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神父さまの離婚

2018-11-21 18:06:50 | 日記

街に出ると、もうクリスマスだ。教会もクリスマスに向けて行事が多くなる。教会では、聖書の分かち合いの会が週に3回ぐらいグループ別にある。神父様も参加される。ある会に性的マイノリティーの方が参加されだしたという。ローマ法王は「同性愛者やトランスセクシュアルについて、こうした人々は可能な限り社会に歓迎され、受け入れられ、溶け込むべきだし、「私はこうした傾向のある人々、同性愛の慣行に寄り添い、神のそばへ導いてきた」「一人たりとも見捨てたことはない」と答えたそうだ。

その会で性的マイノリティの方が神父様に「神父として、あなたは結婚しないということをどう思いますか?」と聞かれたそうだ。神父様は「自分の選んだ道に後悔してはいないし、神父として生きられて(結婚しなくても)よかったと思う」と言われたそうだ。「もし、私が神父でなかったら、Mさんと(会のリーダー)結婚したら、すぐ離婚したでしょうね」とも冗談?ぽく云われたと言う。カトリックでは『離婚』を禁止いている。それは、神さまが決めてくださった相手と別れるということだからだ。ですから、聖書には、離婚した女性と結婚するのは、『姦通』するのと等しい と書いてある。(恐ろしい) 私は離婚後洗礼を受けているので、洗礼を受けるまえに神様に罪を告白し許しを受けている。

神父様にしてもシスターにしても、その道に入るときは両親の激しい反対にあったと言う。でも、18歳以降ぐらいから決心されるわけだから、恋の思い出はあるようだ。いや、人の子である以上、その後の人生でだれかに恋とは違うにしても「愛しく」思う人はいるようだ、

神父様に意地悪に聞いてみたらどうだろう。「神父さんでなければ、Mさんと結婚して耐えられなくて離婚するのですか?」と。カトリックは実はとても寛容な世界だ。ひとは間違いを犯すものだ というところから出発しているからだろう。『間違い』をいかに『昇華』するかなのだろう。神父のこいもあるのかな。いわんや凡人おや である。

 


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