悪魔と踊ろう

犯人は警察幹部の親類だった。身内をかばう獣道で、犯人を割り出した警察官は、ミミズのように蒸し込まれた。ここは日本か?  

地鳴りの墓 (下)

2014年09月28日 14時30分27秒 | 荒雑録
               地鳴りの     (下)






山里・全体(写真は“日本の山里・全国版”~事件には無関係)

 山里の道を遠くから見れば、車が走る車道しか見えない。
~それはコンクリートを使ってできた道で、大昔からの道は山裾にある。

車が走る道沿いに、一列に並んだ山里の家。

が、家の裏側には、
江戸時代以前から踏み分けた “三尺道” が~あらゆる方向に走っている。

“三尺道” とは、
昔々~牛・馬が農作業をした時代。
道幅は三尺(約90㎝)あれば充分だった。

三尺の道は、隣近所から田畑へ~山の尾根へ~…………………………
尾根を越せは、村外へ~どこにでも行ける森林の山道だ。

しかも車社会になってからは、
人々の関心はコンクリート道路しか眼中にない。
だから~三尺道は誰の目にも触れず~どこにでもいける不思議な道だった。

 戦争中から戦後のドサクサには “密造した酒・焼酎” を背負い、
取り締まりの眼を逃れ、町まで運んだ。~これが、いい金になった。

    “密造” したモノは “無税” だ。~これほど便利な道はない。

     “密造酒” と共に、三尺道は踏み固まった。


   誰にも見られない、不思議な山里の道を老婆が一人、
  鎌(カマ)を持って歩いていた。

鎌は草刈り用のカマだ。~山里では普通の光景。
鎌で畑に生えた草を刈る。その為にイツモ持ち歩く。

一見、働き者の元気な婆さんは、地元では “東京婆さん” と呼ばれていた。
東京から帰って来た婆さん~だから “東京婆さん” だ。


 日本の高度成長期~1950年代、60年代の日本は
地方に住む若者の多くは、中学校を卒業したのち

経済的な理由から高校へは進学せずに仕事に就いた。

これら中学校を卒業したばかりの “15歳・16歳” の若者を
工場労働力として青田苅りしていた時代。

地方の一中学校から “10人・20人” と・まとめて就職者を募り、
それを就職列車を仕立てて、都会へ移送した。
集団就職・おめでとう


これが低賃金で、戦後の日本復興を支えた陰の功労者だった。

 雇用主は、重労働や低い生活水準に慣れている
若い未熟練な田舎出身の労働者を

     「金の卵」と呼び、好んで雇った。




“東京バーさん” は、10歳で母親に捨てられた。
(父親は、10歳から肺結核の為に入院していて、12歳の時に病死)


