南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

高山の流鏑馬

2010-10-18 | 鹿児島の祭り・観光地
鹿児島県肝属郡肝付町新富(旧高山町)の四十九所(しじゅうくしょ)神社では 、鹿児島県無形民俗文化財である流鏑馬が10月第3日曜日に実施されています。
流鏑馬(やぶさめ)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な儀式のことを言い、「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれていたのが、次第に「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれています。

2010年10月17日、次男(小1)と見物に出かけました。


鹿屋市に隣接し大隅半島南東部に位置する肝付町は2005年7月1日に高山町と内之浦町が合併してできた町です。
駐車場は高山川の河川敷などにあり、歩行者天国があるので車両通行止めの場所があります。


ステージで異人さんが津軽三味線を演奏していました


11時過ぎに歩行者天国から四十九所神社までパレードがありました。
前年射手を務めた後射手が、この時だけは馬上にいました。
後はひたすら走ります!


残念ながら、うちの子は獅子に噛まれず(笑)


行列には武者が3人ほどいました。


2010年度の射手である、高山中学校2年生の伊倉滉大君(14才)を激励する垂れ幕。


参道(宮之馬場)は、神事のため神社に向かって道路の右半分が舗装されないままになっています。


330mほどの馬場を駆け抜けていきます。

四十九所神社の方へ行ってみました。


今日の主役の一人(一匹?)の神馬「高富士号」が鳥居近くにつながっていました。
予備の馬も着飾られていてこちらは「銀河号」でしょうか?
馬は15歳馬で、人間で換算すると75歳に当たるそうです。


12時から「真弓受けの儀(神事)」が四十九所神社境内にて行われていました。


射手の少年がお祈りしています。


射手のお父さんや、町長さんや議員さんなどVIPの方々も多数参加。


歴代の射手の写真が社殿に並べられていました。


次男(小1)も祈りを捧げます(笑)


神社側から馬場を見たところです。
神社が疾走の開始地点です。


前日の前夜祭や当日は、高山橋河川敷広場もイベント会場となり、午前中は伊勢海老みそ汁無料配布や魚のつかみ取りが行われたようです


うちの次男はまだ野生児ですから、バッタ採りに夢中になっていました(笑)


歩行者天国では出店が多数
次男(小1)は、カキ氷や、わた飴を所望。



流鏑馬奉納は14時からですが、13時頃に馬場へ向かい、場所を確保しました。

馬場の仕上げをしていました。


水撒きもして清めていました。


肝付町コミュニティセンターからパレードが始まり馬場を歩いて神社へ向かってきました。
先頭は高山中学のブラスバンドのようです。


次に御神幸行列が続きます。


前年の射手を勤めた後射手が先輩として今年の射手に助言などしています
射手に事故があった場合の予備の射手として不測の事態に備える役目があるのだそうです。

御神馬が私らの前でしばらく立ち止まり、「ヒヒーン」といなないてから進んだとおもったら…


ホッカホカの馬糞でした(笑)


当たり前ですが、皆さん避けて通りました(笑)


小学生のブラスバンド部も演奏中断。

行列の最後尾が過ぎた後、何事もなかったように馬糞は撤去されました。


的側へは一般人はいけません。
報道陣はいいですね。


流鏑馬奉納祭2日前には柏原(かしわばる)海岸において馬、射手共に「汐がけ」と呼ばれる禊ぎを行うそうです。
「汐がけ」の際、射手の父親は柏原海岸の清められた砂(真砂)を採り、当日流鏑馬の際に宮之馬場鳥居前広場にて子の安全を祈りつつ撒きます


父親が真砂を撒きながら歩き、馬場の最後まで到達すると白旗が回され合図となり、射手が出発します。
最初は馬に乗って馬場をゆっくり往復します。


狩衣装束にあやい笠を身にまとい、弓受けの儀により神の使いとなった射手。


次は射手は弓だけ持ち、馬場を駆け抜ける「空走り」を行います。
ここだけ私は撮り損ねてしまいました(泣)
ここで馬の走りの速さ・迫力に私も含め観客は驚きます。

後射手は馬には乗らず疾走する馬を追走します。


神社に上る射手。
精神を集中しているのでしょうか。


的は全部で3ヶ所あり、真中2番目の的の所で、射手の背中の筒に矢が入れられます。


空走りの後は、いよいよ本番です。
まず、父親が真砂を撒きつつ馬場を歩きます。


1回目の疾走開始
1枚目の的ははずしたそうで、2枚目は!?


「ガコン!!」と音がしました!!
「当たった!!」歓声がわきます


矢を放った後、すぐさま背中の矢筒から矢を取っています!!


3枚目の的に向けて疾走していきました。


後射手は、ひたすら追いかけます。


3枚目の的にも当たったとのこと


流鏑馬1本目動画



流鏑馬スロー再生動画





射手のお父さんが真砂を撒きながら戻ってきました。
周囲から暖かい拍手が起き、少し会釈されていました。


射手の少年にも拍手が起こります!!
良くやった! 次も頑張れ!!


背中の矢筒は空になっていて、また矢が補充されました。


獅子舞の人達も歩いてきました。


流鏑馬2本目動画

2回目も1枚目の的だけはずし、残りの2枚の的は命中させました



3回目の疾走は神社のスタート地点から見学することにしました。


神社側で、射手が戻るのを待っています。


去年の射手を勤めた後射手もなにやら声かけしていました


射手の父親が最後の疾走に向けて真砂を撒いていきます。


父親が馬場のゴール地点に到達すると、射手は鳥居の前で3周歩いて回ります。


3周回った後、馬の引き手がダッシュして送り出しました


最後の疾走開始


射手が通過すると、観客が競って縄についている蕊を取っていました。
縁起物なのでしょう。


流鏑馬3本目ラスト動画




蕊はすっかりなくなりました。


射抜かれた的は魔除けとして縁起物とされ、また真中に命中した矢は篭り矢と呼ばれ神前に供えられるそうです。


射手の滉大君(14才)が戻ってきました。


ウルッときているようです


的を全部引き上げてきました。


9本中7本の命中でした


流鏑馬終了後の15時からは「やっさん踊り」のパレードが行われました。


高山のじいちゃんちに帰ります。


肝付町での流鏑馬は、国家の安泰、悪疫退散、五穀の豊饒を祈願して行われ、肝付氏が旧高山に居住した長元9年(1036年)の約100年位後から始まったとされ、、現在まで900年以上続いているとのことです。

流鏑馬の射手は、毎年変わり、8月の中旬に、中学2年生の生徒が1名射手として決定し、その後、約1~2ヵ月の練習を経て、本番を迎えます。
大勢の人が見守るプレッシャーの中で全くの初心者だった射手が見せるパフォーマンスが非常に清々しく感じられる行事で、的に命中すると、すごく幸せになる感じがしました




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