とあるブログに「正義は狭い」というようなことが書かれてありました。
なるほどと思いました。
正義はよいものだという思い込みがありますが、しかし、見方によっては、たしかに狭いものかもしれないなと。
よく「清濁併せ呑む」というようなことが言われますが、大きな悪を知っている人は、しばしば大きな善も知っている人です。
そういう人は、ことさらに人の悪を咎めません。
世の中、善ばかりで成り立っているわけではないことを知っているからでしょう。
善だけだと狭い。
狭いことは弱い。
また、正義はエゴの一種かもしれないなどとも。
そんなことを思いました。
このことが書かれてあったブログ記事は、私が最近書いていることと矛盾したことを言っているようですが、考えてみないといけない真理だと気づいた次第です。
なるほどと思いました。
正義はよいものだという思い込みがありますが、しかし、見方によっては、たしかに狭いものかもしれないなと。
よく「清濁併せ呑む」というようなことが言われますが、大きな悪を知っている人は、しばしば大きな善も知っている人です。
そういう人は、ことさらに人の悪を咎めません。
世の中、善ばかりで成り立っているわけではないことを知っているからでしょう。
善だけだと狭い。
狭いことは弱い。
また、正義はエゴの一種かもしれないなどとも。
そんなことを思いました。
このことが書かれてあったブログ記事は、私が最近書いていることと矛盾したことを言っているようですが、考えてみないといけない真理だと気づいた次第です。
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戦争の原因たいがい正義なり正義なければ戦争あらず
人ゆるす度量もたねば戦ひはたびたび起こる また旅に出む
そのブログには、
「人に裏切られて当たり前だ。そもそも、この世界は、そういう世界だ。酷い言葉で傷つけられても、それも当然だ。そういう人たちが住んでいる世界だ」
「酷い事件が起こって当たり前だ。この社会は、そういう犯罪が起こる世界だ。神や仏は、そもそも、この世界をそういう学びの場として、創ってくださったのだ」
ということも書かれてありました。
「人に裏切られて当たり前だ。そもそも、この世界は、そういう世界だ。酷い言葉で傷つけられても、それも当然だ。そういう人たちが住んでいる世界だ」
「酷い事件が起こって当たり前だ。この社会は、そういう犯罪が起こる世界だ。神や仏は、そもそも、この世界をそういう学びの場として、創ってくださったのだ」
ということも書かれてありました。
欧米の人達は、こういったあらゆる種の悲劇や惨劇をも愉しむ奥行きの深さがある様な気がします。二人が日本では殆ど受け入れられないのも、当然の様な気がします。私は二人が大好きで仕方ないのですが(笑)。
19世紀を支配したと評される2人は、正義や真理の行く末には虚無しか残らないという事に、既に気付いていた様です。正義が狭いというのも十分に理解できますね。
今、『パリ』(ゾラ)を読んでますが、この作品も貧困救済に奔放し、疲れ果て、信仰や正義を見失った若き神父が、慈悲が当てにならない事を、初期のキリスト教では現世の幸福が訪れる望みがない事を悟り、絶望し、困窮し、挙句は、科学者の兄と共に、爆弾テロに成り下がるという奇怪な悲劇のドラマです。
勿論、彼らの作品は、当時のフランスでもスンナリと受け容れられた筈もなく、標準化されるには50年から100年は掛ってます。日本でもごく最近になって、彼らの作品が新訳になって次々と登場してます。ま、それだけでも実に悦ばしい事ですが。
日本人はもっと賢くならないと、政治家や金満ブルジョワに振り回されるだけの平和ボケした、マネキンみたいになるのでしょうか。安倍首相も小池都知事も、一体どんな本を読んでるのでしょうか?疑いたくもなりますね。
元来人間だって野性的な動物なんです。
そのDNAが騒いでしまうことがあるのでしょう。
それが戦争であったりするのではないでしょうか。
経済は弱肉強食、世界はそれで成り立っています。
戦争も突き詰めれば食べる為の経済問題です。
善悪で語れないことかと思います。
> 19世紀を支配したと評される2人は、正義や真理の行く末には虚無しか残らないという事に、既に気付いていた様です。正義が狭いというのも十分に理解できますね。
そうですね。私も、別に欧米ものを何でもかんでも崇拝するわけものでもありませんが、しかし、鼻が高い(笑)だけあって、向こうの人の考えることのほうが奥深いという気はします。
バルザックは、私の初恋の人の好んだ作家です。彼は『谷間の百合』に傾倒していました。
私も、あの頃は理解しえなかったことが、この年齢になれば、少しは理解できるようになっているかもしれません。再読してみようかな。(笑)
そのDNAが騒いでしまうことがあるのでしょう。
それが戦争であったりするのではないでしょうか。
まったく同感です。
正義正義という人達は、そこのところがわかっていないというか、ごまかしているのでしょうね。
全くその通りですね。
ゾラも『大地』の中で同じ事を言ってます。"川は戦争で赤い血に染まり、その赤い血でパンが作られる。そして、そのパンの為に人は戦争を繰り返し、赤い血を流す"だったかな。
戦争遺伝子を持つ人間は、DNAを組み換える必要があるのか。"戦争は人類が生み出したのなら、人間を新たに作り変えない限り、戦争が止む事はない"と、ゾラは『パリ』の中で言ってる。
何だか、ゾラの話になると、止まりません(笑)。
そうなのですね。生きるってきれいごとだけではすまされない部分があるわけですよね。
私も読んでみたくなりましたが、若い頃のように集中して読書ができなくなった現在、どうかな。
また教えてくださいね。