Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

コーカス・レース

2009年05月04日 | Weblog
迂回、そま道、けもの道。イメージの脱臼。

イメージの二つの機能。表象=再現前化(感覚-運動図式)を肯定する方向と表象=再現前化を疑問に付す(中断・宙吊りにすること)方向。言うまでもなく、広告的な写真は表象=再現前化的イメージを再認・追認する方向で、写真という表現形式を利用する。いかにして広告的なものから写真を救うか、あるいは区別するか(笑)。それが問題だ。

ドゥルーズによるイメージの時代区分を考えること。第一の機能-「イメージの背後に何を見ればよいのか?」。第二の機能-「イメージの表面に何を見ればよいのか?」。第三の機能-「イメージの背景がつねにすでに一つのイメージになっているとすれば、いかにしてイメージのなかに入り込んでいくか?」。(『記号と事件』)

このイメージの時代区分を写真史とダブらせれば、戦前から60年代までの写真が被写体(あるいは撮影者の理念)を問題にし(何を、どう撮るか?)、60年代から90年代までが写真というイメージそのものを問題にし(被写体とイメージ関係性とは何か?)、そしてデジタル化以降、イメージの実在性が疑問に付される(僕の言葉で言い直せば、被写体-客観性も、撮影者-主体も宙吊りにされるということだ)なかで、イメージの真理が問題にされることになるだろう。

アメリカの社会学者I・ウォーラーステインは、資本主義的世界経済における「資本蓄積の矛盾」について、高度に独占された生産物(中核)と高度に競争的な生産物(辺境)との基軸的分業を指摘しているが、これは芸術における「高度に独占された生産物=伝統的美術(たとえば日本絵画、あるいはアカデミズム絵画)」と「高度に競争的な生産物=現代美術」の分業に似ている(笑)。伝統美術と前衛美術、ファインアートと広告アート(サブカルチャー)、制度(国家的文化制度)と市場……。資本主義における「芸術(アート)」。われわれは社会における「芸術」の機能と価値について改めて再考(その歴史も含め)しなければならない。

最も理想的な民主主義社会とは、誰もがもはや官僚や政治家(代理・代表者)になりたがらない社会であろう。そのとき、代理・代表者はくじ引きによって選出されることになる。

本日、KAWADE道の手帖『中平卓馬』(河出書房新社)が発売。僭越ながら、僕も小論を掲載させていただいているので、ご興味のある方はご一読のほどを。こんな自己宣伝めいたものを書くのも、実は、再録された浅田彰の『中平卓馬という事件』の追記に、小原真史監督の『カメラになった男』について書かれた一文に眼を惹かれたからだ。というのも、浅田彰が言及しているシーンに、僕もこのブログで、以下のように書いたことがあるというのがその理由。

「まったく旧聞に属するが、小原真史監督の『カメラになった男』のあるシーンを思い出した。この映画は中平卓馬のドキュメンタリーだが、そのなかで、沖縄でのあるイベントを撮った場面(おそらくは東松照明の沖縄展?)があった。壇上には、東松照明を筆頭に森山大道、中平卓馬、そして港千尋が、さらに客席の横には荒木経惟がいる。これはまさに日本写真史の縮図であった。一人、東松にかみつく中平。苦笑いをしながら、超然さを装う東松。なかに入って「まあ、まあ」と言ってとりつくろうとする森山。爆笑しながら茶々を入れる荒木。そして何とかまとめようとする港。それぞれの写真観があらわれた瞬間であった-大笑。あらためて言うまでもないが、ぼくは中平卓馬の身振りに最も好感をもつ。あくまでも「敵」を明確にしようとする中平と、「敵」が不明確であることを「良し」とする輩。」

