これ イッソスの戦いで
左にいるのがアレクサンダーで右にいるのがダリウス
でペルシャを占領したアレクサンダーは
ペルシャの絢爛豪華な 調度財宝に 心酔してしまって
ギリシャの伝統を重んじる人々から
アレクサンダーは批判されたけれど
その嗜好は止まなかったそうだ
(と プルータークの英雄伝に書いてあるんだって
読んでないけど)
そうやって すぐれた文化は 支配被支配にかかわらず
高いところから低いほうに流れこんでいく
もちろんギリシャの優れた文化もそうやって東に流れて行ったんだ
で
こんなこと考えていると
スキタイ って どういう人たちだったんだろうって
思いめぐらせちゃうよな
こういうスキタイのものも
作ったのはギリシャの 工人だった
子供の時習ったのでは
スキタイは高い文化を持っていたけれど
形に表すことはできなくて
自分の力では文明を 築けなかったけど
高度な文化を持っていた
って
中身 全然知らない
もう忘れていて いつのどんなところにいたのか
分からなくなっていたけど
騎馬民族って 風のように走り回っていたから
物をこしらえたり 記録を残したりする暇がなかったの?
と思ったけな
ところが
面白いことに出会った
アマゾネスがギリシャと戦争して
捕虜になったとき逃げだしたんだって
これ アマゾン
私が初めて描いた石膏像ってこれだった
このアマゾンがギリシャ兵を皆殺しにして
黒海北岸に漂着して
そこにいた スキタイと戦争になったんだって
ところが
アマゾンが女だから
結局スキタイの若者たちとアマゾンの女戦士たち いい仲になって
その子孫が サウロマタイだって言うんだ!
なんで 興奮したかと言うと
スキタイって どのへんに居たの?と調べたら
今のチェルノブイリのあたり サウロマタイって言うのよね 昔
で
スキタイって あそこら辺にいた騎馬民族は 民族が違おうが
枝分かれしようが
スキタイと呼ばれていた(欧州側から)
匈奴はどうなの?
ちょっと興奮する話でない?
騎馬民族 遊牧民族は日本とは 全く違う文化?
とも思うけれど
神様のところに鹿がいることを意味深に語る人もいる
わくわくするなあ
独り言だから
書きながら構想を練っているの
子供のころから
このあたり
関心がいっぱいあったんだった
スズメ百までだね