 昔は子だくさんだ。
最初に生まれた子と、一番下の子は、親子ほどの歳の差があったのは珍しくない。

“東京婆さん” は、末っ子でだった。
兄嫁と母親が不仲の内で “厄介者” の様に育てられ、
兄嫁にいじめられて、本当に辛い思いをした。


ようやく中学校を卒業して、
~「食い減らしのため」就職列車に乗った。ふる里には鉄道が通っていない。
集団就職・セーラー服

朝早く20㎞以上の道を~乗合バスで~やっとのこと、川を超え
この地域の中心地にあるバスの駅までたどり着く

~そこから、さらに30キロ以上の道をバスに乗り、やっと鉄道の駅に着いた。

SL(蒸気機関車)を見るのも珍しかった時代。

「金のたまご」だと言われて、
修学旅行の延長のような気分で、集団就職列車のSLに乗り、
東京駅に着いたのは、夜遅く~やっとの事だった。
集団就職・駅に着く


駅の構内では、就職先の人が迎えに来ていて、列車の中で知り合った友も
会社の人に連れられ 5人、10人と少なくなってしまう。

食べ盛りの若僧も、腹を空かしてホームに座り込むようにしていると、
就職先の担当者がプラカードを持って探してくれていた。


 これから先が、本当の地獄だった。

“東京婆さん” は、大手繊維系企業の工場に入った。
自動車のブレーキライニングを作っている工場だった、

高さ3~4メートルもある巨大プレス機を年若い女の子が扱った。

工場敷地内に寄宿舎と定時制高校を設置してあり、
募集要項に「高校進学ができます」という文句を歌(うたう)っていた。

で、一日のスケジュールは、寄宿舎で起きると日中は工場で働き、
仕事が終わると、敷地内の夜間高校で勉強というものでした。

もちろん~その頃は、まだ休みは日曜だけだから、
工場敷地から外へ出るのは日曜だけ。
かつて女工哀歌とされた明治・大正時代を彷彿させるような就労環境だった。

いつの時代にも、あることだが
都会の生活や仕事環境に幻滅した。と、いう理由で、故郷へ戻った人もいたが、

実家が貧しいから、すんなり帰れる状態ではなかった。

慣れない生活苦からくる精神的疲労から
17歳の時に顔に白癜(しろなまず)という病気で、
顔や首の皮膚が白くなる不治の病気にかかった。

白癜(しろなまず)とは、
尋常性(じんじょうせい)白斑(はくはん)病の通称名で

白斑病とは、突然皮膚の色が抜け、白い斑点ができるものです。

白斑病は後天的なもの(遺伝的ではない)で、
美容的な皮膚の問題以外に身体への影響はない病気なので、

今なら色んな療法があるだろうが~この当時は、三大難治皮膚病とも言われ
なかなか治りにくい皮膚病だった。

伝染することは無いが、
仲間からは「気持ちが悪い、移されそうで怖い」と言われた。
早く、この場所から逃げたかった。

美形の子は、もっと条件のいい “夜の職” に転向する子が多かったが
~白癜(しろなまず)では無理だ。

汽車に乗るのも初めてだった、田舎の小娘に出来ることは~ただ耐えるしかない。

   ……~ほかに方法が無かった。
                  ただ~裸電球の下で~………………耐えた。


 年頃になって、体だけが目当だったタチの悪い男に、
オモチャにされた事もあったが、他に行くとこが無い。

たった一つ良かった事は、故郷の兄嫁が病気で亡くなった。
 ~あと少し働いて、年金が入るようになったら~故郷へ帰ろう。

これだけが生きがいになった。



 これが “東京婆さん” の経歴だ。~普通なら、これで終わりだ。
が、生まれ故郷に帰ってみると、
数十年前~中学校当時~学校ではデキが悪かった金持ちの娘が

~そのまま~金とコネで~学校の先生になっていた。
~今や高額の年金生活者となり
人から “先生・先生” と言われながら、村の行事の世話役になっていた。

他にも~もう一人~また、もう一人。
同じ様なアホが、
田舎のコネで、上手に~ノンビリと人生を乗り越え、年金をもらいながら

村の指導者的な役目に座り、なつかしそうに “東京婆さん” に声をかけてきた。
“東京婆さん” は関東の “江戸っ子弁” で
スマートに “粋” な返答をしたが、内に秘めた心は

やっぱり “人生は銭” かとの思いが強烈に湧き上って来た。


山里・三尺道


 “東京婆さん” は、誰にも見られない “三尺道” を歩きだした。
手には “鎌” を持っているが、この付近では草を刈る為に誰でも持っている。

三尺道は~畑へ~隣の集落へ~尾根へ~どこまでも通じている。
                                    
竹藪から顔を出し、
畑で熟れているスイカに、鎌で浅い切れ目を入れた。切ると、2~3日で腐りだす。

モモやナシも、同じように浅く切った。
       「~どうせ年金暮らしのアホが、暇を持て余して作ったモノじゃ」

なにか~得体のしれない憎しみが沸々と煮えたぎってくる。
“なぜ?” と言われても解らん。ただ~快感を感じる。
  
            ************************************
                この様な事は、一度も無かったので “ウワサ” が駆け抜けた。
                 ~それと同時に “ウワサ” を話題にする際 

