Yesterday never knows

Civilizations and Impressions

文明と価値4(あるがままの文明)

2022-11-27 05:05:04 | 論文

3 あるがままの文明

 

 まずは理念型によって分類してみよう。そうすることによって、私たちは諸文明のもつさまざまな生命に注目することができるようになるだろう。そしてその存在のあり方について思いを巡らすことができるようになるだろうと考えてきた。しかしこれらの文明は形式的な分類によってその生命を観察された存在である。そうした意味とは別の意味において、それら自身が生命現象として活動していく主体でもある。したがってこうした文明のありのままの姿をとらえる研究もまた必要ということになる。

 

 文明の分類はどちらかといえば静学的なものなのかもしれない。しかし、植物や昆虫の分類とは異なり、文明には長い時間の分厚い層がある。地層に歴史があり物語があるように、文明にも歴史があり、物語がある。つまり、分類といっても文明の場合、ただ形式的だとか全くの静学的学問というわけにはいかないだろう。そうした生命現象をとらえる研究は動学的な研究の側面を持つことだろう。

 

 四文明にしても、形式的に「ローカル型文明」、「コスモポリタン型文明」と分類している。ローカル型文明は統制的、集中的(あるいは対外的にはバンドワゴニング的である※)であり、中国文明、インド文明がこれに該当しているとした。中国は政治による統合、インドは宗教、文化による統合の形をとってきたと「文明の研究」の中では書いた。

 

 それに対してコスモポリタン型文明は分権的、拡張的であり、ヨーロッパ文明、イスラム文明がそれに該当するとしてきた。そしてそれらコスモポリタン型文明同士の接触によって化学変化が生じたとした。すなわちヨーロッパ文明とイスラム文明の対立(戦争)、交流(平和)の経緯とその結果によって、西洋文明は最強になった。ヨーロッパ文明において資本蓄積と軍事の商業化が発生した。これら二つの要素が結びつくことによって最強の文明、西洋文明が生まれてきたと考えたわけである。そして同時にこれがまさしく、現在、地球における大きな課題、平和を蝕む癌細胞ともなっている。

 

 ※バンドワゴニング的である 

諸国家が新興勢力に追随、順応して従属的な立場をとること。

 

 そしてその後しばらく、西洋文明はその文明内におけるヘゲモニー争いに終始していた※1。それがここへきて文明内でなく文明間(西洋と中国)における覇権争いと変わってきた。今までの経済的なヘゲモニー争いだけでなく、覇権をかけた争いがアメリカと中国の間で認識されるようになってきている状況であろう。

 

※1文明内におけるヘゲモニー争いに終始していた

 商品、流通、金融の三点を握ることをヘゲモニーの掌握というが、ベネチア、アンベルス、ジェノバ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークと中心が移ってきた。一時、東京がヘゲモニーを握りそうな勢いがあったが、日本は中国とは異なり、覇権の道に踏み込むことはせず、ブレーキをかけた。

 

※2 こういう状況は今後も、中国文明の後はインド文明、その後はイスラム文明といった具合に続いていくものなのだろうか。

 日本は覇権の道には踏み込まなかった。日本はすでに民主主義が浸透しており、軍事的にアメリカと対立する意思は毛頭なかった。しかし中国は違うようである。国内を治めるための党支配であるが、民主主義ではないため、ガス抜きができないため、外敵をつくらざるをえない。それに比べるとインドは民主主義があるから、中国のように覇権の道に進むベクトルはまだ弱いのかもしれない。イスラム文明はまだまだ民主主義は浸透しきれていない。覇権交代をめぐり対立が高まる可能性が高いのは中国文明、イスラム文明なのかもしれない。ただしイスラム文明はまだ分裂しており、中国文明のように統一された文明として登場しないかもしれない。イスラム文明はかってそうだったようにコスモポリタンな文明であったからだ。

 

  四つの文明以外の準文明についても、その生命現象について「準文明の研究」の中で簡潔にふれてきた。こうした文明の分類や生命現象を個別に見ていくのはその文明の個性を見ていくこともあるが、それだけではない。これら「諸文明の集合体」について考えていきたいという思いもあるからだ。例えていうなら天文学でいうところの銀河団のようなかたまりのように、諸文明が集まって形成されるものも一つの生命として考えられるという見方につながっていくことだろう。いわゆる文明団(文明や準文明が複数集まり、結合することにより形成される文明の複合体)という考え方の提起である。人類が自らを平和的に統治することができ、戦争をもたらす原因を除去することができるかは、この考え方と深く関係が生じてくるように思われる。

 

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文明と価値3(文明の生物学的な分類について)

2022-11-19 04:31:46 | 論文

 どの文明でもそうであるが、人間社会を活動させるモラルシステムが存在する。そしてそれが文明存在の基準となってくる。その中でも複数の国家をまたいでモラルシステムが影響力を持っている文明があった。恒星が惑星に対するように、影響力の下に置いている、そういう文明をここでは特に「文明」と呼ぶことにする。そうした文明としてヨーロッパ文明、イスラム文明、インド文明、中国文明が挙げられるわけである。これら四つの文明は国際的な意味において体系的なモラルを持ってきた人間の集合体であり、その周辺の小さな文明を影響下においてきた。

