今回からは”聞こえの悪い言葉”のシリーズを開始します。
第1弾は”キッチュ”です。
ずっと昔から、田舎くさいものだとか、安っぽいものだとか、変に派手っぽいものだとかに出合った時、ボクの口から思わず出た言葉なのでした。
無意識に使っていたけど、実はキッチュには奥深い趣(おもむき)があるのです。
”キッチュ”が美術用語として定着したのは、クレメント・グリーンバーグの1939年の論文「アヴァンギャルドとキッチュ 」によるとされています。
彼は芸術が、アヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(後衛)に二分化しているとしました。
文化の推進者たるアヴァンギャルドに対し、キッチュは見せかけにすぎないと酷評したのです。
ボクが使っていた”キッチュ”は、まさにそのような概念でした。
でも時代と共に大衆文化の評価が高まるにつれ、グリーンバーグのような二元論に対する批判も多く現れているのです。
キッチュは”陳腐である”と定義されることもありますが、単に陳腐なだけでは、それをあえてキッチュとは呼びません。
あまりにも陳腐であるがゆえに、周囲の注目を集め、独特の存在感を示すもののみがキッチュなのです。
キッチュとは、”人”が見たこともない異様なものや、意外な組み合わせや、ありえない組み合わせなんでしょう。
”人”にとってキッシュは異文化に属するものであったり、時代を隔てたりしている必要があります。
”人”の日常性に近すぎると、新鮮味のない、陳腐な存在でしかなく、そもそも注意を引くこともないのです。
キッチュの観点から言えば”普通”であることは、美的価値が不足していることを意味します。
また、キッチュは、時間的な隔たりという点では、レトロ、懐古趣味と関連していることがあります。
キッチュは、単にグロテスク、もしくは不細工なだけではない、崇高なものだったのです。
古臭い考え方の人を”キッチュ”と呼び捨てていましたが、これからは心を入れ替えて”チンプ”と呼ぶことにします。
第1弾は”キッチュ”です。
ずっと昔から、田舎くさいものだとか、安っぽいものだとか、変に派手っぽいものだとかに出合った時、ボクの口から思わず出た言葉なのでした。
無意識に使っていたけど、実はキッチュには奥深い趣(おもむき)があるのです。
”キッチュ”が美術用語として定着したのは、クレメント・グリーンバーグの1939年の論文「アヴァンギャルドとキッチュ 」によるとされています。
彼は芸術が、アヴァンギャルド(前衛)とキッチュ(後衛)に二分化しているとしました。
文化の推進者たるアヴァンギャルドに対し、キッチュは見せかけにすぎないと酷評したのです。
ボクが使っていた”キッチュ”は、まさにそのような概念でした。
でも時代と共に大衆文化の評価が高まるにつれ、グリーンバーグのような二元論に対する批判も多く現れているのです。
キッチュは”陳腐である”と定義されることもありますが、単に陳腐なだけでは、それをあえてキッチュとは呼びません。
あまりにも陳腐であるがゆえに、周囲の注目を集め、独特の存在感を示すもののみがキッチュなのです。
キッチュとは、”人”が見たこともない異様なものや、意外な組み合わせや、ありえない組み合わせなんでしょう。
”人”にとってキッシュは異文化に属するものであったり、時代を隔てたりしている必要があります。
”人”の日常性に近すぎると、新鮮味のない、陳腐な存在でしかなく、そもそも注意を引くこともないのです。
キッチュの観点から言えば”普通”であることは、美的価値が不足していることを意味します。
また、キッチュは、時間的な隔たりという点では、レトロ、懐古趣味と関連していることがあります。
キッチュは、単にグロテスク、もしくは不細工なだけではない、崇高なものだったのです。
古臭い考え方の人を”キッチュ”と呼び捨てていましたが、これからは心を入れ替えて”チンプ”と呼ぶことにします。