遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

風景

2013-08-14 05:53:46 | 教育

今日は里山に行く

里山を描こうと思ったのは

風景画で写真を使って描く人がすごく多いのだが

写真を使ったら形が確かめられると思ってそうするのだと思うけれど

実は

それでは ドツボにはまる

気付いた

写真が風景をとらえることができるのは

透視図法的な写し絵でしかないわけで

(素人写真は という意味)

何を読み取ればいいのか

考えているか?と思うことが多い

〇〇法ってそこが問題だ

東洋の遠近法には空気遠近法というのがあるけれど

わたしはこの頃 初心に帰って 空気 描きたいのだ

だから 里山  テーマもいろいろあるし。

子供のお絵かきの時 風景画を描きたい

という子が居て

そこに来る時見て来た きれいな 田園風景を描きたいと言って

山や木立や 田圃 描いていた

Yさんは 遠くの木立は小さく描いて 近くの木立は大きく描くといいよ

と 教えた といってた(子供は小学校4年生)

透視図法を子供に教えるとき

(それは 中学三年生の課題)

週2時間の授業時間があったときは

廊下の写生をしてから

透視図法を教えた

三年生の授業が週1時間に減らされてからは

時間配分が難しく 写生してから図法を教えるのはできなくて

いきなり透視図法を教えざるを得なくて

すごく悩んだり腹を立てたのを思い出した

透視図法は 癌でもあるのだもの

それを説明したつもりだけれど

通じてなかったよなあ 多分

でも

その子のお母さんは色を塗るときはどこから塗るといいのですか?と聞いてた

やっぱり

聞きたいのは方法論ね

空を水色で塗り絵していた子に

帰るときに お空を見てね

上の方と 地面に近い方と

色が違うはずだからね

どういう色か見てみてね

おうちに帰ったらそれを色に描くと

空の広さが 表せると思うよ と話しかけた

小学校4年生に遠近感の表現

これは ポイントではあるのだよな

方法として 遠くは小さく でいいかなあ やっぱり遠くのものは

小さく見える

というのに気付かせてからではないのか?

と思った

大人もそうなのだ

子供たちが来る前 大人が絵を描いて遊んでいたとき

ほおずきを描いて居たNさんが 形が取れないとじれていて

鉛筆で長さを測ったりしていたので

植物は 栄養が通る道筋を軸に見るといいのだよ

と 見方の一つを話したら 早く教えなよ!と怒られた

教える立場じゃないモン

それって日本画の先生に教わったものの見方なので

日本画の中では常識か?と

調べたら 南画の大家が書いた技法書の電子書籍が出てきた

読んだんだが

そんなこと書いてなかった

方法論ばっかりだ

日本画の授業は 一回2単位取っただけで

大して何もできないままだが

植物のものの見方は 体にしみこんでいるのだが

その先生独特の教えだったのかもしれないけど

それって リアリスムだよなあ

風景のことを書くはずだった

風景を描くのに写真じゃだめよというのに気がついたのは

写真って 素人写真は空気は表現できない

空気じゃないか

と思ってみると

風景は全く別の様相で見えるので

それが面白いのだ

これは田舎の風景独特

都会は?

ほれ

空気と塊 と思うともっと違う表現が出来る

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