日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

老人日記(14)

2024-09-17 22:55:19 | Weblog
 「老人日記、その14、観月会」

 令和6年9月17日(火)、夕方5時から、(360度、お墓に囲まれている?!)「I」君の自宅で、恒例の「観月会」をしました。参加者は、今までで一番多い感じで、11名(内、女性3名)でした。
 人数が多いので、アチコチ、いろんな話題が飛び交っていました。歴史に強い人、多いですね。政治家になってもよさそうな人もいたりして・・・?!
 私は、前半の終わりに、「炭坑節」→「月の砂漠」、後半の中頃に、「影を慕いて」→「人生の並木道」→「人生劇場」→「悲しい酒」、計6曲を演奏しました。あまり練習してない割には、まあまあだったかな?!


*https://youtu.be/Y3qzauMF6N4(←炭坑節)
*https://youtu.be/FErsYz7VNIc(←月の砂漠)

 (令和6年9月17日、記載)

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老人日記(13)

2024-09-04 17:30:56 | Weblog
 「老人日記、その13、大分市2泊3日」

 久し振りに佐伯市を出て、大分市に泊まりました。

・9月1日(日)
 10時過ぎの「にちりん」で、いつもの様に行けると思っていたのですが(前日に電車で行けるかどうか調べてはいたのですが)、この日は、「台風10号」のせいで、特急は、全て、佐伯からは、運休となっていました。止む無く、1時間半ほど、佐伯駅で待って、普通車で行きました。
 佐伯駅で待っている間、欣ちゃんの愛した澄子さん(←肺がんで亡くなる)の内容をi-phoneで、真剣に見ていました。24時間テレビでも、真剣に見ていましたが・・・。
 普通車に乗ってからは、綺麗な緑の景色を見つめていました。
 大分駅では、アミュプラザ内の「萬吉」で、又、二人とも、1.000円足らずの「萬吉鶏そば」を美味しく食べました。
 ホテルの17階の部屋からの眺めは、昼間も夜も、良いですね。

・9月2日(月)
 10時から予約していた「S]歯科に行きました。左上3番目が、欠けているのと、左下4番目が、穴が空いているのと、それに、昨年同様、歯石除去で。
 左上犬歯は、虫歯があって欠け、写真を撮ると、1回で終わりますと言われ、左下の小臼歯は、周りと適合しているので、治療の必要はないと言われ、ラッキーでした。後期高齢者、保険を使って、1.310円でした。
 午後、ルンルン気分で、大分県立美術館で、「北斎と広重」の作品を見ました。二人の生き方、対照的でした。「後10年、命があれば、少なくとも5年、命があれば」、との「北斎」の70歳を過ぎても、探求する精神、凄いですね。超良かったです。(←会員になっているので、1年間、それで何度でも入れます!)

・9月3日(火)
 10時から再び、予約していた「S]歯科に行って、歯石除去をしました。私の場合、歯石があまり付いてなく(←1日、3回、電動歯ブラシを使っているから?!)、1年に1回でもいいとも言われました。
 (無理言って)自費で1回で終わることにしてもらっていて(←保険を使うと、2回)、消費税を入れて、5.500円。

・9月4日(水)
 12時過ぎの「にちりん」で帰りました。
 佐伯駅の前にある「番匠亭」で、1.500円の花籠御膳と甘酒を二人とも、取って、3.330円でした。(←満足です!)
 
*写真は、9月2日、「北斎と広重」展で、家内から撮ってもらったもの。

 (令和6年9月4日、記載)



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老人日記(12)

2024-08-18 09:37:30 | Weblog
 「老人日記、その12、女島地区盆踊り大会」

 令和6年8月17日(土)、恒例の女島地区の盆踊りがありました。今年から、女島地区と新女島地区が合同しての「盆踊り大会」でした。
 19:00からあり、夕食を摂って行ったので、ぎりぎり間に合いました。
 何と、仕事で二人来れなくて、もう一人は、病気で来れなくて、リーダーの「T」さんと私の二人だけでの太鼓打ちでした。
 合同したこともあってか、参加者は、それなりに、昨年よりは多くて、賑やかでした。
 曲名は、「佐伯音頭」「炭坑節」「ばんば踊り」「佐伯めぐり数え唄」の順で、それぞれ、2回ずつで、途中で休憩があり、前半と後半は、全く同じ感じで音楽が流れ、二人で、頑張って、打ちました。
 西田病院の「K」先生夫妻が見学に来ていました。いたく、感激していました。以前保健士さんだった人から話し掛けられました。
 疲れましたが、楽しかったです。
 ただ、高齢の細身の男性が、私が打っている時、つかつかと近くに来て「強く打て!」と言われました。そうですね、私、後期高齢者なので、それなりの音しか、出せないのですが・・・。
 後で録画を見て、背中が曲がっている、やはり突っ立って打っている、ゆとりがないなど、私に、沢山の問題点があることを知りました。
 次第に地方の文化が消えつつあります。細くても、続くことを願います。

