NPOな人

NPOの現状や日々の雑感などを徒然なるままにお伝えします。

わんことお出かけ(二日目)

2010年01月31日 | 日記
伊豆高原には昨日の午後に到着。早速、神祇大社で旅の安全とわんこの健康を祈願しました。その後、食器ペインティングの青い玉葱で白磁の絵付け体験。飾り皿に二匹のわんこを描いたつもりでしたが、イノシシ以上、カピバラ以下という結果にがっくり、そそくさとペンション・ルッコラへ。







これまで伊豆高原のペンションは、カントリー調の「犬の家」、お刺身三昧の「ヒルトップ」、ヨーロピアン調の「犬物語」、和のなごみの「アルバートハウス」など色々とお世話になりましたが、ルッコラは良いですね。

一日限定二組、さーらりとした梅酒みたいな感じで、透明感のあるおもてなしでした。食事は和洋折衷の創作料理ですが、かいわりのお造りなんて初めて食べました。シマアジに匹敵する美味しさです。宿は門脇灯台の直ぐ近くなので、今朝は食事の前に日の出を見に行きました。







チェックアウト後は、アトリエ・ロッキー万華鏡館へ。ここには世界一の巨大な万華鏡があるんですよ。何しろ、それを見るためには万華鏡の中に人間が入って見るのですから。

続いて、ペット連れお約束の「さくらの里」。ここには、40種3000本の桜が植えられていますので、一年中何か咲いています。河津桜は少し早かったのですが、三分咲きの寒桜を楽しみました。帰りのコースは、伊豆洋ランパーク経由で東名沼津インターへ。洋ランパークはわんこは入れませんが、ガーデンプラザでの食事はOK。雛のつるし飾り展が綺麗でした。







おみやげは、沼津商工会議所認定の沼津ブランドの干物を買いました。今晩は、これで一杯です。




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わんことお出かけ

2010年01月30日 | 日記
今日から一泊二日で伊豆へ小旅行です。もちろん、ラブのあさひと柴の小波も一緒です。

以前は、ペットを同伴できるレストランや宿が少なくて苦労しましたが、最近はペットOKというお店が多くなって遠出がしやすくなりました。八ヶ岳や河口湖、山中湖などにもよく行きましたが、この頃はもっぱら伊豆高原です。

何しろ、ペット同伴可という宿が伊豆高原周辺だけで70軒以上(PET宿.com)はあるのですから。また、ペットを受け入れている施設も、遊園地をはじめレストラン、カフェ、美術館、遊覧船、体験型工房など(伊豆高原わんだふるネット)とても充実しており、行き先に困ることはありません。

極めつけは、伊豆ぐらんばる公園前にある神祇大社です。わんこ連れ参拝のメッカで、ペット用のお守りを買うとその場でお祓いをしてくれます。今日は、ペンション・ルッコラに泊ります。伊豆高原の宿には10軒ほどお世話になりましたが、ここは始めてなのでとても楽しみです。






これからの観光振興には、ペット連れが大きなキーワードになると思いますので、勉強を兼ねて行ってきます。
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ピンチをチャンスに変える!

2010年01月29日 | 二宮町商工会の紹介
昨日(1月28日)は、二宮町商工会の新春時局講演会と賀詞交歓会を開催しました。

講演は、国際ジャーナリストの小関哲哉先生にお願いしました。「今後10年間、世界は戦国時代に入るが、その中で日本が生き残れる確率は50%程度であろう。」という驚愕の導入部から話が始まり、中小企業の生き残り策などについて興味深い内容のお話を伺いました。





その後の賀詞交歓会では、来賓としてお招きした坂本町長から、次のようなエピソードが披露されました。

「先日、自宅から町役場へ歩いている途中で町民の方から『何で、下を向きながら歩いているのさ!』と声を掛けられたので、『町の財政が厳しくて大変なんだよ。』と答えた。すると、その方が『大変だからこそ、遣り甲斐があるんじゃないのさ!』と言われて、はっとした。そうだ大変な時だからこそ頑張ろう! という気になり勇気づけられた。」





確かに、いくら大変だ大変だと声高に叫んでみても、事態が好転するはずはありません。「大変だからこそ、遣り甲斐がある」「ピンチをチャンスに変える」という発想の転換が必要のようですね。この1年間は、それを座右の銘として仕事に取り組みたいと考えています。
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江戸は埋め立て地(その3)

