衣笠祥雄さんが亡くなり、かなりショックを受けている一人です。
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各スポーツ紙やニュースで、衣笠さんの思い出を語るほぼ全員の方が「優しい方で
した」と仰る。その記事、コメントを読むたびにウルウルしています。当然大好き
でしたし、私にも衣笠さんの思い出が2つありますので、それを書きたいと思う。
この写真は、あの有名な1979年の日本シリーズでの「江夏の21球」直後の、マウ
ンド上の写真です。この試合は社会人1年生のくせに仕事をサボって某所でテレビ
を観ていました。たぶん広島の人間はみんなそうよw 21球の前、江夏後の(延
長に備えて、古葉監督がブルペンに)投手の準備を指示したことにカッとなった江
夏投手にファーストから駆け寄り「辞めるんなら俺も一緒に辞めてやるから」と衣
笠さんが、江夏投手を落ち着かせた話は有名ですよね。
衣笠さんの「鉄人」を語るエピソードで、もっとも有名な事件の1つに、同じ年の
1979年8月1日に、巨人の西本投手から受けたデッドボールがありますよね。
あのデッドボールで肩甲骨を骨折し連続試合出場記録が途切れると思われた試合で
すが、その日私は、当時ほぼ毎日つるんでいた、1つ年上の金持ちの友達にもらっ
たそのお父さんが持ってるバックネット裏の年間指定席でその試合を生で観ていま
した。
子供のころから、結構市民球場には足を運んでいましたが、このデッドボールの直
後に起こった乱闘を、バックネットに張り付いて、巨人の選手達に、人生で1番汚
い野次を飛ばしていました。でも、その時の周りの観客は、私よりひどかったよう
な気がします。
なぜそこまで観客を怒らせたのか、覚えていらっしゃらない方のために説明すると
あの7回裏のたった1イニングで、三村さん、萩原さん、そして衣笠さんと3人目
のデッドボールだったのです。萩原さんのデッドボールなんて、明らかに当てに来
ているように見えましたし、とにかくひどすぎました。
そして当然乱闘になるのですが、先に殴りかかったのは、なんと当てた巨人のキャ
ッチャーの吉田ですからね。バックネット裏だからよく見えたし覚えています。
乱闘の時、バックネットに張り付いて大声で汚い野次を飛ばしていると、巨人のS
と云う外野手が「降りてこいや」みたいな挑発をバックネットに張り付いてる我々
にしたのです。バックネットは高くて物は投げ入れられないので、S目掛けて唾を
吐いてやりました。
ネットで動画がないか探したらありましたよ。ぜひご覧ください。デッドボール3
連発とその後の乱闘劇を。
⇒1979年8月1日動画
こんな中、被害者の衣笠さんは「すいません」と謝る西本に「俺は大丈夫。それよ
り危ないから早くベンチに帰れ」と言っていたそうです。良い人過ぎます。長嶋さ
んも言ってらっしゃいましたが、デッドボールの後、必ずピッチャーに左手を上げ
て「いいよいいよ」と云う仕草をされていましたよね。
もう1つの思い出は、サラリーマン時代岡山営業所に新幹線通勤をしていたのです
が、当然新幹線の定期は自由席なのですが、到着後早く帰りたいので、広島が近づ
くと、列車の中央に移って階段の近くに降りるようにしていたのですが、そのデッ
キで私のまん前、30センチの距離に衣笠さんがいらしたことがあります。びっく
りした私は思わず「わぁ」と声を出してしまったのですが、衣笠さんは驚かせてご
めんと云う感じで「あ、どうも」と言われました。びっくりしたのがもう1つ。衣
笠さん、177センチの私より、明らかに小さかった。
永久欠番にも、国民栄誉賞にも本当に相応しい、ナイスガイでした。ありがとうご
ざいます。