この同じシーンについて、僕よりもはるかに深い考察をしているが、浅田彰は次のように書いている。

「ステージに掲げられた『写真の記憶 写真の創造』というタイトルを見た写真家(中平卓馬のこと-引用者)は、まずそれに鋭い疑問を投げかける。アメリカ帝国主義が侵攻を続ける琉球=沖縄の現実を、「記憶」や「創造」-「アメリカ語で言えば『メモリー』や『クリエーション』-といった能天気な詩的観念で捉えられるのか。自分がかねて主張してきた「ドキュメントとしての写真」-歴史的現実の断片としての写真こそが、そこで求めれられているのではないか。見事な批判というほかはない。<改行>ヴィデオを見るかぎり、東松照明は老獪にも沈黙を守り、森山大道はそそくさと席を立つ。沖縄のことをどのくらい考えているのかと詰問され、自分は政治を抜きにした沖縄の「熱」に惹かれているだけだと答えて一蹴された荒木経惟は、「昨日一緒に踊ったのに」と言って情緒的な共同体への取り込みを図るのだが、中平卓馬はそんなことなど忘れたかのように(本当に忘れていたのかもしれない!)そっぽを向くばかりだ。そこに見いだされるのは、『PROVOKE』の時代よりさらにしたたかになった、野良猫のように孤独なprovocateur(挑発者)の姿なのである」

やや引用が長くなったが、浅田彰が指摘する中平卓馬の「東松照明への批判」とはどういうことか。中平卓馬のいらだちとはどういうことか。そこに強い関心を惹かれた次第である。中平卓馬にとっての写真は、歴史化された出来事の証拠写真-歴史の補完的な視覚的資料ではないということである。中平卓馬にとっての写真は、歴史化されようとする出来事を、つねにその出来事そのもの立ち返って、出来事への思考をうながす(挑発する)視覚的資料なのである。いわば出来事の歴史化を拒み、歴史を裏切り、宙吊りにするための視覚的資料なのだ。「沖縄の記憶」あるいは「沖縄の記録」という場合、それはつねにある歴史化されてしまった(完結されてしまった)出来事を前提にしている。中平卓馬(浅田彰)が言う「歴史的現実の断片」とは、そうした前提される歴史に回収されない断片のことである。歴史と出来事。実は、このことは今回の拙論で論じた、ドゥルーズの「全体(tout)」と「総体(ensemble)」の規定と大きく関わってくることでもある。

写真(イメージ)を見るとは、デリダ流にいえば、写真(イメージ)を見る者は被写体を見ているのか、それとも被写体を見る撮影者のまなざしを見ているのか、という問いを自らに問うことである。写真(イメージ)を見るとは、その関係を見ることではないのか。被写体とそれを見た撮影者のまなざし。その関係を読み解くことが見ることではないのか。写真(イメージ)を見る者はいつもつねに、撮影者のまなざしと重ね合わせなければ被写体を見ることができない。何という不条理!(笑)。写真(イメージ)を見る者は否が応でも撮影者の眼となる。しかし、撮影者と被写体の間には、カメラというもう一つの眼も介在している。さらに、被写体そのものが見る者の眼を射る。それが人物像であれば?被写体の眼が見る者を見返すこともある。たじろぐのは見る者か、撮影者か(再びの笑い)。しかし、それは物であっても同様だ。物のまなざしに凝視されるラカンの経験を持ち出すまでもなく。とすれば、写真を見るとは、被写体の眼、撮影者の眼、カメラの眼、三つのまなざしとの関係を問うことなのか。あるいはこの三つのまなざしと見る者の関係を問うこと、それこそが写真を見ることなのか。いずれにしても、写真を見る者は、この三つのまなざしのなかで分裂し、引き裂かれ、見る者の眼は宙吊りにされることになる。宙吊りにされた見る者のまなざし、見る者の意識、意図に関わらず。何と不条理なことか!(再びの笑い)。撮影者は何らかの表現形式のもとで、撮影者が見たものを見る者に語る(伝える)、カメラの眼を借りて。その被写体の多様な存在のあり様を。言葉で語る(伝える)こと、あるいは描くことで語る(伝える)こととカメラによって語ること。その違いには大きな隔たりがある、言うまでもなく。

