神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

情の深さは時として執念深さに変貌する

2016年01月17日 05時05分27秒 | 私の意見
ものごとには、何でも裏表がある。

情の深さは、執念深さに変貌することがある。

執念深いといえば欠点だが、しかし、元は情の深さからきたものだと考えれば、そうとばかりはいえまい。

私は、情が深いほうだと思う。

そして、同時に執念深い。

性格があっさりしているというと褒め言葉になる。

しかし、裏を返せば、情が薄いという場面も出てくるかもしれない。

世の中を生きていくのには、あっさりしているほうが好都合な場合が多いだろう。

しかし、人生を深く味わおうとすれば、情が深いほうが好都合かもしれない。

小説を書いたりする人は、情が深くなければ書けない。

人の心理の裏の裏まで分かるようでなければ、人を感動させる話は書けない。

情が深いから小説が書けるというわけではないが、情が深くなければ小説は書けないということだ。

情が深いということは、小説を書く必要条件ではあるが、小説が書けるという保障ではない。

と、話が脱線してしまったが、情が深いと苦しむことが多い。

昔、多情多恨という小説もあったと記憶するが、情が深いということは、多情多恨にも繋がる。

多情多恨とは、ネットの辞書によると、

感じやすい気持ちをもっているために、恨みや悔い、悲しみに思うようなことも多いこと。また、そのさま。▽「恨」はうらむ、憎む意。「多恨多情たこんたじょう」ともいう。

だそう。

実は、今もあることで悩んでいる。

きれいさっぱり忘れられないところが私の欠点であり、長所でもあるのだ。

  知り合ひし人を忘れずゐることは長所であれど恨みにもなり  biko

  信頼をすれば裏切り許せざるわが狭量が吾(あ)を苦しめる  biko

朝早く目覚めたので、心に浮かぶよしなしごとを徒然に書いてみた。(兼好法師か自分(笑)

ところで、今日は、阪神大震災21年目ですね。

謹んで、亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせていただきます。(合掌)

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