旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

遺伝子の中に組み込まれた遠い縄文の記憶

2006-03-27 00:56:45 | 日々雑感




鮭が生まれ育った川に帰るように、どうやら人間もまた故郷に向かうらしい。
実際に帰郷するということもあるだろうし、歳を重ねるごとに思いを募らせるということもあろう。
また、料理の好みが子供時分に食したものに移っていくのを感じて、逃れがたい故郷意識を自覚することもあろう。

まさに、わたしがこれと同じ。
石川啄木の短歌に「ふるさとの山にむかいていうことなし ふるさとの山はありがたきかな」というのがある。
この歌に込められた深い感情を別にすれば、文字どおり我が心情そのもの。
そして、何より飾らない山菜料理が好きときている。
目の前に“大トロ”と“フキやぜんまいの煮しめ”出されたら、もちろん後者に箸がいく。

もうかれこれ10年近く経ったが、宮城大学のある人と話をしていたときにふと自分の脳裏に浮かんだ「遺伝子の中に組み込まれた遠い縄文の記憶」。

このフレーズは格好良すぎるなとは思いつつも、自分としては結構気に入っている。
縄文時代は、弥生以降の時代よりずっと長い歴史を持つから、日本人の深層心理に大きな影響を及ぼしているはず。
それ以来、地域活性化の方策を探る上で、このフレーズをベースに置くことができないか考えている。

例えば、狩猟採集に生きる術を託していたはるか昔の縄文の人びとに学ぶイベント。
現代のタケノコ狩り、キノコ狩り、ブドウにリンゴ狩りなどはまさにこの類ではないか。
(紅葉狩りなどといった風流を楽しむものは、弥生系の流れをくむものかどうか?それは知らない。また、野生動物を狩るのは反対者が多いだろうけれど・・・。渓流釣りは許容範囲?)
年配者に人気の高いハイキングにトレッキングなども、見方を変えれば狩猟採集の行動と同じと言えないだろうか。

「遺伝子の中に組み込まれた遠い縄文の記憶」を揺り動かす、そうした企画ものを組み立てることができたら、結構都会人を呼び戻せるのではないか。
そんなことをバッケ味噌(ふきのとうの味噌いため)を食べながら思っている。

写真提供 / 北の大地の贈り物   ⇒ こちら


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