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』(橋本一径訳)を読んで思ったこと。この本は、ゾンダーコマンドと呼ばれる、ナチスのユダヤ人収容所における囚人の「特殊部隊」のメンバーによって撮られた4枚の写真について書かれたものである。同胞の死体処理を強いられ、自らの死をも免れえなかった「特殊部隊」、ゾンダーコマンド。彼らは収容所の実態を後世に残さなければならないという使命感から、きわめて危険な状況のなかで、4枚の写真を撮影する。ユベルマンは明らかに、証拠としての、証人としての写真(イメージ)の意義を再び見出そうとしている。写真を撮ることの切実さ。確かに写真は、その切実さを装うことで、真実を伝えようとしてきた-たとえばフォトジャーナリズム、あるいはその臨場感を偽装することで、秘密のリアリティを喚起させようとしてきた-たとえば性的な盗撮写真。それでもなお、ユベルマンはイメージの持つ、記録的、証拠的、証言的、証人的な意義を問う。監視カメラがいたるところにある時代、ユベルマンの論考はあまりに素朴と言えば、素朴である。映像のデジタル化時代において、イメージの実在性が不問に付される時代、あまりに単純と言えば、単純である。それでもなお、アウシュヴィッツからもぎとられた4枚の写真が意義を持つとすれば、それらの写真が記録、証拠としての写真であるから価値があるということよりも、4枚の写真を読みとる行為を通して(誰が撮った写真なのか、どこから撮られた写真なのか、捏造された写真なのか等々も含めて)、切り開かれ、あらわになる問いこそが重要なのだと、ユベルマンは主張したいのではないか。

最近の若手写真家の作品を見ると、いわゆる“つくる写真”あるいは現実に演出を施した写真が増えている気がする(もちろん、この傾向は写真のデジタル化と密接な関係があるだろう)。現実に対峙し、そこから何かを見つけ出すよりも、自分が見たいイメージあるいは現実を変形、歪曲するようなイメージの戯れに終始している。イメージのバブル化(笑)=社会のスペクタル化。ここでちょっと違った観点から、この傾向について考えてみたい。で、どんな観点かと言えば、サブプライムローンの問題に端を発する、例の金融危機との類似性だ。何故に、金融危機とやらが生じるのか。その要因は言うまでもなく資本主義というメカニズムにある。つまり資本主義とは貨幣に対する信頼性を支えに、いわば未来を先取りしていくことにその本質がある。金融危機とはあまりに未来への信頼(負債)が膨らみ過ぎ、現実(実体)とのつりあいがとれなくなった結果、生じるものだろう。サブプライムローンに関して言えば、低所得者層への住宅ローンが焦げ付いたことにより、未来の負債を現実が解消・保証できなくなった状態のことだ。現実の逆襲。未来の先取りとはいわば幻想(イメージ)をもとに現実の経済が動くことである。ところが、現実と幻想とのバランスが崩れると(決済時のアンバランスというか滞り)、金融危機が生じるわけだ。これは、現在の写真の状況とそれほどかけ離れているわけではない。つまり、あまりにもイメージの戯れ=幻想の戯れが過ぎると、隠されてきた現実からのぶり返しが来るのではないかと言うことだ。イメージの戯れ、感覚の戯れもいいが、そのうち怪物化した現実からのしっぺい返しが訪れるのではなかろうか。誤解なきよう付け加えておけば、加工や演出が悪いということではない。現実を出発点にするのか、自分が見たいイメージが先行するかの問題だ。言うまでもないが、写真は現実の記録に帰るべきだなどと、素朴な主張をしたいわけではない。われわれが現実と呼んでいるものもすでにして幻想の世界のものなのだから。とすれば、何が肝要かと言えば、現実と幻想(イメージ)の関係を問うことなのだ。ところが実際の状況といえば、経済も写真も幻想の世界に浸りきっているというわけだ(笑)。