 

 それに対して、「一国的」な意味において、独自のモラルシステムを有する人間の集合体であり、またいわゆる「文明」によって大きな影響を受けてきた人間の集合体をこの考察の中では特に「準文明」と呼ぶこととする。

 

  「準文明の研究」の中ではそうした準文明には大きく分けて四つの型があるとしていた。

 ①植民型準文明、②浸透型準文明、③辺境型準文明、④融合型準文明 がそれで、その分類方法を提起してきた。

 

「植民型準文明」としてオセアニアや南アメリカ(これに北アメリカも入るかもしれない)

「浸透型準文明」としてアフリカ、ユーラシア(ロシア)

「辺境型準文明」として極東、極西

「融合型準文明」として東欧、東南アジアを挙げた。

 

  それぞれの準文明は理念型として次のように説明できる。

 植民型準文明は原住民よりも植民の影響力が強かった準文明であり、浸透型準文明は浸透してくる諸文明に対して原住民の影響力が比較的強く残った準文明である。辺境型準文明は片側だけ文明(四文明のいずれか)の影響下にあったが、一方で独自の個性も強く残ってきた準文明、融合型準文明とは複数の方面の諸文明(準文明も含む)から強い影響を受けながら、しかもそれらが重層化してできた準文明ということになる。

 

 文明と準文明について簡単に説明してきた。まずは文明と準文明とに分けた。そして文明や準文明をそれぞれ中で分類してきたが、このように分類することにどのような意味があるのだろうか。

 

 分類するのは、それぞれの文明がどのような「生命体」であるかを捉えるこころみである。その文明が持つ生命の中心にある特徴をつかむことを目的としている。昆虫や植物の標本を眺めるように、文明を眺めていこうとしているわけである。そういう視座から見れば、滅びたインカ文明やアステカ文明などは殺されてしまった「生命体」ということになるのかもしれない(今も微かに生き残っているが)。文明を分類することはそれぞれの文明を生命体としてとらえる第一歩である。そしてそのことはこれらがどうやって尊重され、保存されていくべきかについて考えていくことにもつながっていかなければならないだろう。

 

 しかし一方で、文明を生命としてとらえるアプローチには当然抵抗もあることだろう。文明ではないが、社会を有機体ととらえる説は否定されて久しい。社会学では社会構造、社会変動という概念を使っている。むしろ社会学の概念を借りて、文明構造、文明変動という概念で説明する方が説明はしやすいのかもしれない。そして「文明の研究」で触れていた文明の五つの原理(価値、技術的効率力、社会構造力、反作用力、外部力・環境力)と整合性がとれるのは、社会学的アプローチなのかもしれない。

 

 社会学のアプローチは産業化、近代化と結びついていて、ヨーロッパ文明を分析する道具として発展してきた。アジアの一部が発展し、それを検証する意味においても社会学のアプローチは発展してきた。しかし社会学は長い歴史からすれば、ごく短い時間の間(ヨーロッパ文明における近代化)、被写体を見ているようなものであろう。

 

 それぞれの文明を生命として眺めること、それはヨーロッパにおける近代化をもヨーロッパ文明の生命の一部としてとらえる視座を持つことと関係があるように思われる。そしてひとつの集団として衰退し、滅びても再び一つの集団として復活し、登場する文明という現象には何か生命のようなものがあると考える方がむしろ自然ではないだろうか。生命を探るための方法として植物や昆虫を見ていくように文明を収集し、分類する一見地味な作業から入ってみようというわけである。

 

 文明の分類方法の基準をもう一度、整理してみよう。

 

【文明】

    コスモポリタン型  1 ヨーロッパ文明

                 2   イスラム文明

     ローカル型       3 インド文明

                 4 中国型

 

【準文明】 

     植民型         5 オセアニア型

               6 南米型あるいは北米型

     浸透型          7 アフリカ型

               8 ユーラシア(ロシア)型

     辺境型          9 極東型(日本、朝鮮)

              10 極西型(イギリス、北欧)

      融合型        11 東欧型

              12 東南アジア型

 

 詳細は「文明の研究」や「準文明の研究」の中でふれてきた。こうした分類にはそれぞれの文明、準文明の生命をとらえる目的があった。 

    しかしそれだけでなく、もう一つ大きな目的があった。「諸文明間における有機的な関係性、共存と繁栄がどのようにして図られるべきか」 というものである。異なる文明が共生していくための方法の探求を「準文明の研究」の中では少し試みてみた。

 

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文明と価値2(四文明と準文明)

2022-11-13 10:52:39 | 論文

2 四文明と準文明

 

 文明に関していうと、それらが標本を見るようにタイプや様式によって分類されることは実はあまりなかったようだ。ただそれぞれ漠然と自明なものとして現在まで語られてきたのではないだろうか。もちろん他にも文明の個性によって分類がなされたことはあった※1。

