世の中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし 在原業平(だと思います)そんな和歌を思い出す時期ですね。週末までどこどこの桜は咲いているだろうか・・・等々。心があれこれとおだやかではありません。
今日は、ブログを書く時間がこんな時間になりました。毎日、苦情処理場のようですし、あれこれ心遣いしたことが「実はこれこれになりまして、申し訳ございません・・・」のようなメールが入るし、その処理で私の夕食後の時間が飛んでいきます。これも運命か、とあきらめるのでした。(きっといいことあるよ)
私の中指には母の指などでつくったプラチナの指輪があります。もう薄くなってしまいましたが、十字と模様が彫り込んでありました。7年前くらいに作ったと思います。なんで中指の指輪を作ったのか(指輪の意味はもちろんわかっていますが)?になっていました。日曜日にごミサをネットで見ていて思い出しました。ある神父様が左手の中指に指輪をされていました。大好きな神父様です。ああ、H神父様の真似をして、作ろうと思ったのでした。神父様の指輪は、神さまとの誓いの指輪です。
左手の結婚指輪はこの指には心臓に直結する太い血管があるとされて、古代ギリシャ時代から命に一番近い指と知られていました。特別な指輪をつけるのに適しているとか。時々、学童クラブの子どもたちが「その指輪はなに?」と聞きます。「うん、お友達よりももっとだいじな人とのつながりのため」(神様とは言いません)「恋人?」「違うよ。もっと大事な人」子どもたちはわかったのか?どうかわかりませんが、妙に納得するのです。子どもは単純に賢いです。笑。
そう、神さまのところへいくまで、いっても大事に持っていたいのです。
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