ドゥルーズの『シネマ1-運動イメージ』がようやく翻訳され、1・2の翻訳が完結した。ところで、ドゥルーズの『シネマ』は写真の分析に何らかの貢献をもたらすだろうか。然り。「人間の解剖は猿の解剖にたいするひとつの鍵である」(「経済学批判序説」)と言ったのはマルクスだが、とりわけ『シネマ1』は写真に関する多くの示唆を含んでいる。じっくりと熟読していきたい。機会があれば、ここでも触れていきたいと思っている。

たとえば、直接話法、間接話法、自由間接話法について。ドゥルーズは映画を自由間接話法ととらえている。写真は言うまでもなく直接話法である。だからこそ、「私写真」なんぞと言われるのだ。写真にとって直接話法は免れがたいものだろうか。60年代後半から70年代にかけて、美術側による写真の使用法は直接話法なのだろうか。たとえば、ウォホールの犯罪者リストの写真を使った作品はどうなのか。実際、ポップアートは他人が撮った写真を借用する。これはいわば間接話法である。自分が撮った写真の中に、他人が撮った写真をまぎれこませ、一つの作品として展示したら、どのようなことになるのか(笑)。ドゥルーズの『シネマ1』は、まあいろいろと、写真について考えさせてくれるのだ。

たとえば、写真は撮影した者の主観的知覚である。だから「私写真」なんぞと言われるわけだ。しかし、その主観的知覚にはカメラの眼が介在している。だから、写真は客観的知覚なんぞと言われるわけだ。しかし、カメラの背後には撮影者が存在し、操作をしている。だからやっぱり写真は「私写真=主観的」なんぞと言われるのだ。ここで、『シネマ1』からの引用-「経験論的主観(主体)が世界に生まれるときには必ず、その経験的主観は超越論的主観のなかで同時に反省=反映され、超越論的主観は経験論的主観を思考し、経験論的主観は超越論的主観のなかでみずからを思考する」あるいは「主体が行動するときには必ず、その主体が行動するのを眺める他の主体が存在し……」(財津理/齋藤範訳)。写真というカメラアイが介在した主観的知覚は、実は主観的知覚でもなければ、客観的知覚でもないのではないか。だからこそ、ベンヤミンの言葉-「自分が撮った写真から何も読みとれない者こそ文盲と呼ばれるべきではないか」が意味をもってくるのだ(笑)。

おそらく、フィルム派の写真家たちがどうしてもデジタル写真を許せないのは、光の扱い方である(構図に関してもしばしば指摘されることだが、構図中心主義はすでに、ウィリアム・クラインの影響を受けたプロヴォーグたちによって脱構築されている)。カラー写真やデジタル写真は、モノクロ写真に比べ、光の効果が見えにくい。というよりも、第一義的なものとして重要視していない。フィルム写真が作り上げてきた、光と闇の緻密な組織化、あるいはドラマ化。写真が作り上げてきた光の体制に対して、明確な意図をもって抗った写真家は、僕が知る限り、中平卓馬と小林のりおの二人だけである(微妙な違い-決定的な違いはあるが、篠山紀信も付け加えていいかもしれな)。確かに、写真が構築してきた、洗練させてきた光の美学には抗いがたい魅力がある(魅力だけではなく、そこには写真の本質的な営為が含まれているだろう、おそらく)。アマ(及び素人)とプロの写真を区別するのも、この光の扱い方である。60年代後半から70年代にかけて、何故、美術側のアーティストが素人の写真をかくも多用したか。われわれは何故に写真がこのような光の美学を作り上げてきたのかを問わなければならない。マネがルネサンス絵画や古典主義的絵画の光を問うたように。光を無視しろと言っているわけではない。むしろ、新たな光の扱い方を思考すべきだと言っているつもりである。

