遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

母の日?

2012-05-14 11:39:41 | ただの記事

我が家には記念日がない

というのをどこかに書きましたが

母の日もありません

とはいえ

私はおばさんに花模様のスモックを着せて

絵を描きたいので漁っているのですが気に入ったのがなく

横浜に行った時 元町で・・・と思ったけれど時間がなく

おばさんに 間に合わせるの嫌だから待っててね

と言ったら 「いらねえ お金で持ってろ 無駄遣いすんじゃねえ」って

怒られた

ま そういうふうでおばさんもプレゼントとか

そう言う流儀はない人なんだが

私としては おばさんを描くという私の目論見があるので

ぴったりのを見つける気ではいる

息子は全然  娘は電話をくれる

記念日は電話をくれる

可愛い声を聴かせるのが一番嬉しいというのをよく知っているからだ

息子の方は 電話は頻繁にかかってくる

用がいろいろあるんだ

今も広島から絵が帰ってきたがそういう受け取りとかね

だから息子の声は聞いているが

娘は顔も見せないし声も聞かせてはくれないのでね

恋煩いで死にそうよ!

それでも娘のことが気になって彼女のツイッターを見に行って

丸一日何もつぶやかないと

気になって気になって

「おい 元気か?」とメールすると

「うん 山に行ってた」とか返事が来て ほっとする

という

希薄な家族関係です

考えてみると私が当然のことと思って結婚当初

武蔵の母に誕生日プレゼントしたら

生まれて初めてもらったと言っていた

終戦前に武蔵の父はなくなって

(兵隊さんじゃない都内で別の任務についていた)

田舎に疎開していた義母は

筆舌に尽くしがたい苦労の末女手一つで

遺された5人の子供を育てた

誕生日だの母の日だの 入り込む余地もないのだろうな

うちのおばさんの子供時代も 裏のおじさんたちは両親がなくなり

この家で一緒に育った

ところがおじいさんは農作業は女任せで

自分ばかり本を読んだり俳句を作ったり絵を描いたり

生活について責任感のかけらもなかったみたい

おばあちゃんは実家にコメ等もらいに行くというような暮らしだったようだ

これまた 誕生日だの母の日だの縁のない暮らしだったのね

生活ぶりや行事などが 全国津々浦々行きわたるようになったのは

情報のせいかも知れないと思う

ふむ

色々考えると

私は得難い環境に入り込んだともいえる

ともかくおじさん(おばさんやお姑さんの長兄)の風変りぶり

書いたことがあるけれど

身近に出会って 藁ぶき屋根も体験して

すごくラッキーだったな こりゃ

Omimai

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