テレビが介護のことをやっていたので
グループホームに入れない(身元引受人がいないから)おばさんを見て
その人になったつもりで
辺りを見回してみた
もう
あきらめて
してくださるようにします
と仰るが
団体生活は好きでないし
一人で寝るのは怖い(災害にあった方なのです)
(おばさん 私も団体生活きらい 一人で寝るのは好きだけれど
居場所がなくなったとき 新しいところ心配です)
認知症で
孫を見分けられなくなった人もいた
見知らぬ人
動けないからだ
殺風景なベッドと部屋
そこにいるつもりになった
そうなったらどうやって生き抜けるのだろう
環境や人間関係が変ることを受け入れるのがどれだけ大変か
介護する側になって考えるのは
まだ
こうしようかああしようか考えるからいいが
当事者になったら・・・・・怖い
じっくり想定してみることにする
前の記事の本に
お風呂のことが出ていた
広い埋め込み式のお風呂の危険性
わがおばさんは
温泉にすっかりなれて
もう一年以上自分の家の湯船に浸かってない
広い埋め込み式のお風呂になれてしまっている
それを変えるのはおばさんにとってはストレスフルだろうな
しかし広い洗い場を歩くには支えが要るし
ジェット水流の出るバーデプールは
ときどき
体が浮いてしまって
おっとっと
ということがある。
おぼれかけたお年寄りを救おうとした人も体が浮いてしまって
二人とも溺死したという事故があったらしい
目を離すと危ないなというのはよく分かった
湯船に入るのに危なくないように
シャワーチェアーを
湯船の手すりと同じ高さにして
座ったまま体をひねれば入れる
といくら言っても
シャワーチェアーを
湯船の手すりとくっつけておかないので
困るんだよ
全く!
何回言えばわかるんだよ!
と思ったが
シャワーチェアーの定位置はカランの前
このおばさんの常識が覆らないからなのね
と
この本を読んで分かった
これが慣れているものの考え方
というのはかなり堅固なものなのだわ
でも
プールでの運動が
定着したように
ひょんなことが
新しく定着する
自分が頑固な老人になったとき
自分の満足の行くやり方
回りが安心なやり方をうまく見つけられる老人になりたい
(もしそれまで生きてるなら)
敬老の日だからこんなことを考えた
でもでも、多くの身内に遠い方が、周りにはいらっしゃるでしょう。それぞれの心配、しても仕方ないと思って暮らされていると思っています。
そのプール、浮き輪はダメなのですか。
私の子供たちは子どもがいませんので
心配です
バーデ・プールは
温泉なのでビート板も入れられません
ジェット噴流のところは
手すりをつけるべきですね
でも
ここは健常者が多いので
イザというとき助けてくれる人もいるし
おぼれたりしないと思います
介護施設の大浴場はちょっと考えたほうがいいのかも
ナツさんの声はとても年齢相応ではなく
お若いです
このあいだ聞きにいった方のお声も若かった
ナツさんの踏み台運動は
きっとお声にもいい効果が
と思います
私の肺活量は問題ありです
あ~~~~と声の長さは
劣等生で皆は17秒20秒と続くのに
私の最高は13秒
それで
よかったねえ
と拍手してもらってる
劣等生なの
遠慮深く小声でやると駄目
大声でやったら10秒を超えたのです
不思議
完成読みではないのに載せる
このずうずうしさだけれど
録音だと
ただの練習より
よく自覚できます
またこの読みを更新したら聞いてくださいね
お友達の素敵な「よるくま」
秘密サイトに載せますから
そうしたらアドレス連絡しますね
今そのために
遅々と片づけ中
まだ朗読を聞いてないの、連休明けたら聞かせて頂きます(事務所でね)
頼られ援助できる側にいるのは気持ちが楽です。
これがいつかは逆転するのでしょうね。
逆転する前に、此の世にお別れしたい等と思ってはいるのですが、ままならないのが人生です。
本日は鎌倉まで墓参し、戻った処ですが、私の妹は生を神に委ねることを拒否しました。
潔癖で一面すごい女でした。
私は生きるも死ぬも、何かの力に任せています。色々悩んではいますがね。
老いることは人間として避けられないことですが、日本という国の進む方向が、弱者に対してもう少し優しくなれば、老人も障害者も、或いは失業者も病者も自ら死を選びはしない気も致します。
「敬老の日」などと一日だけ持ちあげ、騒がれるのは不愉快です。
それより365日に係わる、憩いの家などへの温かい配慮が欲しいと思います。
高齢者もですが
わかものが元気に働ける状況ではないことに私は
怒ってます