2010年01月28日 | エコでボランタリーな江戸の町
江戸時代の絵師で戯作者の山東京伝(さんとうきょうでん)は、江戸っ子を「水道の水を産湯につかい、曳窓から金の鯱を見て育ち、宵越しの金を軽蔑する人種」と定義しています。金の鯱とは明暦の大火で消失するまであった江戸城の天守閣のことで、宵越しの金を待たないとはよく言われていることなので理解できると思いますが、「水道の水を産湯につかい」とは何のことでしょうか。

江戸は埋め立て地のため井戸を掘っても良い水に恵まれまれず、飲料水は人工的な水道に頼らざるを得ませんでした。ですから、テレビドラマで見る長屋の井戸は、実は水道なのですが、ほとんどの方は掘り抜き井戸だと思っています。

家康は江戸に入ると直ぐに、江戸城下に供給するための飲料水の確保に着手しました。始めは、目白台下で神田川の水を分けた水路を設けましたが、これが小石川水道です。その後、人口が増えるに従って拡張されて、井の頭池や善福寺池を水源とする神田上水となっています。地中に埋められた木樋(配水管)の総延長は67㎞とのことですから、当時の土木技術はとても高かったことが分かります。因みに、神田上水は神田川の上を懸樋(かけひ)で渡していますが、これが水道橋といわれる所以です。

江戸の人口は更に増え続けて需要に追いつかなくなると、幕府は多摩川の羽村に新しい水源を求めました。これが玉川上水ですが、承応2年(1653年)に着手してわずか7ケ月で四谷大木戸までの全長43㎞の水路を完成させてしまったということですから、驚くほかはありません。何しろ、シャベルカーは疎か馬車もなかった時代の工事なのですから。

その後も、亀有・青山・三田・千川の4上水を開削していますが、この4上水は享保7年(1722年)に一斉に廃止されています。上質な水が得られる掘り抜き井戸の普及などによるものとも言われていますが、理由はよく分かっていないようです。

このような事実を知ると、「恐るべし江戸時代」などと唸ってしまう私は単純なんでしょうかね。




「地図・グラフ・図解でみる 一目でわかる江戸時代」より
(竹内誠江戸東京博物館館長監修、市川寛明江戸東京博物館学芸員編)

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江戸は埋め立て地(その2)

2010年01月27日 | エコでボランタリーな江戸の町
最近は、江戸時代について再評価する動きが見られますが、一方的で部分的な江戸ファンとしては喜ばしいことだと思っています。私は昭和23年の生まれですが、子どもの頃受けた教育は「江戸時代は封建制度と士農工商という身分制度のため庶民は虐げられて、惨めな生活を送っていたので参考にすることなどない」というトーンだったと思います。

これは、明治政府が徳川幕府を良く言うわけはありませんし、第2次世界大戦後にGHQが伝統的な日本文化を否定しましたので、長い間、江戸時代を評価すること自体がタブー視されていたからなのかも知れません。

しかしながら、環境問題や市民による自治などについては、江戸時代から学ぶべき事が少なくないと思っています。例えば、現代社会の最大の問題である地球温暖化などは化石燃料を使わなかった江戸時代には全く無縁の話ですし、「勿体ない」という概念などなくても徹底して3R(リデュース、リユース、リサイクル)を実践していたことは間違いありません。江戸時代に来日した外国人は、ほぼ共通して日本の都市の秩序と清潔さについて、自国に比べて大いに勝っている感嘆しています。

とは言っても、最も人口の多いときには100万人を超えたと言われる江戸にあっては、ゴミが全く出ないということはあり得ません。日常生活で出される塵や生ゴミ、井戸や溝浚いで出される泥、盆の供え物や正月の松飾り、火事の後の瓦礫など、かなりの量であったと思われます。

明暦元年(1655年)に町奉行所は、町方から出るゴミを永代島(隅田川の河口にできた砂洲の島で、江東区の富岡八幡宮あたり)に捨てるように町触れを出しています。永代島のゴミ処理については色々と変遷があったようですが、その後、ゴミ処理場は永代島新田、砂村新田、越中島へと移り、江戸のゴミ処理システムは幕末まで維持されています。

江戸のゴミ処理の歴史は東京湾の埋め立ての歴史でもあり、それが夢の島へ、また現在では中央防波堤外側埋立処分場と新海面処分場へと引き継がれています。今、私たちが環境問題を考えるにあたっては、そのルーツとしての江戸についての研究は避けて通れないのではないかと思っています。
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江戸は埋め立て地(その1)

