⑦パパの「頭の中は575」

元は「子育て日記」だったが、子供達も全員大人になっており、最近「俳句」の記事が増えたのでタイトルを変更しました。

自分の語彙に変換する人

2017-12-07 00:12:41 | 忘れられない人
お客さんで、自分の語彙に変換して喋る方が2人いらっしゃる。どちらも70代の
男性で、話し方は全国広島東洋カープ私設応援団連盟会長のSさんのような広島弁。

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ご自分の話しだけじゃなく「誰々がこう言ってた」と云うような伝聞も、誰々の語
彙ではなく自分の語彙に直して話す。それが私はおかしくてたまらない。

例えば一人称は「わしゃあ」二人称は「わりゃあ」具体的に書くと、ある女性が部
下の返事が小さいことをかなり強く叱っている場面に出くわしたらしいのですが、
それを私に伝えるのに「わりゃあ、そんとにコマイ声じゃあ、聞こやあすまあが!」
と叱っていたと言われるので「女性がですか?」と聞き返したのですが「ほんまで、
わしゃあ聞いたんじゃけ」と、語彙が違ってるとはとらず、叱ってる事実は違わん
と自信満々w この方にかかったら、天皇家の会話でさえ「わりゃー」になりそう
です。

この方、口は悪いが実は優しい方で、先日も「こりゃあ種がない柚子じゃけえ使い
易いんで、あげるけえ」とビニール袋に2袋の柚子を持って来てくださり「どうし
ちゃったんです?」と訊くと「わしんとこににゃあ、まだまだいっぱいあるんじゃ
あや」と置いて行っちゃった。良い人でしょw

話はこれで終わらない。更にオチがあります。昨日奥様が「踏んで壊してしもうた
んよ、直るかね?」と少し曲がったメガネを持って来られた。チャチャっと直して
お渡しする時に「この前ご主人に沢山柚子をいただいたんですよ」とお礼を言うと
奥さんが「ここにも持って来たんね。やれやれよね。アンニは柚子が好きで好きで
なんでも搾ってかけるし、味噌汁にもいれるし、まあなんにでも柚子をいれるんじ
ゃけ、実はウチがたにゃあ柚子なんかなっとりゃせんけえ、わざわざ店でいっぱい
買うてくるんじゃけど、買い過ぎて腐らせそうなけえ、エエ格好してみんなに配り
まわるんよね。ほいでもまだまだ、ウチにゃあ腐るほど柚子がある」そうですw

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今日(7日)は、今年2回目の「ナマ@広島アクティブリング⑦パパの部屋」の
放送があります。是非ご覧ください。くそ太った爺をw 

ゲストは書道家の谷本なおみさんです。生でご覧いただける場合は、下記URLに
21時に合わせて下さい。
http://www.ustream.tv/channel/activering
後日、ご覧いただける場合は、下記URLの YouTube でご覧ください。
http://www.youtube.com/user/activeringHiroshima

「同じお題で書きましょう」は「人生で、今年初めて経験したこと」それが
無い場合は、「私の流行語大賞」我が家では「インスタ萎え」ですがw 20日
お願いします。


フィリップ、パパより良い枕で寝とるけえねw
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有名人の元彼女

2017-03-13 06:04:47 | 忘れられない人
お客さんに書いていいかをお聞きしていないので、詳しくは書けませんが、聞いて
ビックリしました。

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職種も出身地もあえて書きませんが、50歳以上の男性なら90%は知っている
だろうと思われる超有名人、68歳。私は好きでも嫌いでもないが、彼の偉業に
対する尊敬の気持ちは持っています。

遠用、近用、遠近両用、バイク用、お稽古事用と、沢山メガネを作って下さって
いるお客様が、今回はメガネを作りにではなく「ねえねえ、この前の〇〇が出て
たテレビ、観ちゃった?」と入って来られた。

「偶然観ましたよ、〇〇さんのことお好きなんですか?」「え、話してなかった
ですかね?私、〇〇の元カノなんですよ」「え~知らんです知らんです」「50
年前じゃけどね」

お客さんもお話したそうだったし、私もちょっと興味があったので、何処で知り
合って、どういう交際で、何処までいったかとか、ご主人がやきもちをやいちゃ
った話とか、結構面白く聞かせていただきました。

このブログを読んでくださっている方で、実は有名人の元カノ、元カレの方がい
らしたら手を挙げて教えてくださいね。
僕は結構ミーハーで有名人好きですからw

そう云えば、40年位前、一時期よく遊んでいた、男子校卒のKさん(1つ上)は、
東映のポルノ女優(ニッカツじゃない)I.レナさんをふったって言ってた。確か
にKさんは男前だったけど、あいにく私がI.レナさんを知らなかったので「へぇ
~知らんですわ、そんなに有名じゃないですよね?」と答えたんじゃけどね。

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久々の忘れられない人、94歳のおばあちゃま

2017-03-07 00:31:42 | 忘れられない人
前回、このカテゴリーで書いたのは、昨年の8月でした。久し振りのコーナーです。

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今日書くのは、94歳のおばあちゃま。
杖は必要ですが、とてもしっかりした足取りで店に入って来られました。メガネ
レンズの薄型加工の説明も、ちゃんと理解されるし、言われることもシッカリし
ておられます。

