Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 10

2013年12月06日 | Weblog
現代美術は、なぜ、写真に着目したか?(後半)
「1970年代へ 写真と美術の転換期」展(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku)

引き続き、植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品を参照にして、「現代美術は、なぜ、写真に着目したか?」について考えてみたい。

前回、不覚にも、最後の文章で「メディア批判(表象批判)という文脈から、一度外してみる必要があるのではなかろうか」と、メディア批判と表象批判をあたかも同じであるかのように扱ってしまった。言うまでもないが、メディア批判と表象批判は同じ範疇に属するものではない。もちろんわれわれの意図は、植松らの作品を両方の批判の文脈から外してみることにあるのだが・・・・・・。まずはここから論を進めてみたい。

そもそも表象批判とは、何か?表象=re-presentationとは、reという接頭語が示すとおり、再-現前のことである。つまり、何か予めあるものを代理することであり、媒介されたものである。前回、現代美術が写真に注目した理由の一つに、モダニズム美術を標的にした反芸術性を挙げた。写真がもつ様式性の欠如(反創造性)や非人称性(反作家性)、主題の凡庸性(主題のヒエラルキーの撹乱)等々の非芸術性がモダニズム美術への批判につながったことになる。モダニズム美術の純粋性に対峙された、これら写真の雑種性の核心にあるのは、写真がもつ直接的な現前であろう。つまり、媒介なしの現前性=presentation。あらゆる美的慣習や約定を回避した(媒介なしの)、事物そのもの現前。この写真の現前性という機能を成り立たせているのが、写真のインデックス性という性質であることは言うまでもない。したがって、現代美術(ポップアートやコンセプチュアル・アートなど)が写真に見出した非芸術性とは、表象に対する現前ということになろう。見えるものの具体的な豊かさが表象によって覆い隠されている、慣習化され、コード化された表象のreを引き剥がし、ものそのものを現前させること。写真による絶対的な類似性の現前。表象という着衣に対する現前という裸性。これらが写真による表象批判と言われるものであろう。

では、もう一つの写真によるメディア批判とは、何か?それは写真というイメージを中心とした現代の視覚文化を批判することである。メディアや広告が作り出すイメージがわれわれのものの見方を一義的に制約している、そこには商品や権力のメッセージ(暗号)が潜んでいる、それをあらわにし、暴くこと。そのメディアや広告のコアにあるものが、写真というイメージの客観性や真実性、記録性といった機能である。したがって、写真によるメディア批判とは、写真の内在的、自己言及的批判となるだろう。こうした写真によるメディア批判の典型的な試みが、アラン・セクーラやヴィクター・バーギンのそれであろう。

ここで誰もが一つの疑問を喚起されるだろう。前者の写真による表象批判が、写真という機能の現前性(インデックス性)を根拠にしているとすれば、後者のメディア批判は写真の客観性や真実性、記録性を支える現前性を批判していることになる。現代美術が写真に着目した、表象批判とメディア批判とは、お互いに矛盾することなのだろうか。

われわれはここで、ロラン・バルトが辿った写真の見方を参照することができるだろう。記号学者の時代の初期バルトは、まさに写真というイメージを標的に、写真というイメージの神話作用を解剖し、メディア批判を行った。「注意せよ、あなた方が目に見える自明の事柄とみなしているものは、実は暗号化されたメッセージであって、それによって社会や権力は、みずからを自然と化し、見えるものの言葉なき明証性のうちにみずからを基礎づけることで、自己正当化をなしているのだ」。写真はその作為性を現前性(インデックス性)という機能によって自然化してしまうということである。ここでバルトが行っているのは、写真を標的にしたメディア批判である。しかも、そこで批判のターゲットにされているのは、写真の言葉なき明証性(コードなきメッセージ-現前性)であることは明白であろう。

ところが、周知のように後期(『明るい部屋』)のバルトは、ストゥディウムとプンクトゥムという概念によって、その言葉なき明証性を高く評価していくことになる。実はストゥディウムとプンクトゥムの絡み合いこそが写真であったにもかかわらず、後期のバルトは後者のプンクトゥムに写真の本質を見出してしまったということである。もちろんバルトは、ストゥディウムに対するプンクトゥムはけっきょく主観的なものにすぎないとして、“それはかつてあった”という時間的な隔たり=他性にその根拠を求めていくことになるだろう(この時間的な隔たりとプンクトゥムの関係は、問題化するに値するテーマではあるが)。いずれにしても、後期バルトが行っているのは、写真の現前性(裸の事物の現前であれ、過去という時間の現前であれ)を根拠にした表象批判と言えるだろう。

