遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

危機

2009-01-14 19:56:23 | ブログ

Ozymandias

この詩は

ニューヨークのテロ事件の後

人口に膾炙した

P.Fシェレイの詩だそうです

追悼式で

「千の風になって」が朗読され

その詩は日本でもずいぶん読まれました。

文学者の井上輝夫さんによると

詩という韻文は心理的なショックに対する

深いところからの癒しであり鎮魂であると

仰るのです。

詩という文字は

言葉と寺の組み合わせだって!

Ki_2

今日は江戸さんのお葬式でした

お坊さんのお経は

考えてみると詩の朗読のようでした。

お葬式には何回も出ているので

お経の言葉は

耳慣れていて

亡くなった方の旅立ちをイメージする世界に

連れて行かれます。

 

母が亡くなったときは

お坊さんが7日ごとに来て

そのつど読んでくれるものが違うのでした

それは渺茫たる死後の世界を描き出すような

ものでした

 

そのようにして

お坊さんが

家族の死に出会った危機の中にいる

残された者とともにいてくれたのでした

Ki_2

江戸さんのお葬式中

亡くなってしまった色々な人のことを

思っていました

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3 コメント

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>人口に膾炙した (kazuyoo60)
2009-01-14 20:07:27
難しい言葉です。どれほどの高尚な詩であっても、あの惨事の追悼にこの詩ですか~。
読経の韻は宗旨によって違います。ですが、同じように追憶と癒しを誘うようですね。
kazuyoo60 様 (遊工房)
2009-01-14 20:17:33
この図として載せた詩は
追悼のではありません
驚愕した人々に
無常感が襲ってこの詩がよみがえったのだと思います
 
追悼のとき読まれたのは
「千の風になって」でした
私のいとこの死の後の法事で
ご主人は癒された詩集と
「千の風になって」の詩集を参会者に配ったということがありました
みどり様 (遊工房)
2009-01-15 05:37:26
詩を書かないのに
このごろ詩の魅力に惹かれます
イメージの世界へといざなわれるのですもの
この詩もきっと英語のままのほうが伝わるのでしょうね(イギリスの19世紀初頭の詩です)
私は
人間の傲慢な所業の崩壊の様を
茫漠とした風景に描いて見せたと思い
現代の
荒れ狂う社会も
なんとなく 似たイメージ
そう感じたのです

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