映画監督の新藤兼人さんの戦争体験を、ドキュメンタリー・ドラマ化した映画である。

新藤さんは、1944年春、召集令状を受けて、32歳で広島県の呉海兵団に二等水兵として入隊。同年6月に兵庫県宝塚海軍航空隊に配属され、翌年上等水兵で敗戦を迎えている。
『陸(おか)に上(あ)がった軍艦』とは、陸上の宝塚で繰り広げられた“海上の軍艦”兵務もどきを揶揄(やゆ)したのであり、精神棒なるもので殴られ、年下の士官や下士官からは「お前らはクズ」と足蹴にされ、雑役に追い回された弱兵の戦記である。
アメリカ軍の日本本土上陸に備え、“切り込み隊”なる訓練がされた。靴を前後逆に履く(というよりヒモでしばりつける)。暗闇で帰ると見せかけ(足音を聞かせ)、切り込む戦法だという。子供でもアホらしいと思うそんなこともさせられる。
しかし、こうした弱兵も日本のために戦ったのだ。
こんなみじめな体験を、いや戦争そのものを誰も思い出したくはない。
だからこそ今、「伝えておきたいことがある」。
時代の証言者として、また軍隊という組織の不条理さへの憤怒(ふんぬ)として、95歳 新藤兼人の重く強いメッセージがここにある。

新藤さんは、1944年春、召集令状を受けて、32歳で広島県の呉海兵団に二等水兵として入隊。同年6月に兵庫県宝塚海軍航空隊に配属され、翌年上等水兵で敗戦を迎えている。
『陸(おか)に上(あ)がった軍艦』とは、陸上の宝塚で繰り広げられた“海上の軍艦”兵務もどきを揶揄(やゆ)したのであり、精神棒なるもので殴られ、年下の士官や下士官からは「お前らはクズ」と足蹴にされ、雑役に追い回された弱兵の戦記である。
アメリカ軍の日本本土上陸に備え、“切り込み隊”なる訓練がされた。靴を前後逆に履く(というよりヒモでしばりつける)。暗闇で帰ると見せかけ(足音を聞かせ)、切り込む戦法だという。子供でもアホらしいと思うそんなこともさせられる。
しかし、こうした弱兵も日本のために戦ったのだ。
こんなみじめな体験を、いや戦争そのものを誰も思い出したくはない。
だからこそ今、「伝えておきたいことがある」。
時代の証言者として、また軍隊という組織の不条理さへの憤怒(ふんぬ)として、95歳 新藤兼人の重く強いメッセージがここにある。
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