記号学者としてのバルトと、『明るい部屋』のバルト(テクスト分析のバルトと、テクスト悦楽のバルト)。この写真に対するバルトの二つの態度は、そのまま前述した表象批判とメディア批判につながるであろう。ここで再び、先の疑問-表象批判とメディア批判の矛盾が浮上することになる。一方が写真という痕跡にあらゆる表象から逃れた事物の裸性を見出すとすれば、他方は痕跡に刻まれた暗号(隠されたメッセージ)を解読しようとする。いずれにしても、ここで写真は言葉なき無言の痕跡ととらえられている。一方はあらゆる饒舌(物語)を無効化する、あるいは拒絶する絶対的な無言としての自然。他方はあらゆる暗号(物語)が隠された絶対的な無言としての自然。けっきょく、表象批判もメディア批判も、写真を絶対的な無言の自然ととらえているということである。他性としての絶対的な自然。

ここで改めて、植松奎二らの作品を見てみよう。彼らの作品からわれわれはどのような知覚経験を得るのだろうか。彼らの作品はいったい何を意図しているのだろうか。

例えば、植松奎二の「見ること」シリーズや「Seeing」シリーズを見てみよう。これらの作品は一見すると、クラウスが「指標論パート1」で“指標のパノラマ”と呼んでいたデュシャンの「おまえは私を」を思わせる。まず一枚目の写真は指し示される石が写され、二枚目は石を指し示す指・腕の影が写され、三枚目では前二枚に実体としての指・腕が写されている。ここで演じられているのは、指し示すこと(指標記号)の三重の戯れである。一枚目は写真自体が石を指し示し、二枚目はその写真の指標的構造をあらわにするように影が写真によって指し示され、三枚目では同時に三つの指標自体を写真が指し示す。写真による写真の指標構造をあらわにする試みと言えるだろう。この三重の構造は、若江漢字の「絵ノ具」や「新聞紙‘73」にも同じようにある構造だ。この三重の構造とは、物、記号(表象)、そして写真(物と記号を同時に指し示す写真というイメージ)と言えるだろう。この三重の戯れとは、ズレを経験することであり、誰もがコスースの「One and Three Chairs」を思い起こすだろう。

眞板雅文の作品「Lumiere.No.2」もまた、ある場所を写した写真を、その場所に重ね合わせることによって、見る者にズレ(二重性)の体験を強いる。このズレ、隔たりの経験は、クラウスがマン・レイのゾラリゼーションに対して、遅延の感覚=間隔化と呼んだものである。そして高松次郎の「写真の写真」。前回、この作品について、「写真が写真に撮られることによって、複写された写真が1枚の紙にすぎないとわれわれが知覚するためには、写真を撮った写真が透明なメディアでなければならない」と書いたが、高松は写真に写された写真に巧妙な操作を施している。写真によって写された写真は、光の乱射によって不鮮明にされていたり、二重露出されたりしていることだ。これは清水穣がいみじくも「不在のインデックス」と語っているように(『日々是写真』所収「不在のインデックス-高松次郎の写真の写真」)、写真が指し示す実体(絶対的無言の自然)が不在であることを物語っているだろう。というよりも、写真によって絶対的な無言の自然が顕現するのは、ズレによって事後的に生じるのである。誤解を恐れずに言えば、プンクトゥムとはストゥディウムとのズレによって生じるものなのだ。プンクトゥムとはストゥディウムがあって初めて生じるのだ。だとするならば、ストゥディウムに対して、そのズレをもたすものとは何か?

いずれにしても、植松奎二らの作品が見る者に強いるのは、ズレの経験である。そこで提示されているのは、裸の事物の現前でもなければ、その暗号の解読でもない。いわば写真がもつ二重性(ズレ)の知覚経験そのものである。植松奎二らの作品は、クラウスが指摘するように、デュシャンをその先駆として、写真の機能そのものを絵画(あるいは美術)という表象に変えて、作品化したと言えるだろう。しかし、とするならばまたしても、そのズレをもたらしたのは、やはり写真がもつインデックス性という性質になろう。そう、ここでわれわれが提案してみたいのは、このズレをもたらしたのは、写真それ自体ではなく、見ることと言い表すことの関係、配分、配置を規定するイメージの体制そのものに起因するのではないかと言うことである。例えば、ジャック・ランシエールはその著『イメージの運命』(平凡社 堀潤之訳)のなかで、19世紀に起こった「表象的体制」から「美学的体制」への移行ととらえている。つまり、写真がこのイメージ体制の移行をもたらしたのではなく、逆にこの移行こそが写真に「裸のディスクール」(清水穣)をもたらしたということだ。このランシエールの視点は、論ずるに値する考え方である。

最後に、もし、われわれが植松奎二らの「写真と美術の転換期」に意義を見出すとすれば、現代のイメージ体制とは彼らが顕在化した二重性(ズレ)そのものであり、このズレを一つの関係性としてとらえなおし、例えば、ストゥディウムとプンクトゥムの関係性、絡み合いこそを問題にすることではないだろうか。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。