この言葉は
勝手に解釈している
世界の根源は神の言葉だ
と言う考え方だ
私なんか
だから
ほれ見ろ神は人間が作ったのではないか
と
そういう風に思う
神と言う場所に追いやることによって
さまざまな事象の源泉にした技だと思うのだ
これは
キリスト教徒や
その他宗教を信じている人には内緒の話だ
芸術もそっくりだ
と
思う
私はいろいろな芸術家が
作品を通して何を表現したのか考えると
様式で考えたって違う
と
いつも思っていたのだけれど
芸術にとって様式は 言葉と似ている
言葉も様式も観念の産物だ
それ自体が力があって 独自に成長して
人間を支配してくる
現代の資本主義経済とかお金とかも似ている
今の原発危機も似ている
人間は
そういう言葉を生み出す種だから
それにがんじがらめになるようにできている
この間の隕石の事件では
改めて
人間 そういう宇宙の物質の衝突や生成の
過程の小さな一粒だと
思い知らされて
私はやっぱり事物から繰り返したどって行きたいと思ったのだ
それで
バルバラの生み出したクレマンが
神が居なければ全て許される
と言った意味がまた少しわかったというわけ
だって
私には 素朴に 人を殺すのは
怖い いやだ と思っているのだもの
まあ 甘ちゃんだからだけれど
だから
ピカソを認めない人たちは
ピカソがリアリストだから駄目だと言うが
私はやっぱりその同じ理由で
ピカソはすごいと思うわけだ
私ベテランなんかじゃないです
退職後やっと好きなお絵描きを遊べる
と喜んでいるところです
と思うと体力が追いつかない
ねえ
しょうがないですね
働いていたころは
仕事や子育てや家事で手いっぱいだったんだから
でも
絵は いい趣味だと
私は思います
キリもなく面白いから ね!