Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値17(民主主義の進化について)

2023-02-12 09:47:39 | 論文

 まず新しい時代の文化とは、今までのそれとは異なった形による民主的文化のようなものになるのではないだろうか。すでにSNSが旧メデイアに対して大きな影響を及ぼし始めていることを、2021年のアメリカ大統領選からは感じられた。しかしおそらくそれはそのような影響にとどまるものではないだろう。現在の選挙のように間接的、意識的な民意集約※1ではなく、より直接的、無意識的に民意集約※2を図ることが可能になってくる。それはAI を中心とした ICT、ビッグデータによる新技術を基盤にする民主主義に近づいていくのではないだろうか。今までの民主主義は争点を単純化し、票のとりまとめにより、有権者の不満を回避していくという、いわば受け身の民主主義であった。それに対し、これからの民主主義では有権者の要望はある程度、コンビニのようにデータで回収される。そうしたデータをより説得力ある形で解読する者または機関が、行政と立法の間に立つというようなことになっていくのではないか。

 

 民主主義の性格が間接的、意識的なものから、直接的、無意識的なものに代わっていくことは、民主的文化の性格や内容をも変えていくことだろう。デモや演説といったパフォーマンス、政治的パフォーマンスの背景にある権力闘争といった劇場的な活動(政治家はある意味で演者である)はしだいに説得力を持たなくなっていく。それに代わって、例えば国民所得、金利といった数値(一種の力学的指標ともいえる)の変化に応じて、自動的に保険料率が変わる※3。あるいは政治を介さない、法律を減少させたような形※4の民主主義になっていくのかもしれない。

 

※1 現在の選挙のような間接的、意識的な民意の集約

 間接的とは、地域性から離れていくほど、つまりは国会議員になっていくほど、その代表性は擬制的なものになることをいっている。国会議員の代表性とは地域から選出されるにもかかわらず、それが全国民の代表であるとみなされているわけである。これを微調整するため比例代表制で政党を選択できるような仕組みも出てきた。これに対して意識的な民意の集約とは、市議、県議などの議員の活動が国会議員の票の積み増しに関係していくが、その過程で民意の取捨選択あるいは査定が行われることをいう。現代においては無党派層が多く、この面での機能低下は大きいのかもしれないが、政治のポピュリズム化と深い関わりあいのあるところだろう。無党派層の歓心を買うために政策を公表するわけであるが、本来必要とする政策ではなかったりすることもある。

 

※2 より直接的、無意識的に民意集約

 直接的とは、国民や住民の要望をデータで収集し、何が必要か判断するわけであるが、国民や住民のプライバシーが侵されるといった問題があるかもしれない。収集によるデータによっては無意識に必要としている要望まで把握することが可能になるかもしれない。国会議員の全国民の代表者という擬制よりも、国民や住民の要望はより効率的に、的確に算定することはできるかもしれない。プライバシーが侵されることによるデメリットは、それによって得られるメリットよりもおそらくは大多数の大衆には少ないのかもしれない。

 

 むしろ国家と有力な個人の権利の衝突が対抗関係になるのだろう。どちらかというと民主制の問題よりも個人主義との間により重要な問題が控えているのである。しかしこうした個人の人権の問題も憲法の規定によってそれぞれ保障の程度は決まっている(例えば内心の自由は行動の自由より保障されるとか、表現の自由は財産的な自由より保障されるだとか)。また違憲立法審査権がある限り、個人としての権利も保障することはできるわけである。例えば国家が国民のデータを収集して、それを憲法の規定と異なる形で利用した場合、国家は司法権によって裁かれるわけである。

 問題はAI、データ化時代にどのような憲法体系を持ち、その中で司法権なり立法権がどのような能力を持つのかということだろう。

 

※3 例えば国民所得、金利といった数値の変化に応じて、自動的に保険料率、税負担率が変わる

 AI、データ化時代に深く関係してくることは、人間社会の多くのことが数値によってより正確に把握できるようになってくることであろう。つまり今まで以上に制御可能なジャンルが増加していくということである。

 このことが特に比較的早く反映されてきたのは、経済の部門であった。久しくデータ化が進んできたジャンルといっていい。経済学は20世紀において、あるいは21世紀においても引き続き「資本」という概念を中心において独善的な世界観を築いてきたが、ここへきて変化も見せ始めている。グローバリズムとは資本、物、人の移動を自由にすることにより、資源の有効な活用を通じて世界に繁栄をもたらすと考えられてきた。しかし実際には格差社会が世界の隅々まで発生する結果となった。格差の是正は従来型の民主主義ではできなかったわけである。

 この問題には二つの論点がある。グローバル、文明、国家どのレベルに経済世界の単位を求めるべきかという問題がその一つである。そしてどうやら文明がそれになりそうな気配をみせつつあるということ。またこうした状況は中国やインドの台頭とも関係を持ってくるように思われる。中国、インドは国家にして文明という存在である。そういう状態であるから文明の分類の上でこの二つの文明はローカル文明に含めた。統合へと結びつけている要素が契約ではなく、家族文化的なもののように思われるからである。

