私は深川で生まれて赤ちゃんでしたが
父が戦死して
父の恩師が高田馬場にいて
3月10日東京大空襲のちょっと前に
こっちにおいで そばにおいでと呼んでくださって
東京大空襲を逃れました
高田馬場では母と二人間借り生活でしたが
空襲が激しくなる一方で
上の先生がもう一緒に暮らそうと言ってくださって
間借りをやめて
先生の家に居候
そしたら その間借りしてたところは空襲で焼けちゃいました
終戦後私を抱いて母は働いてましたが
二人家族なので食べ物をくれる人も少しでいいので
(それに私がかわいい赤ちゃん)いろいろもらえて
飢えたことはなかったそうです
武蔵なんかは 田舎に疎開したら
これまた父親が亡くなって(ちょっと陰謀っぽい話もあるのだ)
疎開というより居候生活のようになって
子供も5人もいたので
武蔵の母はとても苦労したの
武蔵も 飢えた話を良くします
栄養が足りなくて要注意という通信簿の記録もあって
その時の体重が
その記録を見たとき小学校1年生の息子の体重より少なかったので
思わず泣いちゃいました
ともかく アのあほは 庶民の痛み苦しみなんか
目にも入らず ぼくちゃん一番偉いの!意識だけ
あいつは 失格です!