そして僕らは「イメージなき実在」と「非実在的イメージ」について考えなければならない。言うまでもなく、その中間において、宙づり状態において。

after-d.orgのブログで小林氏が引用している杉本博司の発言を読んで、正直、驚愕した。

「デジタル時代になって写真は世界の存在証明能力を喪失してしまった。デジタル写真によって世界は手を入れられる材料に堕してしまったのだ。写された世界は操作され、処理され、そしてファンタジーへと変換されるのだ。そうした意味ではデジタル写真は絵画への逆行であるともいえる。画家は写真という強敵が現われるまで、のほほんと世界を恣意的に描いてきた。写真の発明は多くの絵描きを失職させた。絵描きがリアリティーの描写において、写真に勝ち目がないということを悟ったおかげで、近代絵画というものが発明されたといっても良い。それは印象派やキュビズム、シュールレアリスム、ひいては現代美術へと発展したのだ。
今度のデジタル革命とやらはどこへ向かうのだろう?食品の虚偽表示にはあれほどめくじらを立てる社会が、どうして世界の虚偽表示である写真のデジタル化を喜ぶのか、私にはその気心が知れない。」
その全文は、ここ、http://plaza.bunka.go.jp/museum/beyond/vol8/。

おいおい、蝋人形館や博物館のフェイクを本物のように撮った、あのアイロニーは何処にいったのか。あんたは本当に、写真というイメージの「実在性」を信じていたのか。写真は事物がイメージに転換されるところに重要性があるのであって、実在性を語ってはならないのだ。ロラン・バルトが語った「それはかつてあった」という写真の実在性は、「世界の存在証明能力」といった素朴なものではない。杉本博司のあまりにも、写真への認識の浅さに正直、驚くばかりである。オリジナルとコピー、本物と偽物、実在とイメージ、杉本は相変わらず表象作用の前提となる二進法的ヒエラルキーにとらわれている。

40年以上も前に、中平卓馬は以下のように書いている。杉本博司の発言と、中平卓馬が言う「事実信仰思想」とどこが違うのか。そもそも杉本博司は「実在性」と「物の状態」を混同している。あきれるばかりである。

「「写真」という言葉には自然主義リアリズムを前提とするひとつの物の見方がぬぐいようもなく付着している。「〈真〉なるものがどこか外部に客観的に存在し、カメラというこれまた客観的な機械がそれをそっくり切り取ってくる」。カメラの発明とその利用のされ方の歴史がいわば写真に不可避的におしつけたものであるそれは、事実を重視するという意味でドキュメンタリズムへの豊富な可能性をもちながらも、一方で、事実のもつドラマ性とカメラとの間の緊張関係に生まれるカメラマンのドラマツルギーとそこからひき出される「表現」の問題をいっさい斥ける事実信仰思想ともいうべきものを生み出している」(『見続ける涯に火が……』所収・「映像は論理である」1965年「日本読書新聞」より)

もちろん、ここから写真の「表現性(操作・処理・変換等々)」の優位を導き出してはならない。その後の中平卓馬の歩みを見れば、それはおのずと明らかである。中平卓馬はつねに被写体(現実)とイメージの関係性を問うているのだ。問題の立て方を変えようとしているのだ。

現在を批判するにあたって、過去のものを持ち出して批判するよりも、現在のなかから反時代的なものを見出すこと。過去が現在よりもましだったなんて誰が言えるのか。アナログイメージを用いてデジタル時代を批判するのではなく、デジタルイメージに反時代的なものを見出すこと。

商品世界においては製品は製作者によってつくられるが、芸術においては作品が作家を生み出す。製品は製作者のあるいはイデアのコントロールのもとでつくられるが、作品はその管理・制御との闘いの軌跡である。制御不能のものとしての作品。職人と芸術家の違い。広告とアートの違い。したがって、作品の背後に、外部に芸術家はいない。作品の内部にしか芸術家は存在しない。