歯もご自分の歯ですが、少し、いや大分茶色い。理由はヤニ。なんとヘビースモ
ーカーなのです。

喫煙と長寿は関係ないのか?と思ってしまいますよねw もし煙草を吸われなか
ったら、200歳まで生きてんかも。

ヘビースモーカーで長生きと云えば、市川崑監督。ヘビースモーカーではなくチ
ェーンスモーカーでしたよね。手を使わなくても吸えるようにと、煙草を差し込
む為に前歯を1本抜糸してたそううですよね。私は煙草は嫌いですが、ここまで
されると、尊敬してしまいます。




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同じお題で・・・怖かった話「S君の交通事故」

2016-08-09 12:44:33 | 忘れられない人
家が近かったから、1つ年上だが幼稚園の頃から、すごく仲良しだったS君。

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小さい時から「Sくん」と呼んでいたので、小学校でも中学校でも廊下で出会った時
「君付け」で呼んでしまい、本人(S君)は、何とも思っていないはずだが、一緒にい
た上級生に「先輩に君じゃと!わりゃなんなら!」とぶちまわされたことがあるw

早朝路地散歩を始めて、そのS君が私の目の前で車に撥ねられたことを思い出し
た。私は小学1年生で自転車を買ってもらい、夏休みにコロ(広島弁で補助輪のこ
と)なしで乗れるようになったのだが、それが嬉しくてS君と町内を飛び出し、隣町
やその隣町まで走り回ってた。そんなある日、おもちゃ屋さんの近くの細い路地を
疾走し大きな道に飛び出した。一旦停止もせず、まさか自転車で走れるなんて大
人は思わないだろう細い道から急に飛び出したのだから、 99.9% S君が悪い。車
の下に轢かれて巻き込まれるのじゃなく、ポーンと吹っ飛んだので、打撲と擦り傷
だけですんだのたが、私は初めて見る交通事故が怖すぎて、固まってしまい「S君
大丈夫」と傍に駆け寄って行けず、離れてみていただけだったことを覚えている。



これが、その路地↑そして飛び出した道路がこっち↓歩くと色々思い出すもんだ。



余談ですが、この道路、中央に線がありますが、線の右側は暗渠ですって。大分前
ですが、泉水アナウンサーが新人の時、元就のロケでこの道を、当時の町長と歩く
シーンがあり、その時に町長が「こっからこっちは下が川で、昔は暗渠になってなか
ったのだが、我が町が生んだ日本人で初めての金メダリスト、織田幹夫さんはこの
川をび越えていたらしい」と言っていた。

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8月の「同じお題で書きましょう」のお題は「怖かった話」「夏の食べ物と云えば」
お願いします。 → 詳細 8月7日~9日でお願いします。
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忘れられない人、その4「びん君」

2016-07-20 07:26:35 | 忘れられない人
高校1年の時に同じクラスだったT.敏(本当は「さとし」なのだが、誰が言いだした
か「びん君」と呼んでいた)いつも一緒のベッタリの時期はなかったのだが、だらだ
らと仲良しだった。

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隣の隣の町の中学出身で、呉線で通うために朝夕出会うことが多く、また小学校
時代にサッカーの試合で知り合っていたM高校のS君と敏君は、小学校からの幼
馴染らしく、高校は違うのに広島駅まで一緒に通学していた。

入学早々の広島駅で「なんでS君知っとるん?」「小中一緒じゃもん」「あ、そうか」
そんな会話が最初だったような気がする。

大学は違ったが、彼は下北沢、僕は代々木上原のアパートに住んでいたので、か
なり頻繁に行き来していたと思う。アグネスラムとローラボーが好きで、天井に沢山
ポスターを貼っていて、口癖は「顔はすべてをカバーする」で「性格より顔」と言い切
っていたので(僕の知る限り)彼女がいた時期はなかった。

大学は第一志望ではなかったので、就職を考えて大学で猛勉強をしていたのも、彼
女が出来なかった原因かもしれないが、勉強の甲斐があって、超就職氷河期だった
が、一流企業に就職した。そして、その会社でも、張り切って働いていたから、20代
後半であるプロジェクトを任された。 「アプローチの方法は色々あるのだが、船頭が
多いとまとまらないので、こう云うことはたった一人でやった方が早いんだ」と言って
僕の披露宴の招待状の「欠席の返事」と、その会社のヒット商品をドッサリと贈ってき
てくれた。

それから、1年後「体を壊したので会社を辞めて広島に帰っている」と連絡があり、生
まれたばかりの長男を抱いて、ママと3人でお見舞いに行った。その時、彼の「専門
分野の仕事をフリーで少しづつ受けて行こうと思ってる」と云うので、渡りに船と云う
か丁度数週間前に、得意先の院長から「〇〇を買ったのは良いが、扱いが・・・だれ
か詳しい人を知っていたら紹介してよ」と言われていたので、即紹介した。

その時の敏君「まあギャラは沢山いただいたので文句はないけど、あの先生の〇〇
は良すぎ、新免でいきなりポルシェを買ったようなもんで、扱えんよねw」だった。

それから間もなく、肝硬変で亡くなった。親しい友人の初めての死で当時のショック
は今でもよみがえる。

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