*https://youtu.be/LEseKXiDyKg(←佐伯音頭)
*https://youtu.be/VEgFCXcqSIM(←炭坑節)
*https://youtu.be/SxCKXIwSxGk(←ばんば踊り)
*https://youtu.be/zDIm17WduDY(←佐伯めぐり数え唄)

 (令和6年8月18日、記載)



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老人日記(11)

2024-08-17 08:59:06 | Weblog
 「老人日記、その11、長島盆踊り」

 令和6年8月16日(水)、19:00過ぎから、長島町の「やまばと公園」で、恒例の「長島地区供養盆踊り大会」が、ありました。
 昨年のよりも踊り手が多くて、意外でした。
 踊りの曲は、「佐伯音頭」「ばんば踊り」と、二曲だけに変更になっていました。
 打ち手は、地域の小学1年生から6年生まで、男子5人、女子4人で、いつも世話をしている「K」さんが、1週間掛けて、教えていました。それで、縁は、上手に打てない子がまだ多かったのですが、リズムは、しっかりと合っている子が多くて、それに、スポーツしている男の子は、太鼓の音が大きくて、良かったです。
 前半と後半の間、休憩の時間があって、その時に、「佐伯めぐり数え唄」と「佐伯小唄」の曲が流れ、それに合わせて踊っている人がいたので、その時だけ、私が打ちました。結構長く独りで、打ちました。打っていると、じっと見ている視線を感じました。楽しかったです。
 後半、踊る輪が、二重から三重にもなった所もあり、昔は、もっと多かったのですが、やはり、こんな感じで賑わうと、活気付きますね。
 ありがとうございました。
 関係者の方々、お疲れさまでした。

*https://youtu.be/jQP-RVXzuFQ(←佐伯音頭)
*https://youtu.be/4IyGBr6OQMo(←ばんば踊り)
*録画は、家内がとの時に撮ったものです。
 
 (令和6年8月17日、記載)



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老人日記(10)

2024-08-16 12:00:02 | Weblog
 「老人日記、その10、来島盆踊り」

 令和6年8月15日(木)、長島地区の隣の来島(くるしま)地区で、「盆踊り」がありました。18時過ぎに行くと、お坊さんが来ていて、公民館で供養をしていました。
 いつも一緒に打っていた「E」さん、体調が良くなくて、最後までお願いしますと言われました。殆ど一人で打ちました。「佐伯音頭」「佐伯小唄」「佐伯めぐり数え歌」「ばんば踊り」「炭坑節」「やっちき」などの曲を、悔いなく、楽しく打てました。
 好きだから、きつくても、出来ると思いました。後で、家内が撮ったビデオを見ると、終始、突っ立った格好で、打っていましたが、もう、自分も年だから、しょうがないかなとも思いました。
 疲れましたが、いい汗かかせて頂きました。
 関係者の皆さん、ご苦労様でした。
 ありがとうございました。
 
 
*https://www.youtube.com/watch?v=1XkyTtL0MS8(←佐伯音頭)
*https://www.youtube.com/watch?v=su6sSTmotaY(←佐伯めぐり数え唄)
*https://www.youtube.com/watch?v=OTL4kLreTyU(←ばんば踊り)
*https://www.youtube.com/watch?v=mIZweWYvpsM(←佐伯小唄)


 (令和6年8月16日、記載)

*16日の早朝、長嶋地区の区長さんが来て、「今日、太鼓を、お願いします・・・」と言われました。まあ、後片付けは、しないで、打つだけだから、気の毒なんですが・・。

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老人日記(9)

