン)度数やや高めで描かれているように思います。
この時期の「物語」は原作では、各々のヒロインのモノローグ集めいた話が綴られているのですが、アニメのセカンドシーズンでは、性格に深みの少ない、口数も少ない、共感度も低い、めんどくさがりの千石撫子嬢をどのように表現しているのか、そちらの方に、興味が湧いています。
ヒロイン毎に替わるオープニングテーマソング、今回はCV花澤香菜さんで、しかも過去の使い回しでない"もうそうえくすぷれす"という歌になっていて、厚みのない撫子に、危うさとか、不安定さとかを賦与したいように感じました。

これもごく個人的にですが、撫子ソングとしては、化物語の"恋愛サーキュレーション"の方が好きで、さらに蛇足を付け加えると、化物語のエンディング"君の知らない物語"にsupercellのゲストボーカルとして参加したやなぎなぎさんの新譜"エウアル"に収録されたやなぎなぎ版恋愛サーキュレーションの方がずっとイイ感じだと思ってます。

まぁ、ネガティブなことを色々と書き連ねましたが、エロリィ(エロ∩ロリ)な千石撫子さんに、乞うご期待!


物語シリーズ 終物語 第一話 おうぎフォーミュラ(別冊少年マガジン10月号掲載)

2013-09-07 20:53:33 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
物語シリーズは、拙ブログでも何度か取り上げ、現在TVアニメでも、セカンドシーズンが放送中とのことで、結構新しい情報、コンテンツにも接しているのですが、標題のシリーズ最終ターンの第一話を読みましたので、臆面もなく感想などを書きます。ネタバレを多分に含み、過去に西尾維新≒新井素子などいう酩言を吐いたワタクシのことですから、お気に障りましたら、なにとぞご容赦を。

今回の話はタイトルにあるように、忍野扇(おしの・おうぎ♀)が神原駿河(かんばる・するが)に紹介されて、阿良々木暦(あららぎ・こよみ)に会い、面妖な一室に閉じ込められるところから始まります。その教室(?)は、シリーズを通しての主人公阿良々木暦が、高校に入学して、吸血鬼譚に堕ち嵌っていくまえまでは、”友達をつくると人間強度が下がる”という信条とともに、ぼっち学生生活を送っていた、そのきっかけとなった事件の日時のままの教室でした。扇に促されるまま、その事件を回想し、そこで起こった出来事の悲惨な結果と、暦自身も無意識下では認識していた、さらにえげつない真相が、ぼっちの暦を形作った、という内容です。
第三者に事件を回想して語りながら、真実を暴き出すというプロットで、忍野扇はいわばアームチェアディティクティブの役割を果たし、阿良々木暦に自分自身の本当の心の動きを認識させるのです。
途中、ジャンル違いのコミック雑誌という掲載場所なのもあってなのか、作者は”読者への挑戦”を突きつけます。「戯れ言使いシリーズ」などでも、作者のミステリへの傾倒はよく知られているのですが、この物語シリーズで、明快な”フーダニット”を表に出したのは、珍しいことです。答えは、文章中に誤解の余地無く明示されていますので、特に作者自身による作中解説を読めば、解りやすいようになっています。ただ、事件を引き起こした動機、心理、直接の証拠から、正解が導き出されるのでなく、傍証めいた帳尻あわせから、答えが詳らかになるのは、この物語シリーズの制限範囲でもあり、また扇と暦の関係を明確にするうえでの作法でもあるのでしょうが、ちょっと消化不良気味です。
今後、この「おうぎフォーミュラ」で再浮上した主人公暦と深い業、因縁のある老倉育(おいくら・そだち)を主軸にしたエピソードが続くようです。前作の暦物語までで、主人公と既登場人物の掛け合いは大量に語り尽くされていますので、終焉に向かって、過去の因縁と、いまの主人公が紡ぎ合っていくお話になるのかな、と思っています。
また、今回のおうぎフォーミュラは登場人物が多いだけでなく、作風でもありますが、皆、良く喋ります。三十名ほどが行間なく勝手にしゃべくりまくるシーンは西尾維新の本骨頂なのかもしれませんが、ちょっと現実離れしてますし、読みづらいです。

虫を放して虫を滅ぼす

2013-08-21 23:52:18 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等


まずは、記事タイトルと無関係っぽい写真より。携帯型の蚊取り器具です。
蚊に刺されやすく、腫れやすいほうなので、このような蚊対策はいろいろとやってまして、特に星空観望には必携の道具でもあります。日本では、マラリアや日本脳炎など、吸血昆虫による疫病被害はさほど深刻でもないので、主に私のように個々の不快感を低減するような器具や制度が蚊対策の主流かと思います。ただ、どこの家庭も、例えコンクリートジャングルと云われる都会でも、網戸の無いサッシは珍しく、夏は蚊の被害に備えています。

