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角川俳句5月号に「取り合わせの距離感、即かず離れずのコツ」と云う特集が
あったのですが、その中の坪内捻典先生のエッセイが大変興味深かったので、
抜粋して書いてみます。長いですが、俳句に興味のある皆さんは、是非一読し
てみてください。赤字に変えたとこは私が(今まで思っていた常識と違って)
驚いた部分です。俳句部のみなさんも「えっ?!」と思われると思います。
まず、坪内先生は500年の俳句の歴史が生んだ傑作3句を挙げられています。
それが、
古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
柿くえば鐘がなるなり法隆寺 子規
この俳句のサンプルともいうべき有名な句、3句とも取り合わせの句です。
A+Bシンプルな取り合わせは、最も効果的です。一物仕立てが詠みたいと
いう人もいるでしょう。勿論様々な技法を生かせばいいのですが、俳句の基
本は500年を通じて取り合わせだったと思います。
取り合わせの妙味は即かず離れず(え?この字だったん!)の距離感です。
芭蕉の句を例にすると「古池」と「蛙飛び込む水の音」の関係は決定的では
なく「古池や」が「山吹や」でも「古里や」でも良いかもしれない。つまり
A+Bの関係は絶対的ではなく、常に相対的で二つの関係は揺れています。
俳句用語として、季語が動くと言う言い方がありますが、A+Bの関係は不
断に動いているのです。別の言い方をすれば、季語が動くのは取り合わせの
本来です。動くのがいいのです。蕪村の句も「菜の花や」は「青麦や」でも
よく、子規の句も「法隆寺」は「東大寺」でもよく「柿くえば」も「梨くえ
ば」であっても良いのです。
言葉の揺れを重んじることは、ある思想、先生などを絶対視しないで、相対
的な位置で常に揺れることです、この姿勢は良く言えば自在で軽やかですが
悪く言えば日和見的、虚無的、そして曖昧で遊び的です。でもそれは言葉の
本来に即しているのです。俳句という極端に短い表現は、即かず離れずを重
んじる取り合わせを持つことで、言葉の本来、あるいは言葉の原初にふれて
いるのかもしれません。
と云うことです。特に「季語が動く」は悪口だと思ってましたが、偉い先生
が例を挙げて説明してくださると、納得ですね。
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