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遊びの哲学

2006-09-02 07:41:45 | Weblog
 遊んでばかりいると言うよりも、趣味に凝っていると言うと、聞こえはいいが、実際は、遊びと趣味も同じ様なものだと思う。

 人間は、遊ぶ為に生きているのか、仕事をする為に生きているのか、そんな難しい話は、私には、分からない。
 世の中には、仕事人がいて、自分は仕事をする為に生きていると言う人がいるが、その人に少しでも遊び心があるならば、又は、仕事をある所で半ば遊びみたいにしてしまえば、今以上に、能率良く仕事が出来るだろう。

 本当の遊びには、厳しい束縛があってはいけない。いつ辞めてもいい状態にあり、それでいて、したくてしたくて仕方がないと言った、楽しいものでなければならない。

 明日、どうしても、付き合い上、ゴルフ(マ−ジャン・飲み)をしないといけないとなると、もう、遊びとは言えない。遊びには、苦しさがあってはいけない。常に、ゆとりがないといけない。変更がいつでも出来るのが(更には、先にも述べた様に、永久に止めることさえも簡単に出来るのが)本当の遊びと言えよう。


 遊ぶ為には、まず、金力がいる。しかし、考え方によっては、必ずしも、大金の必要はない。家族で自転車に乗って、弁当を持って、女島(めじま)の川縁に添って行くのも、立派な遊びだし、大入島を自転車で一周するのも、立派な遊びだと思う。城山に登るのも、汲心亭(茶室、きゅうしんてい)に行って、一人300円のお金を出して、お茶を飲むのも、立派な遊びだと思う。
 遠くに行かないから、お金を掛けてないからと言って、いい遊びが出来ないことは絶対にない。
 父親だけが、ゴルフやマ−ジャン狂いをしても、奥さんと子どもにとっては、ちっとも面白くない。

 
 遊ぶ為には、時間力がないといけない。忙し過ぎて遊ぶ暇がないと言う人がいるが、そんな余裕のないことでは、人間関係もギスギスして、本当のいい仕事は、出来てないのかも知れない。

 遊べる時間が、沢山あったらどんなにいいだろかと思う人がいるかも知れない。本当にそうだろうか?。

 あるスナックに行った時(かなり昔の話だが)、些細な事で仕事を辞めて、1年近くパチンコばかりしている人と知り合いになった。40歳前後の男性で、働き盛りであるのに、奥さんも子どもさんもいるのに、ちゃんとした仕事に就いていない。奥さんは、真剣に働いている。本人は、パチンコばかり、している。その人が、私に、次の様に言ってくれた。

 ・・・初めの3カ月だけは、良かった。ああ、これで、しばらくは、解放される。今からは、あのいやな奴の顔を見なくていいし、誰にも気を使わなくていいし、好きなパチンコも、いつでも出来る。万歳!。
 そう思って、毎日、パチンコに行った。初めの1カ月は、本当に楽しかった。3カ月を過ぎても、思った様に職がなく、遊んでばかりいた。
 あんなにパチンコが好きだったのに、いつでも出来るとなると、行く気が全然しなくなる。むしろ、朝になると、嗚呼、パチンコに今日も行かないといけないのかって感じになって、だんだんと苦痛になってきた。
 家にいても、何もすることがなくて、しかたなく、パチンコに行っていた。
 それから、だんだんむなしくなり、このままでは、自分は馬鹿になるのではないだろかと、思う様になってきた。
 そうこうしている内に、1年も経ち、今は、兎に角、仕事がしたい。何でもいい。
あれば、明日からでも。選ぶ段階ではないもんな(現在は、ちゃんとした仕事に就いておられて、妻子の為に頑張っておられる)。
 
 つまり、遊びと言うのは、楽しいのであるが、その楽しさは、苦しい時を背中合わせにしているからこそ、楽しいのであって、いつも時間を持て余している人にとっては、本当の遊びの楽しさは、享受出来ないのではと、思われる。
 
 トルストイの小説の中にもある。乞食が何でも美味しそうに食べるのを見て、王様は、何故、そんなに美味しく食べれるのかと、不思議がる場面がある。いつも、ごちそうばかり食べている王様にとっては、その理由が分からないのである。

 忙しければ、忙しい程、遊べます。暇な人は、何もしません。これが終わってからしようと思う人も、同じです。する人は、もう、始めています。

 忙し過ぎて(24時間、365日、拘束されて、全く遊べないと言う人は、いないはず)、遊ぶ暇がないと言う人が多いが、そんなに忙しいのなら、他人のせいにしなくて、忙しくない様に、自分なりに工夫すればいいのである。
 
 忙しくても、好きなゴルフの為ならば、朝、3時過ぎに、起きている人もいる。仕事で徹夜すると、ひどく疲れるのに、好きな徹夜マ−ジャンだと(勝った時は、特に)、疲れていない。
 
 毎日、寝る前に、15分間でも、自分の好きなことをしていれば、1年間経ち、2年間経ち、3年間も経てば、継続は力也で、何かが出来ているはず。出来ると、又、面白くなってくる。何もしなければ、いつまで経っても、0である(0にどんなに大きな数字を掛けても、0である)。
 忙しくて、いろいろ手を付けている人は、仕事も遊びも、集中的にせざるを得ない。そうしないと、遊べないものだから、仕事以外も、何もかもが、一生懸命って感じになって来らざるを得なくなる。
 同じ時間を与えられながら、10年経った時には、忙しかった人の方が、遙かに物事を達成していることだって、あり得る。

 賢人の教えに、”どうしてもしてもらいたい事を頼む時は、暇な人でなく、忙しい人に頼め”、との言い方がある。


 遊ぶ為には、体力がいる。旅行や山登りやサイクリングやマリンスポ−ツは、もちろん、囲碁、将棋、マ−ジャン、パチンコに至るまで、ある程度の体力がいる。
 遊んだ後の後遺症が仕事に差し支える様では、いい遊びをしていることにならない。
 本当のいい遊びをしている人間には、遊びでの疲れはないし、仕事にも、それがプラスされているはず。昔から、よく遊べ、よく学べ、と言われ来ている。

 
 そして、最後に、最も大切な事は、それを楽しいと感じ取れる感性力だと思う。

 海外旅行に行っても、スケジュ−ルに追われて、充分にその楽しみが味わえなかったとしたら、反省すべきである。実際、自分の職場の看護師さんが、新婚旅行で、外国から帰って来ての初めの言葉が、「ああ、疲れて、気を使って、英語が出来ないもんだから、怖くて、神経をすり減らして、ゆっくり、楽しむどころでなかった。最後に別府の白菊に泊まったけど、ここが一番良かった」であった。

 目的を持って、自分なりの、納得する楽しみ方をするべきである。外国に行くのなら、歴史や地理を前もって勉強しておいて、現地の言葉でも、ちょっとだけ話せるぐらいの楽しみ方があっていいと思う。外国のいい景色を見ても、その素晴らしさを理解出来る度合いは、人によって、かなりの差があると思う。地学や考古学や天文学を勉強している人であれば、それ相応の楽しみ方があると思う。
 要は、その人個人の感性のキャパスィティ−の問題であり、それを小さい時から常に磨いておくべきだと思う。



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