神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

終戦の年に生まれた兄の享年は67歳であった

2017年08月16日 08時00分43秒 | 家族
昨日は終戦記念日であった。

昭和20年9月に生まれた兄は、終戦の翌月生まれたことになる。

が、平成13年の誕生日前に亡くなってしまったから、享年67歳であった。

父母が結婚したのは、前年の12月であったと聞いているから、結婚後すぐに授かった子だったことになる。

兄が生まれたとき、母は二十歳であった。

父は26歳。

若い夫婦であった。

私は、その2年半後に生まれたから、母は23歳、父は29歳だったか。

父はボンボン育ちであったから、結婚しても家族を養うという自覚がなくて、母は経済的にずいぶん苦労したらしい。

なにしろ、父は、もらった給料は全部自分の小遣いにしてしまうような人だったから。

まだ祖父が生きていたころは、祖父が衣食住の心配をしなくていいように取り図ってくれていたから何とかなっていたらしいが、祖父が亡くなってからが、母の本当の苦労の始まりだった。

そのため私達が小さいころは内職をしたりして家計を支えていた。

そのくせが抜けず、母はその後も、ずいぶん倹約を心掛けた。

私は、母の苦労を見て育ったので、母と同じように倹約家のほうだ。

が、兄は父に似たのか、散財癖があった。

商売がそれほど儲かっていたわけでもなかったのに、食べるものも、着るものも贅を尽くした。

勢い、その負担は母にしわ寄せがいった。

が、母は、兄に散財されることは、それほど嫌がっていないように見えた。

自分は、あれほど切り詰めた生活を送っているというのに。

私は、以前から思っている。

人には、贅沢をできる生まれ合せの人と、できない生まれ合せの人がいると。

義母も、贅沢のできる生まれ合せの人だった。

義父の会社経営が思わしくない頃も、高価なものでも躊躇わず食べるし、着るものも贅沢だった。

が、そこはよくしたもので、義父のお姉さんが医院の奥さんで比較的裕福なうえ、子供がいなかったから、甥、姪をかわいく思う気持ちもあって、ずいぶん援助してくれたようだ。

この伯母さんは、自分は贅沢できない性分の人だった。

義母は、義父が亡くなってからは、私達に要求した。

その要求を満たさなかったら嫌味を言われるから、私は仕方なく義母に言われるままに貢いだ。

子供達を大学に通わせていたころは、授業料の支払いだけでも四苦八苦していたのに・・・。

末っ子の義弟には援助するのに、どういうわけか長男の我が家には要求した。

私や夫は、脅せば出すとでも思っていたのだろうか。

私は、たぶん贅沢ができない生まれ合せなのであろう。

現在も、自分が贅沢をするより、少しでも子供達にしてやりたいと思ってしまう。

貧乏性なのだ。

兄の話から逸れてしまったが、私が言いたかったことは、人は、生まれながらに贅沢できる人とできない人がいるということ。

母と私は、贅沢ができない生まれ合せの人間なのだ。

  長生きはせずとも好きなように生き幸せなりし兄と思ふも

  終戦の年に生まれし兄は死にその後もめぐる終戦の日は

  秀才でありにし兄を誇りとし母は生きゐるその死ののちも

  頼りにはならぬ娘が生き残り残念ならむ九十(ここそ)路の母

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2 コメント

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人生いろいろ (ハイジ)
2017-08-16 11:46:19
人それぞれに性格も違います。
贅沢に暮らせるのが幸せとも限りません。
分相応に暮らせれば。
分相応が個人で違いますよね。
正解はありませんね。

我が家は12日から14日は息子夫婦が宿泊費の代わりと言ってグルメツアーを計画実施。
13日は一日中お出かけ。

15日はbikoさんと同じで疲れてお休みしました。
息子夫婦のお陰で夏予算に余裕が出来ました。

16日の本日は夏予算の余裕分で京都に行きます。
孫一家を誘ってすっぽん料理を食べながら大文字を。
京都夏の終わり。

人生いろいろ自分なりの楽しみや幸せを見つけて。




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ハイジさんへ (biko)
2017-08-16 11:58:08
そうですね。

そういうふうに育った人は、それが当たり前と思うし、そうでなかった人も、やはりそれが当たり前だと思うし。

いい悪いで判断してはいけないことですね。

ところで、ハイジさんの息子さんご夫婦は親孝行ですね。^^

そういうにしてもらえるハイジさんに、そういう徳分がおありだということだと思います。

そういうふうに親孝行ができる息子さん達も幸せだと思います。
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