                本名で “ウワサ” をするのが “マズイ” ので、
                “東京婆さん” との名前(隠語)が村内に定着した。     
                      
                  ~つまり、この時点で~地元では “有名人” 
                    …………何も知らないのは、警察だけだった。
                ***********************************************




 “快感には限度が無い”

~最近~草を刈るより、薬で枯らす便利な除草剤が出回るようになった。
しかも強烈な薬らしく、隣村の集落では、

夏に噴霧器で、風下から除草剤をまき散らしていた爺さんが
畑で倒れて、病院に運ばれ、10日位で死んだらしい。

  ………………~病院で死んだら “病死か事故死よ”
             ~それだけじゃぁ~殺したわけじゃない。

              ~スイカを鎌で切るのと~同じ様なモンさ。


眼・日本人

  集落を走るコンクリート製の主幹道路は、一本しかない。

この一本に入る、出入り口の
~山の中腹に “東京婆さん” のあばら家(離れ屋)がある。

道路側に木製枠が少し曲がった、動かない窓がノゾキ穴の様にボツンとあった。

つまり~この集落に出入りする車の全ては、婆さんの家から観察できる。
しかも裏山には“三尺道”が、深い森林の中を静かに流れている。

時間だけは、ウンザリするほどあった。
まだ暗いうちに眼が覚め “また一日が始まった” と、思う。

~この瞬間が一番つらい。

窓の “ノゾキ穴” から見ると
~誰の車が~どちら側へ走ったか~手に取るようにわかった。

この村では、人の職業や趣味趣向まで、わかっている。
そこまで解れば、誰の家が留守か~車が無かったら~留守だ。

村の中じゃぁ~バスも走ってない。
車かオートバイが無かったら、買い物にもいけん。
足が無いのと同じじゃ~足をみりゃぁ~留守かどうか解る。聞くまでも無い。

    “東京婆さん” は、無言で動けた。
             ………………~今日は、あの家が留守だ。

     ~“三尺道” からユックリ流れ出た。
           まるでイカダに乗っている様に~音も無く歩いていく。

手には、いつもの鎌を握っているが
モンペ(ズボン型の野良着)のポケットには、除草剤が入っていた。

鍵をかけてない留守宅の裏手は、ハンで押したように山があり、三尺道が通っている。
三尺道から台所に入るのは、婆さんの “あばら家” に入るより簡単だ。

台所に必ずあるものは、醤油だ。ショウユが無い日本の家はない~ココは村だ。
~必ずある。しかも一升瓶で。

一升瓶の中には、7分目~8分目位の醤油が入っている。
これに除草剤を半分ぐらい入れたら~ずいぶん薄くなるから~すぐに死ぬ事はあるまい。

醤油は毎日使うものだから、徐々に少量の薬が入る。
      …………死ぬことはない。病院へ行くだけだ。~たいした事じゃぁ~ない。

        
 …………緊張感の中で~最高の快感を感じながら、2度3度と繰り返した。

やがて吉報が届いた。二人入院・一人通院。(その後~全員病死)
                              (たぶん~それ以上?)
   
……病院へ行くんなら病気だろう~“病は気から” と言うだろうょ~病気だよ。

が、一つ気になる事がある。

“三尺道” を動いているとき、
何度か知り合い(御近所)の山師(木の伐採・運搬・販売等)に会った。

~ちょうど、その付近で仕事をしていた。(複数の作業員・遠目の山師の目撃者)
何回目か近くで顔を合わせた際、山師が “歩いているだけ” の婆さんを見て

       「散歩かい?…………」と声をかけた
          
          …“この村で、鎌を持って散歩なんかするか” ボケェ~


この一言が気になった。

          …“もう一人だけ、病人を増やすか”

