NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

がん予防健診

2010年09月30日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町商工会では、会員ならびに会員事業所の従業員および家族の皆様を対象に郵送による「がん予防健診」のご案内を行っています。

この健診は、自宅で検体を採取し、健診機関に郵送してチェックを受ける方法ですが、がんの早期発見・早期治療につながる大変有効な予防健診ですので、ぜひご利用ください。





<健診の種類>
 大腸がん健診、子宮頸がん健診、胃検診(ペプシノゲン健診)、前立腺がん健診(男性のみ)

<検査共通の特徴>
①病院に行かずに自宅で安心して健診が受けられます。
②食事制限は一切ありません。
③会員や会員事業所の従業員、その家族の方にも特別料金で受けられます。
④検査結果は受診者個人宛に親展にて直接送付します。
⑤当検査料金は経費・損金計上できます。

<申込方法>
 申込書に必要事項を明記の上、財団法人日本労働文化協会・浅草橋事務所まで、郵送またはFAXでお申込みください。(申込書は、商工会にあります。)

<検査機関>
 財団法人日本文化協会 恵比寿健診センター
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まねきねこダック

2010年09月29日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町商工会会員の保険代理店様から「まねきねこダック」の人形をいただきました。





人形の脇腹を押すと、テレビコマーシャルでお馴染みの「ネコとアヒルが力をあわせてみんなのしあわせを♪ まねきねこダック♪」とかわいい声で歌い出します。

まねきねこダックは、ある日、屋根から落っこちたネコが、歩いていたアヒルとぶつかって生まれたという出生秘話をご存じでしたか?

そして、まねきねこダックの趣味は日記を書くことで、今月からブログを始めています。
まだ1週間に1回の更新ですが、なかなかの力作ですよ。

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コンビニ「おでん」

2010年09月28日 | 二宮町商工会の紹介
今年は真夏からいきなり晩秋になったみたいで、季節の変わり目を感じさせるものは少ないのですが、その中でコンビニ「おでん」の幟旗が秋の訪れを告げています。





おでんは、俳句では12月の季語ですが、コンビニでは例年8月末から9月にかけて販売を開始します。

随分早いようですが、夏から秋に移る時期には体感温度が下がり暖かいものが欲しくなりますので、コンビニ各社ではこの時期におでんの販売に力を入れ始めるようです。
ということで、今日の昼食は二宮町商工会の会員さん「セブンイレブン二宮山西店」のおでんとおにぎりにしました。







最近は、コンビニのおでんも出汁や具材に大変なこだわりを持っていますので、結構おいしくいただけます。
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平野公崇 Classic on JAZZ

2010年09月27日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町商工会では各種チケットの販売を取り扱っていますが、今日からラディアン開館10周年記念事業として開催される「平野公崇 Classic on JAZZ」の公演チケットの販売を行います。ぜひ、お買い求めください。





2010年12月12日(日) 開場 13:30 開演 14:00
会  場 二宮町生涯学習センター・ラディアンホール
全席指定 1枚 3,000円 ペア券 5,000円 高校生以下 1,000円

出演
平野公崇(サックス)
アキコ・グレース(ピアニスト・コンポーザー)
納 浩一(エレクトリック&アコースティックベース)

演奏曲目
J.S.Bach / arr.Masataka Hirano:Prelude
J.S.Bach / arr.Masataka Hirano:G線上のアリア
Charlie Parker/ arr.Akiko Grace*Donna iee
クリスマスソング 他

平野公崇プロフィール>
1970年神奈川県生まれ。東京芸術大学在学中第7回日本管打楽器コンクール第1位入賞。同大学卒業後パリ国立高等音楽院に入学、サクソフォン科、室内楽科、即興演奏科を最優秀の成績で卒業。在学中に J・M.ロンデックス国際コンクールを制し、日本人サクソフォニストとして初の国際コンクール優勝者となる。
 オーケストラとの共演も多く、近年は自作自演も行っているほか、テレビ番組やCM音楽も手がけるなど、既存の音楽ジャンルに捉われず時代の一歩先を進む活動は幅広い注目を集めている。’03年6月より東京・丸の内の三菱電機DCROSSで定期的にライヴを行う。