周知のように、プラトンは「国家」の中で、画家や詩人を第三番目に位置づけている。一番目はイデアの創出者としての神、二番目がそのイデアに従い寝椅子などを製作する職人たちである。画家や詩人は実体のない影像を作り出すにすぎない真似師というわけである。プラトンにとっての写真はおそらく、その真似師の最たるものとして軽蔑されたことだろう。しかし、ドゥルーズが指摘するごとく、真理(イデア)から最も離れた第三番目たる芸術家は、イデアとコピーの関係を転倒する可能性を秘めている。そもそもイデアとは永遠の時間-イメージから導きだされたものだ。永遠という概念から導き出された普遍性。そこにはいかなる変化も、新しさもない。芸術、それはイデア(あらかじめ想定された真理)との闘争にほかならない。

起源や根源、純粋さのなかには、必ず何か腐ったものがある。
過去を護符として現在を批判するあらゆる言説には警戒しなければならない。

金融危機がもたらす不況。我が身にもひしひしと迫る不況(笑)。家を追い出され、食うにも困る人々の出現。考えて見れば不思議なことだ。自然災害等々により、生産物が減少したわけでもないのに、食うことに困るとは!今更ながらに、我々は未来を糧に生きていることを実感させられる。未来の消費を想定し、未来の生産をすることで賃金をもらい、“現実(実体)”を購入する。“未来(負債)”による“現在”の購入。言うまでもなく、未来を価値たらしめているのは貨幣である。貨幣-「いつでもつねに交換可能」という、その信用性(幻想)によって現実が未来と交換される。金融危機による不況とは、目の前に山積みにされた食料があるにもかかわらず、貨幣(未来=幻想)なしにはそれを食べることができない状況のことだ。文化システムが過去に支配された現在だとすれば、資本主義的経済システムとは未来に支配された現在である。いずれのシステムおいても我々は“現在(現実)”に触れることが禁じられている。現実に触れるためには、システムの外に出るしかない。暴動?革命?いかにしてシステムの外に出るか。

最近、ドゥルーズの『シネマ1・2』とカントの3『批判』を併読している。ドゥルーズの『シネマ1・2』は、カントとの対決の書という側面があるように思うからだ。運動イメージとしての知覚イメージ、行動イメージ、感情イメージは、それぞれ悟性(認識能力)、理性(欲求能力)、構想力(快・不快の感情-判断力)に対応するだろう。時間イメージは、運動イメージから脱却するための、つまりはカントを超えるための、抜け出すための新たな概念創造の試みのように思える。もちろん、ベルグソンやパースを自在に使っての。カントによれば、空間と時間はあらゆる可能な現れ(現象)の形式であり、われわれの直感ないし感性の純粋な形式である。つまり人間の受容能力としての直感的感性の純粋形式であるということだ。ドゥルーズの時間イメージはまさに、このカントのア・プリオリ性に切り込む試みと言えないだろうか。これは考察に値することのように思える。

KAWADE道の手帖『中平卓馬』(河出書房新社)に「中平卓馬論」を書かせていただいた。中平卓馬のアポリアをめぐっての論考だが、「プロヴォーグ」(そして森山大道)を現象学的なアプローチとして批判するのが密かな試みである。そして中平卓馬が到達した「なぜ、植物図鑑か」がベルグソン的道であったという仮説。2月17日発売予定。興味のある方をご一読のほどを。

いま再びのユートピアを考える。

過去を振り返る、歴史を考えるということは、未来を考えるための諸条件、未来に至るための諸条件を変えるということである。なぜあならば、現在のあり様は過去(歴史)からの諸条件に制約されているのだから。

ドゥルーズの文庫版新訳『ニーチェと哲学』(河出文庫 江川隆男訳)を再読。ドゥルーズの著作の中で最も力強く、最も攻撃的で、ストレートな書物。とりわけ若い世代に読んでほしい一冊だ。然り(肯定)とは何か。奴隷の然りと主人の然り(言うまでもなく、肯定すべきは主人の然り。念のため)。敵は誰なのか、攻撃すべき相手は誰なのか。その方法を教えてくれるニーチェ解釈の傑作。20代でこの書物に出会う者は幸いである。青年よ、『ニーチェと哲学』を読め!

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