記事タイトルは、中公新書の書名で、伊藤嘉昭という日本における社会生物学の嚆矢の一人が、沖縄の久米島において、果樹に害を及ぼすウリミバエの根絶を企図しそれに成功した、不妊虫放飼法についてのオハナシです。
要は、殺虫剤や、生息環境の改変、天敵の強化などに頼るわけでなく、その生物そのものを不妊化したものを、大量に養殖、放飼して、自然環境に於いてペアリングさせ、次世代が産まれないように統計的に数の論理で圧倒していく方法です。単純化して説明すると、ある虫の一繁殖個体から、100頭の子が産まれるとしてその半数の50がオスであるとします。その50のオスの個体に対して、それに倍する100頭の不妊(生殖能力の欠損した)のオスを放すと、その環境で、残り50頭のメスがペアリングして繁殖するオスの内2/3は不妊虫であり、次世代は、1/3しか期待できないわけです。それを繰り返す事によって、最終的にはある世代でその系統を途絶えさせてしまうのが不妊虫放飼法という害虫駆除法です。
この方法には条件があって、
・不妊虫を大量に生産養殖でき、その不妊虫による一次、二次被害がないこと
・根絶の対象の生態系にあらたな同種個体が大量に移入してくる恐れが少ないこと
・放飼による増加、駆除後の減少が生態系に悪影響を及ぼさないこと
等が挙げられます。
ウリミバエの場合、メスによって産み付けられた卵から孵った幼虫が果実、野菜に被害を与えるので、人工孵化、養殖させた成虫からオスを選び(あるいはオスだけを生産し)、放射線を照射して、無精子オスを量産、放飼することで、成果を上げました。その後沖縄本島などにも拡大し、ウリミバエはほぼ根絶されたようです。もともと、日本にはいなかった外来昆虫ですから、生態系への影響も少なく、さらには、同じ久米島で、サツマイモなどに害を及ぼす、アリモドキゾウムシの不妊虫放飼法などによる根絶宣言が今年の4月に成されています。

最初にこの本を読んでから、もう30年以上が経ちますが、是非とも、日本列島という閉鎖環境で大規模に蚊の根絶を目指してもらいたい、と常々考えており、それまでは、上のような蚊対策グッズが手放せません。屋外で長時間定点観測をする時などは、ヤブ蚊よけスプレーを散布しておく場合もありますし、いま期待してるのは、この新しい蚊よけパッチです。
ただやはり、元から絶つのが最良でしょうから、いつまでも蚊対策グッズの会社に儲けさせてばかりでない、駆除根絶を目指して欲しいものです。

アニメ 物語シリーズセカンドシーズン

2013-08-16 23:10:13 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
原作者の西尾維新氏と、アニメ三部作の話題はここでもしましたが、今回のセカンドシーズンは、家人も、興味を持って毎週予約しているようです(まだ観てない)。
まあ、録画してるのなら、原作や、三部作に接してない様子なので、今回の6話目の総集編を観てからにしたら、と思ってたのでありますが、どうも、馴染めないようで、ほとんど観ずに録画容量節約のために消してしまったようです。

確かに、このセカンドシーズンから鑑賞しはじめても、訳が分からないでしょうし、前回までの猫物語(白)つばさタイガーの後に続いて、時系列的にはそれより前のイベントの傾物語まよいキョンシーとなるので、さらにわかりにくくなる(?)かもしれません。この後に、鬼物語しのぶタイムと続けば、つばさタイガーのラストの阿良々木暦の登場シーンと関連するので、まだ分かりやすいと思うのですが、どうもTVシリーズは原作の発表順になっているような感じです。すると、花物語するがデビルとなって、約半年後、メインキャラクターたちが卒業後のオハナシになってしまいます。
まぁ恐らくは原作をしらない視聴者に見てもらおうという気概があまりないのかもしれないなぁと感じる次第です。結局、円盤の売れ行き重視は、もうあまりにも大きな潮流になって避けがたいことなのかもしれません。当然、このアニメや、原作にご執心な方々をくすぐるようなメディアミックスはあって、読売新聞や、来月発売の月間少年マガジンなどにショートショートや次作の一部が掲載されるようです。

追記
読売新聞のページです。
2クールで恋物語ひたぎエンドまではやるようですから、この紙面同様、戦場ヶ原ひたぎ嬢の大判イラストを期待してます。原作の挿絵は小説の挿絵としては良いのですが、ひたぎ嬢についてはアニメ版のほうが、落ち着いて見ていられます。





CAN'T TAKE MY EYES OFF YOU

2013-07-14 22:48:36 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
”君の瞳に恋してる”と軽く意訳されるこの曲は、オリジナルはFourSeasonsによる甘い歌で、ホーンの音が印象的なラブソングです。
実に沢山のカバー曲があることで有名で、オリジナルよりずっとヒットした、BoysTownGangのカバーは私が思うもっとも成功したリバイバルソングです。
日本の歌手でも桜田淳子から始まって少女隊、椎名林檎、MISIAからキティちゃんまで、洋楽では、アンディ・ウィリアムスやシナトラのような大御所、フンパーディンク、シーナ・イーストンやローリーン・ヒル、などなど多数の歌手や、変わったところでは、女優のミシェル・ファイファーが出演した映画の中で歌っていたようです(その映画は小屋まで観に行ってるのですが、記憶に残っていません)。
BoysTownGangの曲は、別の意味でも思いで深い曲で、若かりし頃、一番よく聴いていたお気に入りを集めたカセットテープの先頭がこの曲で、カーステやウォークマン、何かにつけて、聴いていたテープなので、いきおいこのCAN'T TAKE MY EYES OFF YOUが耳馴染みというか、行動を始める際のスタートアップソングめいた感じでした。