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天下祭り

2010年09月26日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸っ子は威勢がよいということで、娯楽というと祭が思い出されます。

江戸の祭礼で規模の大きなものには、山王権現、神田明神、根津権現、富岡八幡、三社権現、氷川明神などがありますが、なかでも山王権現と神田明神の祭礼は「天下祭り」として盛大に行われました。

天下祭りとは、山車などの行列が江戸城に入り、吹上で将軍がご覧になるということから、この名が付けられたものです。

山王日枝神社の祭礼は旧暦6月15日で夏祭り、神田明神の祭礼は9月15日を中心に行われた秋祭りで、両方とも江戸全体を巻き込む一大イベントでした。




糀町一丁目山王祭ねり込


少し分かり難いのですが、中央に小さく見えるのが、行列の一番手の烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)姿の猿の山車で半蔵門に入ろうとしています。手前左の山車は、二番手の太鼓の上に鳥を乗せた諫鼓鳥(かんこどり)です。

江戸の町では、町としての必要な諸費用は町入用として地主たちが負担していましたが、祭礼に関する費用の多くも地主たちの出費であり、町名主がその段取りから警備、取り締まりまでを担っていました。

ですから、裏長屋に住む八さんや熊さんにとって、祭りはお金の心配をせずに心置きなく楽しめる最大の娯楽だったというわけです。

これまでにご紹介した春夏秋冬の行楽や芝居見物、祭りなどのほかにも、相撲見物や富士講など江戸の人々は様々にレジャーを楽しんでいました。つつましい日常生活の中で、ハレの日とケの日を上手に使い分けていた江戸の人々の心意気を見習いたいと思います。

今日でシルバーウィークも最後になりましたので、このブログも明日からは日常に戻ることにします。

(シルバーウィークの項は終わり。)
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江戸歌舞伎

2010年09月25日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸の歌舞伎興行は、猿若勘三郎(三代目から中村勘三郎)が寛永元年(1624)に幕府の許可を得て中橋(後に堺町へ移転)に芝居小屋を立ち上げたのが始まりで、その後、市村座(葺屋町)、森田座(木挽町)、山村座(木挽町)と続き、この四座が歌舞伎を上演していました。

しかし、正徳4年(1714)に山村座役者の生島新五郎と大奥御年寄の絵島が密通したという「絵島生島事件」により山村座は廃絶となり、以後は江戸三座となりました。

幕府は歌舞伎は風俗を乱すと考えて快く思っていなかったようで、中村座が火事を出したのを機に、天保十三年(1842)になるとこの三座と人形芝居の二座に対し、浅草観音北東の猿若町という辺ぴな場所に移転することを命じました。

新しい土地は、江戸歌舞伎の始祖猿若勘三郎の名をとって猿若町と名付けられましたが、三座が興業をはじめると次第にその周辺は活気がみなぎり盛り場化していきました。





「婦女の看劇が困難であったのを考えなければならぬ。明七つ(午前4時)から暮七ツ半(午後5時)まで、14時間の興業である。堺町葺屋町の時代でも、前夜は寝ずに支度をして、見物をすませた夜中に帰るのだ。まして浅草へ転地してからは、道中が一層長くなった。芝居茶屋へ一泊するか、或は親族故旧の家に世話になり、三日掛りの騒ぎやった。(稲垣史生編 三田村鳶魚 江戸生活辞典 青蛙房蔵版)」

そんな苦労までしても出かけたのですから、江戸の人々にとって芝居見物は無上の楽しみであったに違いありませんね。

(明日に続く。)
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江戸の冬

2010年09月24日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸時代の中頃から幕末にかけては、現在よりも寒く時には隅田川も凍ったといわれていますが、江戸っ子たちは雪見を冬のイベントとして楽しみました。

