幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

シーボルト先生が指摘した、江戸のヒートアイランド現象

2010-10-17 18:17:10 | Weblog
 ようやく、涼しくなって参りました。
今年の夏は凄まじく、とても江戸のヒートアイランドに言及する気になれませんでした。

特に、大都市東京の暑さは、東北の片田舎にすむ私の想像を絶するものだったでしょう。

ところで、文久元年に江戸の赤羽根の宿舎にお住まいのシーボルト先生は、
江戸のヒートアイランド現象を指摘されています

1826年における江戸の人口は、天文方の公式な発表によると、町人だけでも、113万1000人である。そこには数百という各藩主の家族も、その家臣、侍、役人、使用人、兵士、僧侶、尼僧らの相当数の随員なども含まれていなかった【シーボルト日記】【江戸赤羽】

と江戸の町の大きさを紹介しています。
そして、この巨大な江戸の町は瓦屋根で覆われています。
(江戸幕府は火事を恐れて、屋根を瓦葺きにすることを奨励しています。)



シ-ボルトはこう指摘します。

七月と八月には、江戸湾と江戸の町は温度が上がり、ときには木陰でも華氏94度(摂氏34.4度)にまで達することがある。
たえず南から、南東から風が吹く。
この風は地表の空気が、黒くて厚い屋根瓦によって異常なほど暖められた当然の結果である。
この黒い屋根瓦は、巨大なる都市の数マイルにも及ぶ面積を覆っている
(江戸の表面積は大きな地図で算出される)【シーボルト日記】【江戸赤羽】


確かに、瓦は熱吸収率が高く、昼間の太陽の熱射で深層まで高温となり、蓄えられた熱が夜間に放出されます。
また、人口が多いので、火の使用量が増え、排熱量が増加したと思われます。
さらに、町の中は、緑地面積が小いので、植物や地表からの水分の蒸発量が減り、気化熱の効果が減少します。

など、確かにシーボルトの指摘は正しかったように思われます。
そのうちに、桜、梅などの開花日や、霜、雪などの日数を郊外と較べてみようと思っています。

今でも下町の路地を入ると、ところせましと盆栽や植物の鉢が並んでいたりします。
江戸の町は猶更、だったようです。
金魚を飼って、水分の蒸発量を増やしたり、盆栽や観葉植物を作ったり・・

もしかすると、江戸町人のヒートアイランド現象にささやかな抵抗だったのかも知れません。
東京のヒートアイランド現象を解決する鍵もこんなところにあるのでしょうか。

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2 コメント

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本日は旧暦9月16日です。 (ぽんた)
2010-10-23 22:50:34
こんばんは。外に出てみましたら、薄いウロコ状の雲の中に、お月様が強く光っていました。
「芹沢鴨暗殺の日は雨」と言うお墨付きの解説をして頂きましたが、今日は綺麗なお月様です。
でも、この寒さがリアルですね。
せめてものご供養にと、久しぶりの日本酒です。

記事では逆に江戸の「ヒートアイランド現象」!
瓦が原因でしたか~!!
さすがシーボルト先生です。
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飲んで供養になるならば (いろは丸)
2010-10-31 20:12:25
寒さが厳しくなってきました。
人は気ままなものですね、
暑いころが懐かしいです。
私も、今から飲みに参ります。

一杯目は芹沢鴨先生に献杯いたします。
二杯目は中島三郎助さんへ、
三杯目は河合継之介さんへ、
四杯目は玉虫左太夫さんへ、
五杯目は、、

やはり佐幕派はなにか悲しくなって来ます。

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