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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

三日坊主と3日のこひ

2024-01-21 18:28:21 | 日記

日曜日の朝寝。OL(OB おーるどばば)時代のように、うれしい。スクールガードの30分の重みは大きいです。のそのそと起きだして、ミルクなどを温めて、ボーっとしている時間。でも、今日は頭が頭痛です。ばんやりとしていてどうも本調子ではありません。どうやら、昨日寒くて風邪をひたようです。ほんとうに上品な??体になりました。今日もまた、隣の隣の…の彼女のためにネットで調べもの。そんな時に、長谷川真理子さんの日経ウーマンの記事に出会いました。

長谷川真理子さんは、人類学者とありますが、放送大学で学ぶ時に動物の性淘汰や人間の進化と適応に関して講義を受けました。その講義はとても興味深かったです。動物の性淘汰では、信じられないような動物の性淘汰の行動があることを知りました。今日は、そのお話ではなく、彼女が新年に立てるいわゆる「元旦の一年の計」がなぜ長続きできないかというお話でした。確かに、ことしは何々はしようと思っても、3日、7日、この先は3か月とかしか続かなということですね。

彼女がなぜ続かないかをよ~く考えてみると、要するにそのことに本当の必要性が欠けているということだということでした。これを1年間守っていこうという必要性がないと、継続は難しいということでした。確かに!そうですね、あっという間に終わって記憶の片隅の片隅にあるこひと同じかもしれません。よ~く考えてみると、その時は必要と思って夢中になったようですが、あんまり必要なひとではなかったということでしょうか。一時的に必要な救急救助のの浮き輪のようなものかも。(そういういい方は失礼ですが)それが、3日か7日か3か月か3年か、7年か?本当の理由はある年が過ぎて、本人が一人密かに思うものかもしれません。あれは何の間違いだったのだろうか?その理由は言ってはいけないかもしれませんね。でも、ひとにはそれも必要なのかもしれません。生き残るために。

また、彼女の講義を聞きたくなりました。ご主人の長谷川寿一先生との講義もとても面白かったのを覚えています。「真理子先生、それはどういうことなのでしょうか?」などと質問されるのが新鮮でした。お互いに必要性が大でしたのでしょう!

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奥さんはどんな言葉をかけてほしい?

2024-01-20 20:07:49 | 日記

さほど寒くもなく、雨が1日中降っていました。朝8時集合とかで、まず、コメダ珈琲へモーニングを食べにご近所のスクールガード仲間と出かけました。誘ってくださった方(Hさん)が、いつもご苦労さまという気持ちでお誘いくださいました。4軒先ぐらいで一人でがんがっている女性も一緒でした。こんなイレギュラーな日もおかしなものです。結局は、フリーランスで働く彼女の新しい仕事に関しての相談でした。初めはおいしいいい話でしたが、段々雲行きが変化した悩みについてでした。「何のためにその仕事をするのか?」ということが大事ななのではとHさんは言います。フリーランスの人にはそこがブレると、不本意な方向に行ってしまうからだと思います。女がひとりで働くということには、やはり経済的な基盤が必要ですね。これは難しい問題です。私も散々苦労しました。

結構盛り上がって、自分の生き方も振り返る機会でした。H氏は仕事人間で朝早く出て帰宅は夜10時ごろという日課を過ごしていたそうです。やっと、仕事から解放されたそうです。はて?自宅で奥さまといる時間が多くなると、なかなか自分の気持ちを伝えられないそうです。(口下手の九州男児とか・・・)で、彼女と私にどんな言葉をかけてもらったらうれしいかと質問されました。彼女も私も何でもないねぎらいの言葉じゃないのと。それにはやはり相手をよく見ていることではないかしらと。(それは自分で見つけるしかないと、実は冷たい返事なのですが)

えっ!なんでそれがわかったの?というようなことがうれしいんではないでしょうか。(女性に限らず)人は自分を知るものをあいすなのでしょうね。ココゾトいうときに、ストライクを投げられれば、普段は無口なむん太郎でも、ああ、この人は見ていてくれたのだとうれしいのでは。(これは一見手抜きにも思えますが)

そして、H氏と分かれて午後4時過ぎまで、彼女の新しい仕事の話で私は時間を費やしました。その時間はやはり自分への確認であった気もします。もう少し影武者で彼女をサポートしたいと思う日でした。H氏に女心をお話しするのも。

 

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通い婚 花のいのちは短くて

2024-01-18 21:20:56 | 日記

比較的暖かい雨の日でした。外の方があたたかい感じもしました。寒い雨の日はやるせなくなります。今日はかなり苦労したシニアサッカー冊子が出来上がりました。自分としては面白いと思って書いた記事も、読む人には面倒なような気がして、写真を増やして大事な部分にアンダーラインを入れましした。全面的にやり直しでした。でも、読む人のことを考える習慣をつけないとと思いました。(ブログもそうですね)

