いよいよ雄島(おしま)へ。
手前には広い駐車場が整備されており、楽に車を置くことができる。ただし、県営の有料駐車場。
ここ雄島は、千松島(ちまつしま)とも呼ばれ、松島の地名の由来になったところであり、霊地。いまは観光地として名を馳せる松島だが、もともとは修行の地。かの『おくの細道』の松尾芭蕉が訪れたころは、まさにそのような聖なる土地であったという。
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赤い欄干の橋(渡月橋)を渡ると、すぐに左右に位置する石仏群が出迎えてくれる。この島の石仏や石碑は、その多くが真西を向いて立てられているという。東方の金華山の彼方から昇る太陽に向けての礼拝(火鈴様こうりんさま:東方に浄土あり)の観念の表れか、はたまたいわゆる西方浄土を祈願してのことか。
(注)松島町史通史編Ⅱの中の「古代・中世の松島寺」(著:入間田宣夫)では、「東方に向かって礼拝=東方に浄土あり とする観念の強さを思い知らされた」と記載されている。
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この島はかつて「奥の高野(こうや)」とも呼ばれていた。平安時代末の高僧、見仏(けんぶつ)上人の松吟庵(妙覚庵)の旧址、鎌倉後期の名僧 頼賢(らいけん)の碑(こちらは国の重要文化財)、瑞巌寺中興の祖 雲居(うんご)禅師の座禅堂跡などもある。
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さらには、崖面には岩窟が多数掘られ、石仏、石塔婆、五輪塔などが祀られ、戒名等が刻まれたものも多くある。(なかには、女性のものもかなりある。)
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島の全体に配置されたこれらの造形が、無尽の祈りとなって現在も厳かな雰囲気を漂わせている。
「松島に来る方は、必ず立ち寄って欲しい。真の松島の姿はここにある。」 そういう思いを募らせながらの歩きであった。
ちなみに、『おくの細道』に出てくる次の句の碑(右から2つ目)もここにある。
松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良
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(余談)
そうそう、この句碑のところで、年のころ18~19歳くらいの女性を案内していたおじさんが、力を込めて語っていた。
“芭蕉がこの地の風景の美しさに言葉を失くし、「松島やああ松島や松島や」と詠んだなどとけっして言ってはならぬ。そんなことを言ったら、自分の無学さをさらけ出しているようなものだ。”
次は、野蒜築港跡に向かう。・・・(続く)
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(スケッチを楽しむ人)
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(観光船が来た)
手前には広い駐車場が整備されており、楽に車を置くことができる。ただし、県営の有料駐車場。
ここ雄島は、千松島(ちまつしま)とも呼ばれ、松島の地名の由来になったところであり、霊地。いまは観光地として名を馳せる松島だが、もともとは修行の地。かの『おくの細道』の松尾芭蕉が訪れたころは、まさにそのような聖なる土地であったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/60/aefbf5f3cccc02a3825908e0d57d5eee.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/5e/2cb2c70ba840b6d5d26d23ebdcc8edf6.jpg)
赤い欄干の橋(渡月橋)を渡ると、すぐに左右に位置する石仏群が出迎えてくれる。この島の石仏や石碑は、その多くが真西を向いて立てられているという。東方の金華山の彼方から昇る太陽に向けての礼拝(火鈴様こうりんさま:東方に浄土あり)の観念の表れか、はたまたいわゆる西方浄土を祈願してのことか。
(注)松島町史通史編Ⅱの中の「古代・中世の松島寺」(著:入間田宣夫)では、「東方に向かって礼拝=東方に浄土あり とする観念の強さを思い知らされた」と記載されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/1b/3e3c9116cc7c74737727e33f6f46e325.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/40/bd097b1ea9f673857081dba466335f9b.jpg)
この島はかつて「奥の高野(こうや)」とも呼ばれていた。平安時代末の高僧、見仏(けんぶつ)上人の松吟庵(妙覚庵)の旧址、鎌倉後期の名僧 頼賢(らいけん)の碑(こちらは国の重要文化財)、瑞巌寺中興の祖 雲居(うんご)禅師の座禅堂跡などもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/52/e4f241b2c2e0803e7b1bfe6712385949.jpg)
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さらには、崖面には岩窟が多数掘られ、石仏、石塔婆、五輪塔などが祀られ、戒名等が刻まれたものも多くある。(なかには、女性のものもかなりある。)
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島の全体に配置されたこれらの造形が、無尽の祈りとなって現在も厳かな雰囲気を漂わせている。
「松島に来る方は、必ず立ち寄って欲しい。真の松島の姿はここにある。」 そういう思いを募らせながらの歩きであった。
ちなみに、『おくの細道』に出てくる次の句の碑(右から2つ目)もここにある。
松島や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d9/cff69d8a84d8dbe3f16c73c10284cb81.jpg)
(余談)
そうそう、この句碑のところで、年のころ18~19歳くらいの女性を案内していたおじさんが、力を込めて語っていた。
“芭蕉がこの地の風景の美しさに言葉を失くし、「松島やああ松島や松島や」と詠んだなどとけっして言ってはならぬ。そんなことを言ったら、自分の無学さをさらけ出しているようなものだ。”
次は、野蒜築港跡に向かう。・・・(続く)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/61/5c86ae30d2b54d73832096fb2be8f163.jpg)
(スケッチを楽しむ人)
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(観光船が来た)
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