遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

影響のしあい

2010-12-25 06:25:02 | 絵画

友人がカンディンスキー展を見に行って

カンディンスキーが変わっていった陰に

ミュンター(カンディンスキーの恋人)あり

と  見たらしく

? そう見るの?と思い

もう一度 見直した

 

ムルナウというところで

カンディンスキーカップルと

ヤウレンスキーカップルが過ごした日々が

絵の変身のきっかけになってる

そこで 総合が始まった というように

ミュンターは書いている

 

それらを 友人は芸術の影に女ありかという風に思ったようで

男に対して女が影響力を及ぼしたと見たらしい

 

私は ムルナウの時代の三人の絵を見て

ああ 影響し合っても それぞれが別のことを考えるものだなあ

という風に思った

 

Img243 左は コッヘルへの道 というミュンターの撮った写真

右はミュンターの絵   ↓ カンディンスキーのコッヘルへの道という絵

Img244 ↓ ヤウレンスキ―のムルナウの風景

Img245 一緒に絵を描いていると

お互いの絵を見ているけれど

そこから読み取るものは

その人自身だあなあと

その展覧会では 強く感じた

カンディンスキーの絵は その後どんどん音楽的な

交響曲みたいな展開をしていくし

ミュンターは 郷土文化的な香りのある絵に変わっていき

ヤウレンスキ―は その抽象化は人間に進んでいったのかな?

ミュンターはカンディンスキーの絵の教え子で

結局二人は別れて 結婚はしなかった

 

絵描きの女が絵描きの愛人になってどうか

難しいよね

私にはどうしても 女のほうが従属させられるようで

だいたい  面白くない

 

 

フランソワーズ・ジロー(唯一ピカソを捨てた女と言われる人)も

歴史的巨人ともう暮らしたくない

別れたが

絵を描く魂は 呑み込まれたんじゃない?

そりゃあ 巨人すぎる

エビテルヌとモジリアニは?

エビテルヌもが学生だったが

なんだかモジリアニに吸収されて生きてたみたいな気がする

モジリアニが死んでしまったら

後を追ってしまったし

 

女の身として

一番拍手したいのは

フリーダ・カーロだ

それは 自分の主導権をリベラに奪われてない

そういう気がするからだ

なぜだろう?

一度離婚した時も 離婚の提案はリベラからなされ

カーロは離婚したくはなかった

なんとなく リベラはカーロの尊厳を損なわないためには離婚だ

と思ったような気がするのよ

カーロは必要ない 別れなくていいと主張したような

 

現実にはカーロは不自由な体でリベラの庇護が必要な人に見えて

実は カーロは実に自立していた

なにがって 絵を描く魂が

それで 私は尊敬してるんだろうなあ

 

あまり 絵描きたちを男女関係から云々するのは好きではないが

とかく

男は自分の論理が誰にでも通用する

人を支配していい  という空気になりやすい

そういうのは嫌い

 

でも

青騎士の会は そういうことがなく

集まった関係というのが 何とも魅力

 

このカンディンスキーの ムルナウでの4人暮らしも

絵を見れば すごい影響し合っていたのがよくわかるけれど

お互いの魂が自由な感じ

これがまたいい  という風に感じる

それに引き替え

キュビズムの研究時代の ブラックとピカソ それと周りの人々

それは強烈な引力が働いた気がする

 

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