 もう一つは従来型の民主主義を改良した制度は国家において採用される可能性があるということだろう。この改良型の民主主義は、議員の議論によって保険料率や税率が決定される社会ではない。国民所得や金利、物価上昇率といった数値によって自動的に保険料率や税率が調整されるような社会になっていくというわけである。国民の様々な問題を(国民が理解できない)複雑な法律によってではなく、いわば自動運転のように決定される社会が到来しようとしているのではないか。自動化されるのは車だけでなく、社会そのものでもありえる。この方向性はスマートシテイ化とも適合するし、世界経済的な調整についても、民主主義よりも解決方法として適合性を持っているように思われる。つきつめると調整者として政治家も公務員もいらない社会が到来し、税金もかなり少なくなりうる。しかし民間でも労働力は次第に不要になっていくので、民間と公務のせめぎあいの中で労働力の在り方が決まってくるのかもしれない。

 

※4 政治を介さない、法律を減少させたような形

 ヨーロッパ文明の躍進を生んだのは、民主主義の制度と産業革命だといわれている。とりわけ、イギリスの歴史は第一次産業革命の発端であるので、民主主義の発展と産業革命がどのように関係したか明瞭には見えにくいのであるが、それだけに第二次産業革命の発端について考えるにあたって、参考になるように思われる。第二次大産業革命が生じてくるにあたり、国家、政府に統制力があった方がいいのか、少ない方がいいのかという問題がある。国家、政府においては既得権の維持が統制に深く関わってきた。このため新技術へ移行していくには政治を介さない、法律を減少させた制度空間を意識的に構築した国が一時的に有利になることはありえるかもしれない。産業政策においてそのような瞬間が求められている貴重な時期ともいえる。

 しかしそれにとどまらず、技術的に民主主義を進化させることが可能な時期にさしかかっていることも指摘しておかなければならないだろう。民主主義は間接的なものから直接的なものへ、意識的なものから無意識的なものへと民意を吸収することが技術的に可能になってきている。法律は空白がいいのか、直接的、無意識的なものから民意をくみ上げ法律を形成した方がいいのか、民主主義においても規制と自由の問題が生じてくることだろう。

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文明と価値16(自然災害 外交(アメリカと中国の対立))

2023-02-12 09:20:34 | 論文

※4 自然災害の可能性(地震、コロナ、温暖化)

 日本における、不安定要素として全国どこにでも起こりうる地震がある。しかもこれらの地震は経済的拠点を大きく破壊する可能性がある(関東、南海トラフ)。また今回のコロナ禍や温暖化を原因とした自然災害(風水害)も増大してくることが予想されている。これら天災は、外部的要因であるとともに、ショック性が高いものであり、人間の力で容易に防げるものでもない。したがって日ごろから人災の側面を極力減らしていくことが重要となってくる。資金的には国内的な「ポートフォリオ」の問題であると同時に、第二次大産業革命のあり方とも関係してくる。また都市の将来性や高齢少子化の問題とも関係がある。地方においては県庁所在地などへの人口の集中化(都市部への集中)が見られるが、ある程度集中させた方が医療、防災施設の効率的な構築、維持はできるのかもしれない。ただ集中のさせ方の問題もあるだろう。コンパクトシティが取りざたされているが、環境や住居への影響(あるいは自動車産業への影響)を考えると総合的にはハブアンドスポークの考え方の方が有用性は高いように思われる。都市はどの程度の人口規模が望ましいのか、どのような集積の仕方が望ましいのか、新産業革命における都市のあり方とも関係してくる問題である。

 

※5 外交・軍事 アメリカと中国の対立

 現在の日本にとって外部的要因の中で最も大きなものがアメリカと中国の対立であろう。このため日本はアメリカと中国に目が注がれがちかもしれない。しかしこれから現れてくるのは中国の台頭だけに限られない。世界における文明単位での多極化的な発展であると思われるからだ。そして文明にはいろいろある。ここまで文明、準文明の種類について説明してきた。中国文明に限らず、インド文明、イスラム文明にも目を配り、あるいは他の多くの準文明にも注意を払い、それらを繋いでいくことによって、日本及び日本準文明の安全も保たれるのではないだろうか。そうした中でペリー来航から現在に至る日米関係のあり方について再確認する必要もあることだろう。この同盟関係は国家間の同盟に限定したものなのか、それ以上の何かでもあるのか問われるところである。

 

 新しい時代の文化、学問がまだ明確にならない中で、新社会秩序の青年期の勢力がおそらくは新しい時代の日本を構築するのであろう。新しい時代の文化が何であり、新しい学問がなんであるかがまずは気にかかるところである。

 

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