Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

間奏曲-表現と機能

2007年09月25日 | Weblog
60年代における美術側からの写真活用法、あるいはさらにさかのぼってのシュルリアリズムやデュシャンの写真活用法。ここまで武蔵野美術大学の大学院での講義を再録してきたのですが、ここでちょっと間奏曲めいたものを。なぜ、シュルリアリズムやデュシャン、ポップアート、コンセプチュアルアートにおける写真の活用に関心をもつのか。一言で言えば、写真における「表現」から「機能」へのシフトです。

これは写真のみならず芸術一般に言えることなのですが、表現そのもの-いかに表現するか-から、写真は、あるいは芸術はいかに機能しているのか、いかに機能するのかに関心のシフトが移行したことです。写真に絞って言えば、モダニズム写真がいかに表現するかにこだわってきたとすれば、前述した美術における写真の活用は、写真というイメージがいかに機能しているのか、いかに作動しているのかに関心を抱いたということです。

とはいえここで、「だから、いかに表現されているかには無関心になった」ということではない。「いかに機能しているか」は当然ながら、「いかに表現されているか」と密接な関わりをもっているのですから。ただ、「いかに機能するのか」という観点から、「いかに表現するか」の問題が再提起されるということです。「いかに機能するか」の観点に立てば、おのずと表現そのものも変化せざるを得ません。

芸術が世俗化(商品化)していくなかで、とりわけ写真の使用はつねに「芸術」と「一般社会」の二つの領域のなかで、きわめて横断的な使われ方をされるなかで、芸術が、あるいは写真というイメージが社会のなかでいかに機能しているのか、いかに作動しているのかを考えざるをえなくなったということです。

表現から機能へとシフトするなかで、では写真表現はいかに変化していくのか。写真のデジタル化とともに、ここに大いなる関心があります。では引き続き、講義の再録を継続します。何か、質問、異見、反論があれば、気軽にお寄せください。




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