「江戸名所花暦」には、雪見の名所について愛宕山・高輪・長命寺・牛御前王子権現の社・三囲稲荷社・待乳山・市ヶ谷八幡宮・忍が岡・東叡山寛永寺をあげていますが、広重の「名所江戸百景」では、日本橋雪晴、びくにはし雪中、愛宕下藪小路、湯しま天神坂上眺望、浅草金龍山、深川木場、目黒鼓橋夕日の岡で雪景色が描かれています。




日本橋雪晴



びくにはし雪中



愛宕下藪小路



湯しま天神坂上眺望



浅草金龍山



深川木場



目黒鼓橋夕日の岡


向島にある長命寺の境内には、芭蕉が詠んだ「いざさらば雪見にころぶ所まで」という句碑がありますが、雪見は風流なものとして捉えられていたようです。

一方で、「東都歳時記」には、「いざさらば雪見に呑めるところまで」という芭蕉の句をもじったものがありますので、江戸っ子の風流には酒がつきものだったようですね。

(明日に続く。)

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江戸の秋

2010年09月23日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸の秋といえば、月見と紅葉狩りでしょうか。

今では、月見といえば十五夜か十三夜ですが、江戸時代には二十六夜待ち(旧暦7月26日の月)のほうが華やかだったようです。

夕方から、上野や浅草の侍乳山、湯島の台地、神田明神、九段坂上、愛宕山などの高台、あるいは品川、洲崎、高輪の浦辺に集まって月の出を待ちました。

江戸っ子は「十五夜だけして十三夜をしないのは方月見(方見月)になる」と言って忌み嫌いましたが、これは遊女が客の二度目の通いを確実に誘うための風習があったからだといわれています。




月の岬(左手の障子に遊女が映っています。)


紅葉狩りでは、滝野川の金剛寺や北品川の東海寺、谷中の天王寺、下総の真間山弘法寺などが多くの人を集めましたが、江戸の市中では下谷の正燈寺境内と南品川の海晏寺が特に有名で南北の双璧といわれました。




真間の紅葉手古那の社継はし


下谷の正燈寺といえば吉原がひかえていますし、海晏寺の近くにも品川の遊郭がありました。

「紅葉踏みわけるを母は悲しがり」「紅葉見にいきやしょうかと舌を出し」などという川柳がありますので、実際は紅葉狩りも方便に使われることが多かったようです。

(明日に続く。)
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江戸の夏

2010年09月22日 | エコでボランタリーな江戸の町
暑くなってくると、江戸の滝の名所はどこでも滝開きをします。滝といっても江戸に大きな滝はありませんが、江戸っ子の滝遊びは納涼のための水遊びが目的でしたので小さなものでもよかったようです。

飛鳥山近くの金剛寺から正受寺にかけて石神井川の崖には、今はありませんが不動の滝をはじめ権現、大工、見晴らし、弁天の5滝がかかっていたそうです。それに王子稲荷の境内の稲荷の滝、近くの名主の滝を加えて王子の7滝と呼ばれていました。

広重の絵には不動の滝が描かれていますが、ここには洞窟に不動明王がまつってあり、はじめは不動信仰から人が集まるようになりましたが、次第に納涼として発展していきました。




王子不動之滝


滝開きの次は川開きです。「江戸名所花暦」には、「納涼避暑の地所々にありといへども、この両国をもって東都第一とす」とありますが、夏のレジャーは隅田川の舟遊びが有名で、両国橋付近がその中心でとなっていました。

川開きは旧暦の5月28日ですが、その日から8月28日まで3か月間、屋形船や屋根船が多く集まり、納涼を楽しみました。
それを目当てに花火船が納涼船の間を周りながら花火の注文をとり、お金をいただくと「伊勢屋の旦那、一両の花火」と大声を出して打ち上げたそうです。