BOY TOWN GANG - Can't Take My Eyes Off You ''MELODY DISCO 1982.divx


Frankie Valli(FourSeasons) - Can't take my eyes off you (subtitulada)

クロスロード

2013-07-03 23:46:38 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
悪魔と取り引きし、人間のふりをした”ブルース”に成った、ロバート・ジョンソンの契約の場所、”クロスロード”伝説は、僅か29曲しか録音を残さなかったにもかかわらず、そのまさしく悪魔めいたブルースと言う概念そのものの音楽として語られ、歌われ、弾かれ続けています。
20世紀初頭(1911年とも1912年とも謂われる)に不倫の子として生まれた彼は、27歳で毒殺とも病死とも諸説ある無様な死に方だったらしいのですが、常にギターを抱え、いろんな街で様々な女と関わる中で産み出された演奏と歌は不思議なくらいに人の心を捕らえてきました。私が最初に彼の伝説に触れたのは、ライ・クーダーが音楽を担当した、クロスロードという映画でした。伝説の30曲目を求める奇妙な3人の旅の果てに主人公(ベストキッドの子役のコです)はジュリアード音楽院で学んでいたクラシックギターから、ブルースへと道を変えて進んでいくというお話でした。

CDで発売されると同時に彼の歌を手に入れたのは、映画の所為もありますが、まるで魔力のようなクロスロード伝説に浸りたかったからでもあるでしょう。英語、日本語の総計250ページ近いブックレット(ライナーノーツ)が付いているとはいえ、当時4100円もしました(いまではライナーノーツこそ無いですが輸入盤なら2枚組1000円ほどで買えます)。
当然モノラルでノイズだらけ、ダイナミックレンジも極端に狭い粗い音楽ですが、数々のカバーソングで耳馴染みのある原曲に触れるのは新鮮で、幾たび聴いても飽きる事のない、不思議な音楽でした。感動とはほど遠く、芸術では決してなく、温感療法のような熱い心地よさを感じるようになってからは、クロスロード伝説なんて忘れてしまっているのでした。

河馬とゴリラ――森の仲間ではないか。

2013-06-25 23:37:23 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
伝奇アクション作家の菊地秀行氏の昔の作品、結構エログロ描写が少ないので、ジュブナイルっぽい位置付けのトレジャーハンターシリーズの中の台詞です。


世界屈指の 宝 探 し トレジャーハンターの主人公は、途方もない財力とコネと最新の武器兵器、超科学のアイテムを使う高校生なのですが、その同級生で、しばしば登場する外谷順子という巨大な女生徒に懸想する古賀雄一という、ボルネオで怪しい原住生物に十年間育てられた 進 化 の 奇 跡ミッシングリンクを指して、主人公の一人称語りのなかで語られる言葉です。

最初に読んだときも笑ったのですが、久しぶりに読み返していて、このくだりで、肩を震わせて笑うほどはまってしまいました。眼前にカバのシルエットの女生徒と、ゴリラ顔でゴリラ歩行の男子生徒が手を繋いで、森の川べりにいる姿がうかび、数十秒間、読み進むことが出来ませんでした。
もともと、このシリーズでは、ガンマニアの作者が、さまざまな銃器類を登場させるトコロが好みで、シグやグロック、CZなどをほぼ最初にエンターテインメントに登場させたのではないでしょうか。
読み直していたのは、銀沙灘について、伝奇小説で読んだことがあったなぁと思い立って探していたからなのですが、20年以上ぶりに標題のフレーズで笑ったのが、思わぬ収穫でした。

WOWOWオンデマンド

2013-06-20 23:43:24 | 本、小説、漫画、動画、映画、音楽等
最近、WOWOWオンデマンドを観る事が多いのです。
どんなものかというと、文字通り、一定のラインナップの番組を、PC、タブレット、スマホなどで、オンデマンドで観られる機能です。
録画はBDレコーダーのオンライン予約で、外出先からも自在に可能なのですが、レコーダーで録画したものは、家でしか観られないので、外出先で時間が余ったときなど、短い番組を観たり、映画を細切れに観たりしています。
BDレコーダーの有料オンラインサービスを使えば、同様のことが全ての録画番組についても出来るのですが、WOWOWのオンデマンドサービスは、一つの視聴契約について、3台まで視聴機器が登録可能で、かつ、視聴機器以外の自分の家の機器とか、回線とかへの負担がないので、そちらを利用しているわけです。
主な新規放送映画やドラマ、アニメ、スポーツなど、ある程度のラインナップがあり、今のところ回線の状態も良好です。もともと、レンタルビデオ、が面倒くさくて加入したWOWOWですが、長年受信料以上に元を取ってるなぁと感じたことはありませんでしたが、このサービスだけは、値打ちがあるなぁと思う次第です。