 

 この一連の研究は文明を一般的な概念によって分類することを一つの大きなテーマとしてきている。文明をある意味、標本として展示していきたいという思いがあった。要はどのようにしてそれぞれ文明の個性を説明できるか。一般的概念を使うことによってより分かりやすく表現できるか。それがやりたいことの大きな柱であった。

 

 ここから文明の分類方法を簡単に振り返ってみよう。まずその形態的※2な特徴によってまずは大きく二つに分かれていくこととなる。

 四つの「文明」とその他の多くの「準文明」がそれである。

 そして四つの文明は二つの一般的概念によって分類され、準文明は四つの一般的概念によって分類されていくこととなった。

 

※1 文明の個性によって分類がなされたことはあった

 トインビーの「歴史の研究」では親文明、子文明、発育停止文明、流産文明といった文明概念が出てきた。またそれ以外に21の文明社会の存在が提起されていた。しかしこの21の文明は一般的概念によって分類されたものでなく、その個性によって分類されたものといっていいだろう。文明の名前は例えばエジプト文明だとか、アンデス文明だとか固有名詞でつけられている。観照対象である文明の個性をダイレクトにとらえてきたというわけである。しかしそれではオンリーワンの文明がそれぞれ存在するだけであり、それぞれの文明間には類似性はない。これでは共感や関係性は生まれてこないだろう。文明を唯一性的な個性でなく、一般的概念でとらえ、分類することは共感や関係性を構築する第一歩であろう。言葉をかえればユングのタイプ論のような方法で文明をタイプ化する試みともいえる。

 

※2 形態的な

 シュペングラーの「西洋の没落」の中で形態として文明をとらえるという考え方が出てきた。しかしこれは固体の形(構造)としての形態でなく、固体が時間と共に変化していくことを形態としてとらえているといっていいのではないだろうか。そう考えたうえで、その分類のいちばんはじめに文明と準文明を大別した。そのようにしたのは、その形態的な発展の仕方にそれぞれ違いが出てくるのではないかと考えているからである。「文明」は発展しても衰退しても、周辺のより小さな文明に影響を与え続けるだろう。それに対して「準文明」は独自のモラルシステムを持ち続けはするが、「文明」から大きな影響を受け続けることであろう。その影響の中心にあるものが「文明」における「モラルシステム」であり、これが広いか狭いかで文明か、準文明かということにもなってくる。したがって「文明」=「モラルシステム≒宗教」という式は文明論の中心にあるテーマともいえる。

 

 しかし「文明の研究」の中で示されたひとつの結論があった。個別の文明の形態変化によって文明が進化してきたのではなく、それら文明同士の関係性こそが、文明を生み出し、進化させてきたというものだった。

 

 その典型的な例としてイスラム文明とヨーロッパ文明の関係性が挙げられるかもしれない。この二つの文明の関係性が結果として現在の西洋文明を生み出した。この関係性の中でヨーロッパ文明の起動力の中心にあり続けた「欠乏」は克服され、西洋文明における軍事信仰と資本信仰を生み出した。

 

 文明論におけるこういう経緯は実は最も重要なことなのかもしれない。覇権の交代においても経済的な視点、資本主義的な視点から語られることが多い。しかし資本、軍事それぞれ単独では成立しえないものであろう。この問題を解明することがこの論文におけるもう一つの重要なテーマとなっていくことだろう。

 

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文明と価値1 (文明を考える上での理念型)

2022-11-06 11:35:17 | 論文

文明と価値

 

第1章 文明

 

  1. 文明を考える上での理念型

 

 文明の研究、準文明の研究と続けてきた。文明の研究の中では文明と時間ということで、主にトインビーの理論と文明との関係について考えてきた。文明の研究にはもう一人の登場人物がいた。シュペングラーである。シュペングラーについては文明と価値というテーマで後日考えてみたいとその中でいっていた。ここでは文明と価値について考えていくこととなる。

 

 しかしシュペングラーの「西洋の没落」は翻訳が分かりにくく(おそらく翻訳も大変だったのではないか)、アラビア文化の諸問題をはじめ、日本人である私には分かりにくいことが多々あり過ぎた。このため「西洋の没落」はいったん脇に置いておいて、シュペングラーの捉え方をヒントにしながら文明と価値の問題については日本の文化問題から事例を選びながら説明していくことにする予定である。

 

 文明と価値について考える前に、一方の概念である文明についてここで再考しておこうと思う。文明、準文明と考えてきたが、これら諸文明の考え方は文明を分類するための基準として、この一連の研究の中で提起してきたものだ。そしてこれらの概念はそれぞれウェーバーがいうところの理念型※として取り扱うことができるものであろう。理念型を考えることでそれぞれの個別の文明(文明、準文明)の姿を、理念型との対比によって、より詳細にとらえることができるようになるというわけである。

 

 ※理念型  

 ヴェーバーの社会科学方法論の重要な概念。理念として存在する概念であるが、観察対象の把握をそれとの近似によってとらえる。微分的な感覚の方法論的概念。

 

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