旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

さまざまに心ぞとまる宮木野の~ついでにアリとキリギリス

2008-10-01 01:17:27 | 花鳥風月
さまざまに心ぞとまる宮木野の花のいろいろ虫のこゑごえ
                          源俊頼(千載和歌集)


今年は、梅雨明け後からずっとぐずついた天候が続いてきた。「梅雨の時期よりも梅雨らしい」と皮肉りたくなったほどだ。

こんな中でも、一生懸命なやつがいる。濡れそぼる草木の根元で、夜通し鳴き続けるキリギリスやコオロギ。その鳴き声に賑やかさはもう無くて、切なくさえ思えてくる。

ところでイソップ童話の「アリとキリギリス」では、勤勉勤労のアリ、遊興放蕩のキリギリスと設定されている。この童話によって、キリギリスにはだいぶ分の悪いイメージが付きまとうようになってしまったようだ。ほんとうに気の毒なことである。

とはいえ、幸いなことに我が国には先の歌のように詠んでくれる人がいた。咲きこぼれるミヤギノハギ、彼岸花、尾花、ナデシコ、女郎花(オミナエシ)など、そして生の限りを尽くして鳴く虫たちの声々。それらには、さまざまに心が引かれてしまうと。

            
                             (庭のヒガンバナ)

「狭い我が家の庭にいて、夜な夜な鳴き続ける虫たち。彼らの思いや如何に?」
日増しに寒気が強まる中で、か細くなってきたその鳴き声を聞きながら、歌人でもないのに自分もまた、思いめぐらしている。


(蛇足)
1 この童話の原作では、キリギリスではなくセミ(蝉)だったという。しかし、セミは熱帯・亜熱帯 に生息し、地中海沿岸を除くヨーロッパではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編されたとのこと。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』で広まっている。(参考:ウイキペディア)
2 日本では、アリが気の毒に思いキリギリスに食べ物を与え助けたとされている。
3 しかし、海外では、アリは餓死したキリギリスを食べたとされているとのこと(奢れる者は必ず衰えるのたとえ)。
4 これが現代的解釈ともなれば、次のようなオチも付けられているらしい。とはいえ、ここまでくると、まさに“さまざま”となる。
○ アリは、働き過ぎで過労死した。働けばよいというものではない・・・。
○ キリギリスは、アリに音楽会の切符を売りつけて、そのアルバイトの収入で冬を過ごした。
○ キリギリスは、プロの演奏家になり、翌年以降も元気に過ごした。


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