神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

一日パソコンがつながらなくて、ほとほと困りました

2017年10月11日 19時31分35秒 | パソコン
夫が最近あたらしいパソコンを買って、自分で設定したようでしたが、それ以来、パソコンがつながらないことが多くなっています。

先日、システムエンジニアーの次男に来てもらって、応急対策をしてもらったのでしたが、それでも、ときどきつながりません。

今日は、夫が朝から仕事で出かけたため、一日パソコンがつながらないままでした。

夫が何かのスイッチを切って出かけたようでした。

そんなことをしらない私は、必死にアクセスを試みて、疲れ果ててしまいました。

午後は、あきらめて、食堂のソファのカバーとか、私の寝ているソファのカバーとか洗いまくりました。

パソコンがつながっていると、つい一日伸ばしにするこうした仕事がはかどったのはよいことでした。(苦笑)

こうしてパソコンのない一日を過ごしてみると、私は、一日、どれだけパソコンに時間を取られているかということが実感できます。

短歌の結社誌も、読まないうちに次の号がきて、たまる一方なのですが、今日の午後は少し読めました。

いいことずくめのようですが、しかし、パソコンのない生活は、私には考えられません。

パソコンは、いまや私の世界であり、命ですら・・・。

リアルな会話に困難を伴う私には、パソコンで語り合える人たちの存在が最重要なのです。

そういうことも実感できた一日でした。

               *

  パソコンはもはや私の命なりパソコンなくば生きる屍(しかばね)

  パソコンにはまりすぎると家族らは言ふが私の命であれば

  家事よりも書かねばならぬと朝朝に開くパソコン昼も夜中も

正義は狭い

2017年10月11日 03時26分40秒 | 気づき
とあるブログに「正義は狭い」というようなことが書かれてありました。

なるほどと思いました。

正義はよいものだという思い込みがありますが、しかし、見方によっては、たしかに狭いものかもしれないなと。

よく「清濁併せ呑む」というようなことが言われますが、大きな悪を知っている人は、しばしば大きな善も知っている人です。

そういう人は、ことさらに人の悪を咎めません。

世の中、善ばかりで成り立っているわけではないことを知っているからでしょう。

善だけだと狭い。

狭いことは弱い。

また、正義はエゴの一種かもしれないなどとも。

そんなことを思いました。

このことが書かれてあったブログ記事は、私が最近書いていることと矛盾したことを言っているようですが、考えてみないといけない真理だと気づいた次第です。

               *

  戦争の原因たいがい正義なり正義なければ戦争あらず

  人ゆるす度量もたねば戦ひはたびたび起こる また旅に出む

そのブログには、

「人に裏切られて当たり前だ。そもそも、この世界は、そういう世界だ。酷い言葉で傷つけられても、それも当然だ。そういう人たちが住んでいる世界だ」

「酷い事件が起こって当たり前だ。この社会は、そういう犯罪が起こる世界だ。神や仏は、そもそも、この世界をそういう学びの場として、創ってくださったのだ」


ということも書かれてありました。