南国の遊び部屋

鹿児島の祭りや観光地についてゆるーく報告してますが、最近オタッキーな記事が大半だったりします。
遊び部屋ですから(笑)

坊津の小学校

2009-10-08 | Weblog
 10月8日の南日本新聞朝刊に南さつま市坊津(ぼうのつ)の栗野、坊泊小学校で10月4日、閉校記念運動会が開かれたとの記事がありました。
 先週10月3日に十五夜行事を見に坊津(上ノ坊)に行ってきたばかりなので、気になる記事でした。
 私の通っていた肝付町の岸良小学校も現在過疎により複式学級になっていることもあり、人事には思えませんでした。
 坊津町には坊泊小学校、清原小学校、久志小学校、栗野小学校の4つの小学校がありまして、この4校が統廃合し、2010年4月から坊津学園小学校が開校するとのことです。
平成21年度の生徒数は
 ・坊泊小学校 68人 6学級
 ・清原小学校 27人 3学級
 ・久志小学校 16人 3学級
 ・栗野小学校 12人 2学級
計123人となります。
 単純に6学年で割ると1学年20人ずつの学校となり、友達も増え、運動会などの行事が賑やかになり、スポーツ少年団などの活動などできるようになるなど利点がありそうです。
 通学に関しては、他の統廃合地区の例から、おそらくスクールバスで通学できると思われます。 
 坊泊小学校は137年、栗野小学校は126年の歴史に幕を閉じるとのこと。
 清原小学校ホームページに、清原小学校の歴史についても記載がありましたが、
1955年(昭和30年) 約300人
1982年(昭和57年) 70人
2000年(平成12年) 48人
2009年(生成21年) 27人    
という生徒数の変化がみられます。

 坊津地区での十五夜行事における各集落の独自性や伝統をみるに、かつての繁栄、賑わいは大変なものだったと思われます。
 坊津は古代より海上交通上の要地として栄え、安濃津(三重県)、博多津(福岡県)とならんで日本三津(さんしん)と呼ばれていました。 
 ・538年に百済に仕えていた日本人の日羅が、後の一乗院となる龍厳寺を建立
 ・飛鳥時代は遣唐使船の寄港地であり、唐(から)の港、入唐道(にっとうどう)と呼ばれた
 ・奈良時代の753年12月20日に鑑真が近縁の秋目浦に上陸
 ・足利室町時代、倭寇や遣明船の寄港地となり、大陸をはじめ、琉球や南方諸国とも貿易が活発化
 ・江戸時代になると貿易港としての重要地は長崎へ移るも、薩摩藩の密貿易(清や琉球との)の地であった。
 ・しかし、民間密貿易の取締まりで衰退(享保の唐物崩れ)
 ・幕末から明治近代化の中で廃仏毀釈政策により、一乗院も廃寺とされ、より一層の衰退
 ・昭和初年に隣りの枕崎市に近代的な築港が完成するまでは明治から昭和にかけて、鰹漁業や鰹製造の一大集積地として隆盛を誇った。 
        *参照『(Wikipedia)』

 リアス式海岸の風光明媚な土地で谷崎潤一郎など多くの文豪が好んで訪問し、またイギリス映画の『007は二度死ぬ』の日本ロケの一部は当地の秋目海岸で行われています。
 しかし海岸まで山が迫り、平地の少ないこの地区では現在若者の働く産業がどうしても少ないと思われ、仕事がなければ都会に出るのが自然の流れであって、日本の地方ではよくあることでしょう。
  
 古代の繁栄、歴史があり、素晴らしい海岸などの眺望を合わせもち、伝統行事を愛する坊津を応援しています・・・

 泊集落
山が海近くまで迫ります

唐や琉球から貿易船が出入りして賑わったり、カツオ漁船団が出入りしたりのイメージを思い浮かべましょう・・・
 まるき浜
最近、沖縄の天然記念物のオカヤドカリがここにいたとのことで探しにきている若者がいました。
野性のマングースが今年南薩で見つかったと騒ぎになっていましたが、オカヤドカリは南西諸島以南で繁殖の際に放たれた幼生が黒潮に乗って北上し、九州南部(大分県以南)や四国南部、紀伊半島南部の太平洋岸にも偶然定着分布するとのことです。

沖縄にて海岸から結構離れた所でみかけたものです
話が大分ズレてしまいました(汗)・・・


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