2010年01月26日 | エコでボランタリーな江戸の町
NHK大河ドラマ「龍馬伝」が始まりました。これまでの時代劇と違って、服装やメイク、身分関係などの描写が実際に近いような気がします。(最も、篤姫が引き眉&お歯黒で、鹿児島弁を使っていたら視聴率は稼げなかったでしょうから・・・)

ところで、家康が江戸に入った頃を描いた映画やテレビドラマを見た記憶がありません。当時の史料が乏しく、ドラマ性もないために制作には向かないのでしょうか。

天正十七年(1590年)に家康が入城した当時の江戸は、「其頃は、江戸は遠山居城にて、いかにも麁想、町屋なども茅ぶきの家百ばかりも有かなしの体、城もかたちばかりにて、城の様にもこれなく(聞見集)」という荒れた光景だったと伝えられています。

しかしながら、小田原や鎌倉は港をつくることが困難だったのに比べて、江戸は波静かな湾に位置し、海上交通の便を得ていました。加えて、後の五街道をはじめ、内陸各地に通じる交通路も集中し、非常に将来性に富んだ土地であり、家康は新しい時代に対する先見の明があったと思います。

とは言うものの、当時は浜松町あたりから日比谷、大手方面にかけて大きな入江(日比谷入江)が入り込んでいました。日本橋、京橋、有楽町一帯は半島状の低湿地帯(江戸前島)で、その東側も遠浅の海(江戸湊)という地形でした。




村井益男著「江戸城」より


そのため、家康は先ず西丸築城工事のときの堀の揚げ土で日比谷入江を埋め立て、次に駿河台、お茶の水付近にあった神田山を削り崩して日本橋、京橋、新橋付近を埋め立てて市街地を形成していきました。

その後、江東方面、江南方面の埋め立ても順次行われていきましたが、埋め立ての際には網の目のように掘割を張り巡らし、市中に物資を運び込むため導入路を確保していきました。

東京湾の埋め立ては今なお続けられています。私たちの未来を考える原点はこの頃にあると思うのですが、江戸の町が形成される時代に焦点をあてたドラマが制作されることを願っているのは、私だけでしょうか?
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徳富蘇峰記念館(蘇峰堂)の梅

2010年01月25日 | 地域情報・まちづくり
徳富蘇峰という人物をご存じでしょうか。一口には言論人と表現するのでしょうか、明治、大正、昭和にかけてジャーナリスト、政治家、歴史家、評論家など様々な立場で活躍した戦前の日本における最大のオピニオンリーダーの一人です。

蘇峰が残した膨大な資料は、晩年の秘書を努めた塩崎彦市氏に引き継がれて、蘇峰の13回忌にあたる昭和44年に二宮の塩崎邸内に建設された記念館で保存されることとなりました。現在は、塩崎氏の死去に伴い設立された徳富蘇峰記念塩崎財団が、博物館として一般公開しています。

蘇峰の交友関係は、私の理解を遙かに超えるほど広く、勝海舟、伊藤博文、森鴎外、夏目漱石、山本五十六、東条英機、与謝野鉄幹・晶子、高浜虚子、溥儀など各界の著名人(約1万2千人)と交わした蘇峰宛の書簡(約4万7千通)が記念館に所蔵されています。







また、蘇峰堂には「神奈川の花の名所100選」に選ばれている素晴らしい古木の梅園がありますが、このところの暖かい陽気で花も開き始めました。今は、一分から二分咲きというところでしょうか、これからが見頃となります。













蘇峰堂へは、JR二宮駅北口から徒歩で15分程です。大磯方面の出口から案内版が設置されていますが、帰りの順路が分かり難い場所もありますので、予め同館のホームページで確認されてからお出掛けになることをお薦めします。

記念館開館日   月・水・金(2月は土日も開館)
開館時間       午前10時~午後4時
観覧料         大人500円 小中高生200円
梅園入場料     一人100円(梅の開花時期は常時開園)
*駐車場はありませんので、必ず徒歩でお出掛けください。
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吾妻山・菜の花情報(9)

2010年01月24日 | 二宮町商工会の紹介
今日は朝から快晴。吾妻山から望む富士山も素晴らしい姿を見せていましたが、お客さんの数も目が点になるほど多く、一日中途切れることがありません。