最近、芸能人のおめでたいお話も多いです。新年あけて、そういう時期なのでしょうか。スペックの高いカップルという感じです。今度の大河ドラマは、平安時代。「通い婚」の時代です。あの時代は、寿命は40歳代で、住まいは寒いですし、十二単を着られてもあれは10キロくらいあって、裾を踏まれたらきものが残って下着姿になってしまうそうです。ある意味で、私は「通い婚」がいいと思います。私のような女は惰性でだめなおんなになりそうだからです。傲慢さもでますし。「妻」の座に胡坐をかいてしまうのがいやなのです。

でも、あの大原あたりに居を構えて、人を待つのはつらいだろうなぁと思うのです。それでも都の中心では、女性が繰り出して男性を選んでもいたという話をお友達のお姉さんが研究?されていました。自由であったということでしょうね。この時代のお話はおもしろいです。「○○の娘」という呼び方もいいですね。

人生100年時代。40代で終われば「通い婚」もいいですが、おばさんは、姥捨て山のパターンになりそうです。人生100年なら、結婚して「妻」の座に胡坐をかくのが一番賢い生き方なのでしょう。○○夫人のように、しわのない顔を維持するのもいかがなものか?もしくは、花のいのちは短くてで、女性はそのほうが幸せかもしれません。

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大谷翔平さんのお嫁さんは?おばあさんの独り言

2024-01-17 20:51:22 | 日記

散歩に出たくなるような暖かい日でした。心が軽くなります。人は(私だけかも)こんなにも天気に気分が左右されるなんて。ちょっとトラブってしまったけれど、新しいパソコンの購入ができました。そして、春から学ぼうと思う放送大学院の資料が届きました。なんとなくこころがウキウキしました。

パソコンを開くと、大谷翔平さんの記事ばかり出てきます。ややお顔が丸くなったのか、円満な雰囲気にほっとします。特別にイケメンとは思いませんが、29歳とは思えない少年のような表情です。何をしても記事になります。デコピンが、ドジャーズのマスコット人形をこわしてしまっても記事になります。ひじの手術の後に飼いだしたとか。やはり、リハビリがきついのでしょうね。彼でも様々な不安もあるでしょうし、何かに癒されたいのかもしれません。もし、美人でやさしい奥さまがいたら・・・。

おばあさんは、犬のほうが従順で癒されるかもしれないなどと思うのです。ねこは少ししたたかな部分もありますが、犬は違いますもの。でも、犬はワンとか言いませんね。ちょっと眉毛を釣り上げて怒ってやはり、奥さまのほうがいやされますね。家に帰って誰かがいるということは、それだけで癒されると思います。家に灯りがついるということは。

誰かと暮らすということは、大事なことと思います。(と私が言うのもおかしいですが)むかし、大谷さんのように、この人はどんな人と結婚するのだろうと皆さんが思う人がいました。素敵な男性でした。私たち女性陣は、半端なく私たちじゃかなわないような人じゃないとねなどと、勝手なことを言っていました。彼は、スイス人の女性と結婚しました。もちろん素敵な方で。そして、スイスに行ってしまいました・・・。

インターナショナルな大谷さんは・・・。難しいですね。うんと年の違う人とか・・・。それよりもう少し私たちをデコピンで癒してほしいですね。面白いコメントに、「神が買う犬でも、普通の犬じゃん」(デコピンが人形をこわしたこと)そうですね、普通の人がいいのかも!笑。

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走って追いかけた日の情熱はどこへ

2024-01-16 21:03:21 | 日記

霙がそのまま凍った感じの道路でした。雪よりも滑りそうです。朝から北風がぴゅーぴゅー吹いて霙を飛ばしてきます。スクールガードで皆が出発するのは、7時35分ですが、全員そろったのが7時37分ぐらいでした。以前よりみんながまとまるようになりましたが、わずか5分くらいの道のりに神経を使います。どうして私がやらないとならないんだろう?と引き受けていても思います。

今年は皆さん変化の年なのか、進路についてご報告というのかお悩みというのか、話してこられます。私自身もやっと落ち着いて考えられるようになったのに・・・。(まぁ、ご迷惑をかけている私もいるので大きなことは言えません)今日は、パソコンを購入するにあたり、あまりにもいい加減なR社を止めて、自分でソフトなどを設定することを前提に違うメーカーから購入することにしました。初め、パソコンを入れたときは、必死で自分でやったのに、あの情熱はどこへ。

そう、あの情熱よなのです。昨夜、ドラマの中で、会いたい人を必死で追いかけている女性の姿を見ました。そうよね、あの情熱があったのよ。その人の元に走った!一時の気の迷いでも、あの走れるエネルギーがどこからきていたのでしょうか?そんな日があったことは、ないよりもいいかもしれないけれど、今思うと無いほうが楽だったかもしれません。パソコンお話に戻れば、なにせ、何もわからなくてもメールの設定が出来たのですから。笑。

今、走れる情熱が欲しいとしたら、神のもとで人々の側に寄り添う人となりたいということでしょうか。もう、シスターになるには遅すぎるので、おしげなく自分のこころを使いつくしたいということでしょうか。「あい」というものの、本質はそういうもののような気がしています。若き日の情熱とは違う気がします。

あの方もまたその道を歩むのでしょうか。

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