隅田川にかかる両国橋の上流側は玉屋、下流側は鍵屋の領分で、お互いに腕を競い合いました。

現在の花火と比べれば色も形も地味でしたが、暗い江戸の町では鮮やかに見えたことでしょう。一瞬の花火に熱中する江戸の人々の心意気は、今に引き継がれているようです。




両国花火


(明日に続く。)
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江戸の春

2010年09月21日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸時代も泰平の世になり若干でもゆとり出てくると、日常のわずらわしさから解放されたいという人々の思いが物見遊山という形であらわれてきました。それは武士階級にはじまり、次第に一般庶民にも広がっていったようです。

今日からは、歌川広重の「名所江戸百景」に描かれている名所を中心に、江戸っ子たちの四季折々のレジャーについてご紹介したいと思います。

花を愛でる江戸っ子たちは、まず早春の梅見を楽しみましたが、「名所江戸百景」では「亀戸梅屋敷」と「蒲田の梅園」が描かれています。




亀戸梅屋敷



蒲田の梅園


「江戸名物、伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれたように、いたるところにお稲荷さんが祀られていましたが、初午にはそれぞれ大幟をたてお供えをして、商売繁盛、金儲けを願う人々で賑わいました。

江戸市中で有名なのは烏森稲荷、郊外では王子稲荷でしょうか。王子稲荷は関八州稲荷の司といわれる格式のある稲荷で、参拝客も大変多かったようです。




王子稲荷の杜


江戸には桜が似合いますが、一番盛観であったのは上野です。ここには将軍家の墓所がありましたので、歌舞音曲をはじめ酔っての乱暴狼藉、喧嘩などは御法度でした。




上野清水堂不忍ノ池


庶民が心置きなく桜を楽しめる場所として、八代将軍吉宗の命により飛鳥山に桜が植えられてからは、ここが庶民の花見の中心となり茶店や露店が立ち並んで大いに賑わいました。




飛鳥山北の眺望


吉宗将軍は墨田堤や品川御殿山、小金井などにも桜を植えさせていますが、吉宗のこのような行為がいまでも人々に親しまれている所以なのでしょうね。




品川御殿やま

(明日に続く。)

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勤番長屋のくらし

2010年09月20日 | エコでボランタリーな江戸の町
昨日、江戸の町民人口は五十三万人といいましたが、武士はどのくらいいたのでしょうか。

江戸では武士人口の統計調査は行われていませんが、例えば、54万石の尾張藩の場合、家臣のための長屋が幕末期には40ケ所以上もあり、江戸勤仕の家臣数はその奉公人を含めて5000~6000人以上におよんだといわれています。

また、10万石の出羽庄内藩の場合、ふだんは430人ですが、殿様が参勤交代で江戸へやって来ると、780人ほどに膨れ上がったということです。

藩の数は、幕末には260くらいありますので、半数の大名が江戸にいると計算して藩士の数を割り出すと約15万人ほどになります。それに旗本・御家人とその家族がいますので、江戸における武家人口は約50万人と推計されています。

諸藩の江戸屋敷に勤務する武士を江戸勤番または勤番侍といいますが、その勤務形態には、参勤交代で江戸に到着したあとすぐに帰国する「立帰り」、藩主とともに1年間江戸で勤務する「江戸詰」、役目がある間は江戸にいる「定府」の3種類がありました。

「江戸詰め」は1年の単身赴任で、江戸屋敷の敷地内に建てられた「勤番長屋」に住んでいました。通常、勤番長屋は二階建てで身分によって部屋の大きさはまちまちですが、六畳一間という場合も多く裏長屋と大差はなかったようです。

勤番武士の勤めは3日か4日に一度、それも午前中で終わってしまいますので、彼等は暇をもてあましていました。しょっちゅう江戸見物に出かけていたようで、現在でいうと滞在型の観光をしていたといえるでしょう。




忠臣蔵で有名な吉良邸
敷地は東西に七十三間七尺五寸(約135メートル)
南北に三十四間二尺八寸(約63メートル)
二千五百五十坪(8450平方メートル)
敷地の左側の建物が長屋(三十軒)
「図説 見取り図で読み解く江戸の暮らし(中江克己:春秋出版社)参照」


