この詩は
ニューヨークのテロ事件の後
人口に膾炙した
P.Fシェレイの詩だそうです
追悼式で
「千の風になって」が朗読され
その詩は日本でもずいぶん読まれました。
文学者の井上輝夫さんによると
詩という韻文は心理的なショックに対する
深いところからの癒しであり鎮魂であると
仰るのです。
詩という文字は
言葉と寺の組み合わせだって!
今日は江戸さんのお葬式でした
お坊さんのお経は
考えてみると詩の朗読のようでした。
お葬式には何回も出ているので
お経の言葉は
耳慣れていて
亡くなった方の旅立ちをイメージする世界に
連れて行かれます。
母が亡くなったときは
お坊さんが7日ごとに来て
そのつど読んでくれるものが違うのでした
それは渺茫たる死後の世界を描き出すような
ものでした
そのようにして
お坊さんが
家族の死に出会った危機の中にいる
残された者とともにいてくれたのでした
江戸さんのお葬式中
亡くなってしまった色々な人のことを
思っていました
読経の韻は宗旨によって違います。ですが、同じように追憶と癒しを誘うようですね。
追悼のではありません
驚愕した人々に
無常感が襲ってこの詩がよみがえったのだと思います
追悼のとき読まれたのは
「千の風になって」でした
私のいとこの死の後の法事で
ご主人は癒された詩集と
「千の風になって」の詩集を参会者に配ったということがありました
このごろ詩の魅力に惹かれます
イメージの世界へといざなわれるのですもの
この詩もきっと英語のままのほうが伝わるのでしょうね(イギリスの19世紀初頭の詩です)
私は
人間の傲慢な所業の崩壊の様を
茫漠とした風景に描いて見せたと思い
現代の
荒れ狂う社会も
なんとなく 似たイメージ
そう感じたのです