案内パンフレットも午前中で底をつき急遽増刷。現場に居合わせた坂本町長も自ら大きな体で折り込み作業を買って出る事態に!(クマさんの手も借りたい・・・)





(お願い)
二宮町生涯学習センター・ラディアンに設けた臨時駐車場(数百台も停まれますが・・・)は、土日は満杯になり順番待ちの車で幹線道路が大渋滞となっています。自家用車の利用は避けていただき、JRでお越しいただくようにお願いいたします。
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吾妻山・菜の花情報(8)

2010年01月23日 | 二宮町商工会の紹介
吾妻山の菜の花は見頃を迎えて連日大勢のお客様にお見えいただいていますが、今日と明日の二日間(1月23日・24日)はJR二宮駅前の公民館で地場産品の展示販売会を開催しています。駅前ロータリーには案内所を設けて、観光パンフレットや特産品のご紹介をしています。。

公民館の中には、菜の花弁当やおにぎり、二宮名産の落花生をはじめとする地場の特産品の数々を取り揃えています。地元の農協と漁協も農産物・水産物を持って駆けつけてくれていますので、ぜひお土産にお持ち帰りください。












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吾妻山・菜の花情報(7)

2010年01月22日 | 二宮町商工会の紹介
昨日と一昨日は、「菜の花ウォッチング」にお持ちになるお弁当のお店を紹介しましたが、吾妻山を下りてからゆっくりと昼食をとりたいという方のために、地元ならではの食材を揃えた飲食店をご案内しましょう。

JR二宮駅北口前の小松やは、手頃な値段で美味しい和食が食べられると評判のお店です。むらさきの暖簾をくぐって二階へ上がると、店内には広い掛け座敷があり、山登りで疲れた足を伸ばしながらゆっくりと食事ができます。





ランチメニューはどれも美味しいのですが、この時期は「メゴチ天ぷら定食」「釜あげシラス丼」がお薦めです。一階にある中華宝屋も同じ経営の良心的なお店ですので、こちらへもお立ち寄りください。 (定休日 月曜日)





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吾妻山・菜の花情報(6)

2010年01月21日 | 二宮町商工会の紹介
昨日は、「菜の花ウォッチング」に来られたお客様に二宮町らしいおにぎり専門店をご案内しましたが、今日はパン屋さんをご紹介したいと思います。JR二宮駅北口の大磯側の階段を降りて左手に見える駐車場を左に曲がって右側四軒目に「無添加パン屋むーにゃん」があります。









店長の村上さんは専業主婦だったのですが,パン作りの無料講習会を開いているうちに周りの方から勧められてお店を開いたそうです。むーにゃんのパンは、多くの加工食品に含まれている膨張剤やトランス脂肪酸などの食品添加物は一切使用しない、無添加にこだわったところが最大の特徴です。

特に、メロンパンは膨張剤などの添加物を入れないで作ることが難しいそうですが、子供においしく安全に食べてもらうために作った「完全無添加メロンパン」が看板商品になっています。その他にも、店内にはライ麦パン、全粒粉パン、きなこパン、くるみパンなど店長の素朴な人柄そのままに、小麦や食材の優しい味を上手に引き出した手作りパンが並びます。

定休日 日曜祭日

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吾妻山・菜の花情報(5)

2010年01月20日 | 二宮町商工会の紹介
二宮町の「菜の花ウォッチング」には大勢のお客様がお越しになりますが、二宮駅を降りてからお弁当を買うお店や、お昼ご飯を食べるお店を探している方も少なくありません。今日からは、二宮駅の近くのお店を何軒かご紹介したいと思います。

先ずは、湘南ならではのおむすび専門店はいかがでしょうか。二宮駅北口の大磯側の階段を下りて、左手に見える有料駐車場の角を曲がり50mほど歩いていただくと右側にあるのが「ゆめむすび」です。





ゆめむすびは、地元商店会の有志の方が空き店舗対策として10年程前にオープンしたおむすび専門店ですが、お米屋さんが経営に関わっていますのでお米の美味しさは天下一品です。店内のケースには20種類以上のおむすびが並びますが、地元ならではのネタは「しらす」と「磯ひじき」、それと今の時期はお総菜の「菜の花ゴマあえ」がお薦めです。