ヨケイナ事を言った山師は “病院へ行ってもらう”
~たいした事じゃない~病人が一人増えて~病院がもうかるだけだ。

“東京婆さん” には、
除草剤を配達する “この作業” が “ベテラン” の域に達していた。
              

          ……~たいした事じゃぁ~ない。

いつものように “三尺道” を流れ~知り合いの山師宅へ~

台所の醤油を取り出してみると、
    一升瓶の半分以上使っていたが、いつものように除草剤を入れた。

  2~3日は、何も起きなかったが
山師宅では、年に数回は御馳走(すき焼き)を食べる習慣がある。

昔~牛肉は、高価なゼイタク品だった。
~ステーキなんて、家庭では見たことが無い。
映画の中で “アメリカ人だけ” が食える肉だ。

……~“すき焼き” 以上の料理は、日本には絶対ない。
                          ~ステーキは非国民の喰い物だ。

…………あんなモン喰っているから~アメリカ人は、ハゲが多い。

           …~ホントかナぁ~…と、思いながら~土佐の田舎で育った。




 山師の食欲は絶大なもんだ。
空気がキレイな山奥の山村で、一日中重労働する山師は、

俗に言う “山師の一升メシ”

飯を一升食う “一升飯” と言われていた。
酒もメシも、一人で “一升” たいらげる。
と、例えられる大飯ぐらいが多かった。

それが~久々ぶりにスキヤキで晩飯となった。

焦げ付かないように、たっぷり汁を入れ
野菜や肉と一緒にウドンを入れて堪能するまで食った。

汁を多くしたのは目的があった。
    ウドンは汁を多く吸うから、初めからダシが出た汁を多めに……………

そして~
      ~久し振りのスキヤキは、一度で終わるのはモッタイナイ~

この様な場合。
現在の都会の若者には、理解できないだろうが。
~翌日アマリを食った。

つまり、
  その時食べたスキヤキの鍋を、その日に洗って仕舞うのがホントだろうが
            ……………………~それじゃぁ~そこでスキヤキが終わる。

だから~洗わずに、そのまま残して翌朝~再挑戦する。

これで~二度・すき焼きが食える。

………美味しく食べる・とか
     ~上品に食べる・とか
      ~そんなモン、土佐の田舎にはなかった。

徹底的に食う。
山師はスキヤキを残して、翌日の弁当に詰め込んだ。

山師の弁当カン~
この当時は、大きく・ひろい~金属製の箱。(弁当カンのカンは、缶の意味)

重箱よりは小さいが、
メシとオカズ(スキヤキ)を山モリに入れ、上からスキヤキの “汁” を

タップリかけた “汁カケ飯” の上から、
弁当カンのフタを~ギュウ~と押し込むと
メシがギュウ~と “圧縮され” 最大限のメシが入る。~容量の倍は入る。

 山師は、容量の倍は入った “巨大な弁当カン” を持って山仕事に出かけた。
…………………………“東京婆さん” の思惑で計算した数倍のパラコートを持って

いつものように汗をかき重労働に精出し、
全身の血液へ、内臓から吸収したエキスが廻った午後~山師は倒れた。

…………………そのまま病院へ運ばれたのだから病気だろうが、早すぎた。

山師の食欲は “東京婆さん” の思惑の数倍。
たぶん~除草剤の濃度もイツモより濃いかった。

“病気になった者” の原因と結果を、最も詳しく理解している婆さんは
    
   やがて~………~警察の足音がする~足音がする~足音がする~~~~~~

と、独り語を~繰り返し~繰り返し~繰り返し~~~~~~~~~~~~……………………

眼・黒

 …………不眠症とノイローゼ的な症状で、
             自宅付近の草むらに~隠れた警察官を探す様に
                   …………家の周りを徘徊する様になった。
                       

