久子さんのこの記事をぜひ読んでください
私は終戦時2歳だったので
殆ど記憶がありません
赤ちゃんだった私は
空襲という言葉と
井戸の口にかぶせてある布の
鉄分の色を結び付けて覚えてしまった記憶があり
だから空襲だあ!
という声は聴いていたのですが・・
戦争から生きて帰ってきたほうの父と私は
ま 強烈な関係の父娘でしたが
70年生きてきて まったく あんなひどい酒乱にはあったことがありません
その父がそんな風にぶっ壊れていたのを
お父さんのせいにだけ考えてはいけないのだよ
戦争がそういうお父さんの荒れた心を作ったのだ
と教えてくれたのは
武蔵でした
戦場で人を殺した記憶にたどり着くと
狂人のようになってしまう父を思い出すと
本当に戦争には
恨み骨髄
もう一人の父は殺されちゃったし
しかし
今ニュースを見ると
信じられないような為政者の信じられないような言動
私は
もう日本はおしまいだ
という気になっているけれど
人々はそうは思ってないから
あのような為政者を抱いているわけよね
今日はラジオはカントの話をしていて
自然はそれぞれ自分勝手に存在していると
ま
そんな話をしていた
人間という種は 結局 滅びるようにできているのかもしれないと思った
正義というものもないし
思想というのも 人間という動物が 自分勝手に妄想しているだけだものな
こんなに差別が好きで 戦争が好きで そういう種は
やがて 自滅するんだろうよ
私も人間だから 自分の種の運命に巻き込まれてしょうがない
でも 好き勝手なことは言いたいのだからそれもしょうがない
糞=== うんち!
あああ
私は小学1年生でしたが、同じような経験をしてきました。川崎の溝口に住んでいました。そこには軍需工場があったので毎日のようにB29が飛び交い低空からの機銃掃射にも追いかけられた記憶があります。飛行機の中の人も見えました。家から防空壕に逃げる私たちを狙うのです。
戦後60年の時ブログに載せた記録があると思いますので探してみます。
てっきり山梨っ子だと思ってました
ここ田舎も飛行場があって大変だったようです
それを見て育ったからでしょうか裏のおじさんは特攻隊志願して
飛び立つ寸前で終戦
命拾いしたのでした