2024-08-13 10:11:21 | Weblog
 「老人日記、その9、日本人のルーツ」

 日本人は、ユーラシア大陸から来たと、長いこと信じ込まされていましたが・・・それが、覆されました。
 以前から、インドのタミル地方で話されるタミル語や中国の奥地のチベット地方で話されるチベット語が、日本語と実によく似ていると、言われて来ました。日本人が、そこから来たのでは、何て意見もありましたが・・・それが、逆に、日本人が、そこに渡って、そこで、日本文化を広げたとしたら・・・→私にとっては、藤井聡太7冠が、誰も思い付かない感じの神の一手を指した感じの驚きですが・・・?!
 7.300年前、南九州で、大爆発があって、九州南部は、壊滅状態になりました。灰は、東北地方にまで及びました。それから約1.800年掛けて、世界中に日本人が移動して行ったのです。グリーンランドや南米まで(当時は、氷河期で、た易く移動できていましたから)全世界に・・・それが証拠に、例えば、アメリカやカナダやアフリカでも、縄文土器が発見されていますから。
 世界にアチコチ移動して行った日本人自身と日本の文化が、どこに行っても、いいので、受け入れられて、それが長い間、消えずに、今も残っている・・・→何て、考え過ぎかな?!
 今は、DNA解析で、科学的に証明出来ているのです。
 日本人は、平和主義で、争いを嫌がって、日本列島に来ています。そんな人種の人が集まったのが、日本です。日本には、欧米の様な奴隷制度は、ありませんでした。先に来た縄文時代の人と、後から来た弥生時代の人が、争うことなく、平和に共存していました。そんな平和を愛する日本人自身が、見方によっては、文化遺産って感じになるのかな・・・?!
*https://www.youtube.com/watch?v=pQIweveVo9g(←新説:日本人のルーツ)
*https://www.youtube.com/watch?v=On2_DbhaDRg&t=90s(←ヘブライ語と日本語?!)
*https://www.youtube.com/watch?v=uhgr8yIKOR4(←シュメール文明)
*https://www.youtube.com/watch?v=l9u9oeeoBoU&t=325s(←多国語で、佐伯を書くと)

*再掲です。写真は、2.022年6月1日に撮った青森県の「三内丸山遺跡」です。

 (令和6年8月13日、記載)



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老人日記(8)

2024-08-12 13:27:12 | Weblog
 「老人日記、その8、日本語で多国語)

 多国語学習上、意味は違うのに、日本語とたまたま似ているケース、あります。又、意味まで、似ているのもありますが・・・。
 ヒンディー(語)では(←正確には、ヒンディー自体に、ヒンディー語の意味が含まれています。こんな感じで、ハングルも、ハングル語でなくハングルと言うべきで、イスラム教もイスラムと言うべきなのですが・・・)、年長の男性に対して親しく呼ぶ場合、「バーバー」と言います。「おじいさん」「おじさん」「おやじさん」って感じでしょうか。アラビアンナイトで、アリババが出てきますが、「アリおやじ」って感じで使われている感じですが・・・?!
 ヒンディー(語)で、「ジージー」と言う言い方は、「お姉さん」と親しく呼ぶ場合に、使われます。
 タイ語では、男女の区別なく、「あなた」「あなた達」の意味で、「クン(君)」と言います。私(男性)は、僕でなく「ポム」と言います。
 (スリランカの言葉である)シンハラ語では、私を「ママ」、あなたを「オバ」と言います。
 スペイン語では、め牛のことを「バカvaca」、にんにくのこと「アホajo」と言い、居酒屋のことを「タベルナtaverna」と言い、ギリシャ語でも、居酒屋のことを、「タヴェルナ」と言います。(←スペイン語では、Vは、Bの発音になり、ギリシャ語では、βは、Bででなく、ロシア語と同じく、下唇を上の歯で噛むVの発音になります。)
 アラビア語では、あなた(男性)のことを「アンタ」と言います。
 トルコ語では、いい(良い)は、「イイ」で、とてもは「チョク」と言い、超いいは、「チョク イイ」と言います。父は、「ババ」と言い、娘は「クズ」と言います。種は、「タネ」と言います。
 インドネシア語を覚えるのに、「人はオラン、飯はなし、魚はイカン、菓子は食え」と言います。人は「オランorang」、ごはん(米)は「ナシnasi」、魚は「イカンikan」、菓子は「クエkue」と言います。インドネシアに生息するオランウータンは、oran (h)utan は、森の人の意味です。
 中国語と韓国語、日本語と似ているもの、多いです。特に、韓国語は。

*今から4年前の令和2年8月11日に記載したものの再掲です。

 (令和6年8月12日、記載)



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老人日記(7)

2024-07-14 11:30:18 | Weblog
 「老人日記、その7、時は今!」

 定年前の人に、「いくつまで生きたいですか?」と、尋ねると、「85歳まで」と言う人が多いそうですが・・・そうか、それだと、私の場合、後10年だなあ・・・?!
 家内に同じ質問をすると、「死ぬまで生きるのよ!」との明快な回答が返って来ますが・・・?!
 私自身、昔から、一人になっても、部屋でいろいろ考えたり、出来たりして、退屈しない感じの人間だった気がしますが・・・?!(←大学の時、親しい友達から、そうも言われていましたが・・・)
 興味のあることを書いてみました・・・→
 考えてみると、私の場合は、お金があまり掛からないことが多いですね。タバコとアルコール、ないし、日光にも、よく当たっているし、趣味も多いので、85歳を過ぎても、まだ、生きているかも・・・?!

