遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

他人のふんどしですが

2015-03-10 18:27:29 | ただの記事

久子さんのこの記事をぜひ読んでください

私は終戦時2歳だったので

殆ど記憶がありません

赤ちゃんだった私は

空襲という言葉と

井戸の口にかぶせてある布の

鉄分の色を結び付けて覚えてしまった記憶があり

だから空襲だあ!

という声は聴いていたのですが・・


戦争から生きて帰ってきたほうの父と私は

ま 強烈な関係の父娘でしたが

70年生きてきて まったく あんなひどい酒乱にはあったことがありません


その父がそんな風にぶっ壊れていたのを

お父さんのせいにだけ考えてはいけないのだよ

戦争がそういうお父さんの荒れた心を作ったのだ

と教えてくれたのは

武蔵でした


戦場で人を殺した記憶にたどり着くと

狂人のようになってしまう父を思い出すと

本当に戦争には

恨み骨髄


もう一人の父は殺されちゃったし


しかし

今ニュースを見ると

信じられないような為政者の信じられないような言動

私は

もう日本はおしまいだ

という気になっているけれど

人々はそうは思ってないから

あのような為政者を抱いているわけよね


今日はラジオはカントの話をしていて

自然はそれぞれ自分勝手に存在していると

そんな話をしていた


人間という種は 結局 滅びるようにできているのかもしれないと思った


正義というものもないし

思想というのも 人間という動物が 自分勝手に妄想しているだけだものな


こんなに差別が好きで 戦争が好きで そういう種は

やがて 自滅するんだろうよ


私も人間だから 自分の種の運命に巻き込まれてしょうがない


でも 好き勝手なことは言いたいのだからそれもしょうがない


糞=== うんち!


あああ

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2 コメント

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Unknown (natu)
2015-03-10 22:21:30
久子さんのブログ伺ってきました。
私は小学1年生でしたが、同じような経験をしてきました。川崎の溝口に住んでいました。そこには軍需工場があったので毎日のようにB29が飛び交い低空からの機銃掃射にも追いかけられた記憶があります。飛行機の中の人も見えました。家から防空壕に逃げる私たちを狙うのです。

戦後60年の時ブログに載せた記録があると思いますので探してみます。
natu様 (遊工房)
2015-03-10 23:35:24
溝口で小学生だったの?
てっきり山梨っ子だと思ってました

ここ田舎も飛行場があって大変だったようです
それを見て育ったからでしょうか裏のおじさんは特攻隊志願して
飛び立つ寸前で終戦
命拾いしたのでした

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