アナーキー小池の反体制日記

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#1960 キッチュ

2016年05月20日 | その他
今回からは”聞こえの悪い言葉”のシリーズを開始します。
第1弾は”キッチュ”です。

ずっと昔から、田舎くさいものだとか、安っぽいものだとか、変に派手っぽいものだとかに出合った時、ボクの口から思わず出た言葉なのでした。

無意識に使っていたけど、実はキッチュには奥深い趣(おもむき)があるのです。

”キッチュ”が美術用語として定着したのは、クレメント・グリーンバーグの1939年の論文「アヴァンギャルドとキッチュ 」によるとされています。
彼は芸術が、アヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(後衛)に二分化しているとしました。
文化の推進者たるアヴァンギャルドに対し、キッチュは見せかけにすぎないと酷評したのです。

ボクが使っていた”キッチュ”は、まさにそのような概念でした。
でも時代と共に大衆文化の評価が高まるにつれ、グリーンバーグのような二元論に対する批判も多く現れているのです。

キッチュは”陳腐である”と定義されることもありますが、単に陳腐なだけでは、それをあえてキッチュとは呼びません。
あまりにも陳腐であるがゆえに、周囲の注目を集め、独特の存在感を示すもののみがキッチュなのです。

キッチュとは、”人”が見たこともない異様なものや、意外な組み合わせや、ありえない組み合わせなんでしょう。
”人”にとってキッシュは異文化に属するものであったり、時代を隔てたりしている必要があります。
”人”の日常性に近すぎると、新鮮味のない、陳腐な存在でしかなく、そもそも注意を引くこともないのです。
キッチュの観点から言えば”普通”であることは、美的価値が不足していることを意味します。
また、キッチュは、時間的な隔たりという点では、レトロ、懐古趣味と関連していることがあります。

キッチュは、単にグロテスク、もしくは不細工なだけではない、崇高なものだったのです。
古臭い考え方の人を”キッチュ”と呼び捨てていましたが、これからは心を入れ替えて”チンプ”と呼ぶことにします。
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