徘徊したから~見た人がいたのだろう~その後、即・精神病院に入院した。

田舎では、特に山村では
 ………………………~これは、非常に悪い言い方だが

よほど悪くならないと、この種の病院へ “入院” させない。

一族の者から “病” が出れば、村内の全てに知れ渡る~ウワサが走りだす。
                   ~だから自宅監禁された気の毒な事例がある。

虫歯と精神病は、早く病院へ行くほど治りが早いものだが、
僻地では~そうはいかない。

が、“東京婆さん” は、ノイローゼ程度・不眠症程度で早々と入院した。

      ……つまり~と、思う。
                周辺の身近な人達は、充分な認識があったのだろう。

“知っていた” とは言わない。

“充分な認識” が有った。
~だから “隔離” (病院)した。~逃げ込み寺だ。
      …………………………~このくらいは、言ってもいいだろう。


 しかし、その必要はなかった。

こっけいな “蛇足”~
       …………婆さんは、ヘビの絵に足を書いた。



 警察は “墓を掘った” ~“腐乱した膨満死体” を解剖した段階で

  すでに “収束宣言” の結論を用意していた。

           いや逆だ、“結論ありき” で “墓を掘った”

           ………………“結論の型” を整える為に “墓を掘った”
                                 
                        “墓掘り” は “お絵描き” だ  

                           ~自分は自分で守るしかない。

“お絵描き” をしながら上手に “↑上↑” へ ,
      …………………………県 警察本部 へ 御報告したんだろう。

~この刑事課長は

    ……出世街道を驀進(ばくしん)した。





   バカな “墓掘り” をしたのは、警察学校を出たばかりの
 
            クソ若造の~新米アホ警官だ。

                  ~オレの事さ、大ボケ野郎だ。

大ボケ野郎のクソ若造は
その後~何とかして~警察をヤメて、足を洗って正業に就こうとした。

一時期、独学で猛勉強して “社会保険労務士” の国家試験を取った。
都会なら~これでヤメだ。

が、不景気が続き~田舎の大企業(土建会社等)が、次々に倒産する中で
子供は進学~就職~女房は病気になって~結局何もできず

また気を取り戻そうと、一頑張りしたところが
またまた~四万十川の辺で、警察によって隠蔽された “警察犯罪”

                    「銀行員失踪事件」(悪魔と踊ろう)に遭い

ミミズの様に生きていく羽目になって、やっとこさ~定年より4年早く警察をヤメた。

大ボケ野郎の “墓掘り” から34年たって
    クソ若造の~新米アホ警官も中高年のクソオヤジになった。

60歳を過ぎ、後どのくらい生きるのか~
  ぼんやり、物思いにふけりながら田舎道を歩いている。


  遠くで~稲刈りの準備をしている田んぼの中に、
作業の邪魔をしている~無用のカカシが、一本足で笑いながら立っていた。
カカシ

脳ミソの中まで、ワラでできたカカシは、
       使う時も・捨てられる時も~笑えるもんだ。

まるで粗大ゴミの様に~~~
………………最初から~最後まで、笑いながら使われ~
                       ~笑われながら捨てられるピエロを~~~

なにか~自分を見ている様な・親しみと・あわれみを感じた。

  
   34年たった秋
          ~カカシにひかれて、腐乱死体を掘り出した墓を見たくなった。


~あれから34年
寒村は益々寒村に~すでに限界が過ぎたかのように、だれも歩いてなかった。
動いているのは、風に揺れる竹かススキの穂~村の亡霊か、他には動けない。

あの時の事件関係者は、皆さん全員~亡くなられた月日が流れた。
もし生きておれば、110歳を超えた人もいる。
              ………………………~それは~ないだろう。

みんな死んで、墓に入っている。
墓の中で何をしているのか、もし世間で話題になる死後の世界があるのなら

この大地を引き裂くか
~せめて、秋風のメロディ~♪で “地鳴り” ぐらい歌ったら~~♪~♪~~~~~♪

少しは、、マシな世の中に成るのかもしれない。

         ………………カカシは34年前の夢を山里に見た。 




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