定休日  毎週水曜日
営業時間 午前7時~午後2時




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吾妻山・菜の花情報(4)

2010年01月19日 | 二宮町商工会の紹介
昨日(1月18日)の神奈川新聞1面で吾妻山の菜の花が写真付きで大きく紹介されましたが、この写真はYAHOOのトップページにも掲載されました。二宮町も全国区になってきたということでしょうか、嬉しいですね。以下は、神奈川新聞のインターネットサイトカナロコから転載させていただきます。





富士山や箱根連山、相模湾を一望できる二宮町の吾妻山公園の頂上で、菜の花が見ごろを迎えている。約4万5千株の黄色の花々が青空に映え、来園者は一足早い春の香りを楽しんでいた。17日は富士山もくっきりと見え、菜の花とのツーショットの写真を撮る大勢のアマチュアカメラマンらが、しきりにシャッターを切っていた。

 「2月下旬ごろまで見ごろです」と同町観光協会。JR二宮駅下車、町役場脇の入り口から頂上まで徒歩約20分。入園無料。
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吾妻山・菜の花情報(3)

2010年01月18日 | 二宮町商工会の紹介
いよいよ吾妻山の菜の花も見頃を迎え、4万5千本余りの菜の花が富士山をバックに咲き揃っています。1月16日(土)から2月14日(日)までの「菜の花ウォッチング」の期間は様々なイベントが開催されていますが、昨日2月17日(日)は「吾妻山よさこいパレード」が行われました。

川勾神社雅楽保存会による雅楽の演奏を皮切りに、20団体/総勢600人の踊り子による華麗な舞が続き旧梅沢東海道は観客の歓声と拍手に包まれましたが、二宮町商工会も特産品や甘酒のコーナーを設けて大勢の皆さんに喜んでいただきました。
















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今月今夜のこの月は・・・

2010年01月17日 | エコでボランタリーな江戸の町
今日(1月17日)は、高等中学生の間貫一が許婚の鴫沢宮を資産家の富山唯継に奪われ、熱海の海岸で彼女を足蹴にした日ですね。

その時の貫一のセリフはお馴染みの「僕がお前に物を言ふのも今夜限だよ。1月の17日、宮さん、善く覚えてお置き。来年の今月今夜は貫一は何処で此月を見るのだか! 再来年の今月今夜・・・10年後の今月今夜・・・一生を通じて僕は忘れん、忘れるものか。死んでも僕は忘れんよ! いいか、宮さん、1月の17日だ。来年の今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らしてみせるから・・・」というものです。




熱海市観光協会HPより


でも、これって変なんですよね。江戸時代は、月の満ち欠けの周期によって歴月を決め、二十四節気によって太陽との調和をはかる、太陰太陽歴(旧暦)を使っていましたから、新月の日が1日で、三日月は3日、満月は15日(十五夜)というように、日付と月の満ち欠けに対する呼び名が一致しています。

尾崎紅葉の金色夜叉が読売新聞に掲載されたのは明治30年からですが、既に明治6年には太陽暦(新暦)に改暦しています。新暦は月の満ち欠けには関係ありませんから、15日に新月のときもあります。例えば、今日(1月17日)の正午月齢は1.8ですから、新月から少しだけ月が出てきた状態です。

旧暦では、毎月十七日は満月に近いので貫一さんのセリフも通用しますが、新暦では涙で曇らせようとしても、1月17日に月が出ないときだってあるわけです。旧暦から新暦になって20年以上経ってもなかなか新暦が普及せず、紅葉さんも勘違いしたんでしょうね。

余談ですが、明治政府が新暦を導入したのは財政悪化が原因だったという逸話があります。月の周期は約29.5日ですから、旧暦では1年が354日となりますので、3年に1回ほど閏月を入れて1年を13ケ月にして太陽の動きと調和させていました。

新暦に改暦したのは明治5年12月3日で、同日を6年1月1日にしました。実は、6年は閏月が入るため1年が13ヶ月となるので、役人の給与を13回支払わなければならなかったのです。そこで、太陽暦に切り替えて6年の給料の支払いを12回に抑え、尚且つ、5年12月の給料を支払わずにしたという話です。

これに倣い、現政権も1年を10ケ月にする歴の大改革を行えば、国家公務員の総人件費を2割削減するというマニフェストも難なく実現できるのですが、いかがでしょうか。

あ! 私の給料も年10回になるのかー*:∞△?             
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