旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

松島の双観山と雄島に(続き)

2008-09-08 23:49:57 | 水の道逍遥
いよいよ雄島(おしま)へ。

手前には広い駐車場が整備されており、楽に車を置くことができる。ただし、県営の有料駐車場。

ここ雄島は、千松島(ちまつしま)とも呼ばれ、松島の地名の由来になったところであり、霊地。いまは観光地として名を馳せる松島だが、もともとは修行の地。かの『おくの細道』の松尾芭蕉が訪れたころは、まさにそのような聖なる土地であったという。





赤い欄干の橋(渡月橋)を渡ると、すぐに左右に位置する石仏群が出迎えてくれる。この島の石仏や石碑は、その多くが真西を向いて立てられているという。東方の金華山の彼方から昇る太陽に向けての礼拝(火鈴様こうりんさま:東方に浄土あり)の観念の表れか、はたまたいわゆる西方浄土を祈願してのことか。
(注)松島町史通史編Ⅱの中の「古代・中世の松島寺」(著:入間田宣夫)では、「東方に向かって礼拝=東方に浄土あり とする観念の強さを思い知らされた」と記載されている。





この島はかつて「奥の高野(こうや)」とも呼ばれていた。平安時代末の高僧、見仏(けんぶつ)上人の松吟庵(妙覚庵)の旧址、鎌倉後期の名僧 頼賢(らいけん)の碑(こちらは国の重要文化財)、瑞巌寺中興の祖 雲居(うんご)禅師の座禅堂跡などもある。











さらには、崖面には岩窟が多数掘られ、石仏、石塔婆、五輪塔などが祀られ、戒名等が刻まれたものも多くある。(なかには、女性のものもかなりある。)







島の全体に配置されたこれらの造形が、無尽の祈りとなって現在も厳かな雰囲気を漂わせている。

「松島に来る方は、必ず立ち寄って欲しい。真の松島の姿はここにある。」 そういう思いを募らせながらの歩きであった。

ちなみに、『おくの細道』に出てくる次の句の碑(右から2つ目)もここにある。

   松島や鶴に身をかれほとゝぎす     曾良



(余談)
そうそう、この句碑のところで、年のころ18~19歳くらいの女性を案内していたおじさんが、力を込めて語っていた。

“芭蕉がこの地の風景の美しさに言葉を失くし、「松島やああ松島や松島や」と詠んだなどとけっして言ってはならぬ。そんなことを言ったら、自分の無学さをさらけ出しているようなものだ。”


次は、野蒜築港跡に向かう。・・・(続く)



(スケッチを楽しむ人)


(観光船が来た)


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