1、自分なりの運動(ヨガと太極拳と筋トレと指圧、いろいろ、混ぜての体操ですが、ほぼ、毎日、していますが・・・)
2、ウォーキング(マイペースで、家の周りをよく歩いています、雨の日は出来ませんが・・・)
3、人間ウォッチング(食べ物の好き嫌いと同じで、見ていると、これも、面白いですね・・・)
4、家の庭ウォッチング(ジョロウグモの成長を楽しく見ていますが・・・)
5、昼寝(横になると、気持ちいいですね・・・)
6、瞑想(風呂の中でも)
7、ネットサーフィン、ブログ記載(昔毎日、今は、時々)
8、多国語(フランス語と中国語とハングルは、教育テレビで録画してしっかりと)
9、篠笛・和太鼓(ほぼ毎日)
10、詰め将棋(私の藤井7冠ファンは、まだまだ、続く感じですが・・・?!)

*https://www.youtube.com/watch?v=VYBL35rwD9k(←日本最高!?)
*写真は、6月末、大分市の「レンブラントホテル」に宿泊した時に、撮ったもの。

 (令和6年7月14日、記載)





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老人日記(6)

2024-07-13 09:56:30 | Weblog
 「老人日記、その6、しゃべり場」

 令和6年7月10日(水)、月1回の恒例の出来事で、家内と近所の二人の女性が、一緒に昼食を摂った後に、我が家に来て、14:30~17:00過ぎまで、いつもの4人の「しゃべり場」になりました。
 それぞれの悩みを聞いて、それなりのアドバイス(←になっているのかどうか、分かりませんが・・・?!)をして、まあ、いい解決策がなくて、悩みを聞いてあげることしか出来ないことも多いのですが・・・何でも、主婦は、思いを胸に秘めておくと、健康に良くないとのことで、夫は、家で毎日1時間近く、奥さんのしゃべりをじっと我慢して聞くことが必要で、それが、夫婦円満のコツだとか・・・?!
 令和6年7月11日(木)、同級生を中心に、360度お墓に囲まれた「雨月庵」に、男性7名、女性3名が集まって、記念すべき「角打ちの日」を祝いました。
 後期高齢者が多いのに、皆さん、元気で、話題が豊富ですね。
 10:00前~13:30まで、話は、いろんな方面に飛び交いました。ずっとこれが続くといいですね・・・。

*写真は、令和6年7月11日(木)の「角打ちの日」の「雨月庵」で撮ったもの。

 (令和6年7月13日(土、記載)


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老人日記(5)

2024-07-12 11:15:50 | Weblog
 「老人日記、その5、日本で良かった!」

 令和2年6月24日(水)、18:00過ぎに家を出て、家内と一緒に、「BAL」で夕食を摂りました。自宅からBALまで、歩いて20分、自宅から佐伯駅まで、歩いて、同じく20分・・・延岡に住んでいた時に、「コッコロ」と言うイタリアレストランにしばしば行っていましたが、その時も、同じく20分程、掛かっていました。家内に言わせると、ちょうどいい運動量とのことですが・・・年金生活者になって、20分の距離が遠いと思わなくなり、タクシーを使うことも、少なくなりました。雨が降っても、傘差して、少し濡れながらも、元気に歩いています。
 で、BALで、食事を終えて、その前のスーパーの入口に立って、正に、中に入ろうとしていた時、BALのマスターが、私達の所に走ってきました。「携帯が・・・」と言われて、テーブルに置き忘れていたことに、その時、初めて気が付きました。
 パリに行った時、世話をしてくれた人が、地下鉄で、扉が閉まる寸前に、外から、見ているスマホをサッと取られたのを見たことがあると、言われていました。
 佐伯に来ていたインドネシアの研修生が、財布を落として、落ち込んでいたのに、警察署に届けられていたので、ビックリしたと言われていましたが・・・。
 何駅だったか、はっきりと覚えていませんが、列に人がずらっと並んでいる状態で、財布からお金を出そうとした時、小銭がバラバラと数枚、下に落ちてしましました。その時、周りにいた(見知らぬ)人が、4人だったかな(?)、何も言わずにサッとお金を拾って、私にくれました。その早さ、正に条件反射みたいな感じで、実に早かったですね。
 日本で良かった、ホントに。
 東南アジアのある国の空港では、乗って帰る直前に、小銭を集めて回っている人がいましたが・・・(空港で、荷物をちょっと運んでも、お金を請求され、それなりのお金をあげても、もっとないかとも言われましたが・・・)。

*1年前に記載したものの再掲ですが、写真は、令和6年6月17日に撮ったものです(左から、長女の長女、長女。長女の次女、家内の順)日本は、安全面、清潔面、それに、精神面が、特殊ですね。「思いやりの精神」、「和をもって貴しとなす」、素晴らしいと思います。ただ、教育、政治など、問題は、山積ですが・・・。


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