遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

死ぬ準備

2014-05-10 08:26:25 | ただの記事

これって大変だな

達人をいろいろ見送ったけれど

私だってじきだ

先日栗橋に行ったおばさんに

チャンと介護してもらえているようだし

お話もできる元気もあってよかったね

というと

おばさんは 私もああいう風に面倒見てもらうようになるだろう

じきだからよろしくね

という

たった一人のお姉さんが人生の終焉はそう遠くないわけで

もう どうしょうもないかなあという男の子ばかりで(ってもうお爺さんだけど)

おばさんちゃんと面倒見てもらえるか心配だったが

いざとなりゃ

暮らし自立してなかった男でもやれるもんだな

おばさんは 内心いろいろ思うところあるだろうが

なかなか達観してる

おじさんは死ぬのが怖くて怖くて

一番末の妹(おばさんのこと)にすがって泣いて訴えたのだ

人間は一度は死ぬんだよ お兄ちゃん と言ったそうだ

私の母は50代で脳溢血に倒れたが

その前から腎臓病持ちで病弱だったが

病弱でいるということと 自分の死を見つめたときでは全く様相が違って

娘の立ち入る場所はなかった

自分の生死の問題は私のことだ かまうな!と

心に近寄ることは禁じられた

死を覚悟するって どういうこっちゃ

友人は小さい子供を残して死ぬのがどうしても我慢ならないと言って泣いたし

・・

でも死んじゃった

もう一人の友人は常に死と向き合う病を生きてきて

一人子がまだ子供で お母さん死んじゃあ厭だと言って

ずっと引き留めてきて

辛い苦しい治療に耐えて生き延びてきたけれど

子どもが大学生になったときに その子が

お母さん僕はもう大丈夫だ ゆっくり休んでいいよ

と言ってくれたのよ と言ってじき亡くなった

これらの話は前も書いたような気がする

私の場合 おばさんを先に送らねばならないかもしれないが

100まで大丈夫そうだから 私が先ということは充分あるけど

ま なるようにしかならない

子どものことは心配したらきりがないけど

もうおじさんおばさんだからね 

充分だ

絵のことは 新しくわかることがあって

もっといろいろ知りたいけれど

何時だって時間切れだ

いいわ

生まれ変わったらまた絵を描いて暮らすから

片付かないのは もうあきらめた

どうせみな 環境センターに行けばいいだけの話だ

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