(明日に続く。)
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裏長屋のくらし

2010年09月19日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸の人口は、享保18年(1733)の調査によれば町民人口は53万人を越えています。これに約50万人と推定される武家人口が加わりますので、江戸は人口百万を超す当時世界有数の巨大都市であったわけです。

土地の占有割合は、明治2年(1869)の数字によると武家地が69%、町人地が16%、寺社地が15%であり、50万人を越える町民が16%の土地に密集して生活していたことになります。

町人の多くは裏長屋と呼ばれる集合住宅に住んでいましたが、俗に「九尺二間の裏長屋」というように、一軒の広さは間口が九尺、奥行は二間に過ぎず、今でいえば六畳一間の1ルームです。

その中に土間やへっつい(かまど)がありますので、実際は四畳半ぐらいです。しかも、茶箪笥、火鉢、行灯を置いて、(押入れはありませんので)夜具や行李を隅に寄せて衝立で隠しておくと、残りは3畳ほどの広さしかありません。




「図説 見取り図で読み解く江戸の暮らし(中江克己:春秋出版社)参照」


日の出とともに起き、日暮れになるとなるべく早く寝るという健康的な生活リズムですが、さすがに長く家にいるのは苦痛だったようで、一年を通してよく遊びに出掛けていました。

(明日に続く。)

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シルバーウィーク

2010年09月18日 | エコでボランタリーな江戸の町
昨年は、9月19日(土)から23日(水)までが5連休でしたので「シルバーウィーク」というフレーズをよく耳にしましたが、今年は聞かれませんね。

今年も9月21日(火)と22日(水)を休むと6連休になりますし、24日(金)を休むと4連休になりますので昨年と比べても遜色がないと思うのですが、なぜなのでしょうか。

私的には、9月18日(土)から26日(日)までの9日間をシルバーウィークと考えていますので、この間は仕事がらみの話題から離れて、「江戸の人々の暮らし」と「歌川広重の大江戸名所百景に見るレジャー」についてご紹介したいと思います。

9月19日(日) 裏長屋の暮らし
9月20日(月) 勤番長屋の暮らし
9月21日(火) 江戸の春
9月22日(水) 江戸の夏
9月23日(木) 江戸の秋
9月24日(金) 江戸の冬
9月25日(土) 江戸歌舞伎
9月26日(日) 天下祭り
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支援施策活用ガイド(神奈川県版)

2010年09月17日 | 経済情報
今週は中小企業庁がホームページ上で提供している各種の支援策やガイドブックをご紹介していますが、プラス1として神奈川県の「創業者、中小企業者のための支援施策活用ガイド」をご紹介します。





このガイドブックは、新たに事業を始められる方や中小企業者の皆様の様々なニーズに応えるために、国・県・市町村・民間支援機関等の総合的な支援から、金融、創業、技術、経営、人材、立地といった課題別の支援まで幅広く紹介されています。

中小企業向けの支援施策をほぼ網羅する形で構成されていますので、先ずはこれを一読されたうえで、それぞれの相談窓口にアプローチされることをお薦めします。

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中小企業 事業承継ガイドブック

2010年09月16日 | 経済情報
今日は、中小企業庁出版物の第4弾として「中小企業 事業承継ガイドブック」をご紹介します。

これまで様々な困難を乗り越えながら事業を発展させてきたけれど、そろそろ次の世代へのバトンタッチを考える時期にきていると感じていらっしゃる経営者の方も多いのではないでしょうか。

事業承継には、事業を経営者の親族または会社の役員や従業員へ引き継ぐほかに、他社への譲渡など様々な方法がありますが、自社や後継者の状況などを踏まえて最適な方法を選択する必要があります。

このハンドブックでは、事業承継計画の作成、後継者の選び方、民法や税制との関係などのポイントを29問29答方式で解説しています。





事業承継は避けて通れない問題ですが、先送りをしていたためにトラブルを起こしてしまった例も少なくありません。転ばぬ先の杖として、この冊子を活用されてはいかがでしょうか。
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