筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

秦の直道とは・・・西海道研究会から

2009-10-23 15:05:18 | 日記

秦の直道とは・・・

秦の直道とは、北方の匈奴対策のために始皇帝が蒙恬に命じて築造

させた軍用道で、子午嶺という標高1,600~1,800m程の尾根線上を

通過する。首都咸陽北西の雲陽林光宮[漢甘泉宮](陝西省咸陽市

淳化県梁武帝村)から九原郡(内蒙古自治区包頭市九原区)まで延

びており、いわば国家プロジェクトとでもいうべきもので、司馬遷

は「三十五年、除道、道九原抵雲陽、塹山堙谷、直通之。」

(『史記』秦始皇本紀)、「始皇欲游天下、道九原、直抵甘泉、迺

使蒙恬通道、自九原抵甘泉、塹山堙谷、千八百里。道未就」(『史

記』蒙恬列伝)と記しており全長750 ㎞に及ぶともいわれる秦の直

道が完成したとされる。いわば日本の古代官道の源流ともいうべき

ものである。(西海道古代官衙研究会 平成21(2009)年10 月25 日小鹿野氏資

料より)

 日本では道路文化研究所を主宰する武部健一が1995年の『道路』4、5号に「道

を訪ねて一中国歴史紀行一馳道と直道 」と題した研究論文を発表するなどの活動

があり、2001年の『地学雑誌』に木下良が「古代日本の計画道路―世界の古代道路

とも比較して―」の中で取り上げている。

(http://www.geog.or.jp/journal/back/pdf110-1/115-120.pdf)

 この度、陜西省富県坡根底区間で行われた発掘調査でこの秦の直

道が見つかったとされている。そこでは直道の路面が50mにわたっ

て確認されいるらしい。

表面には三つの時代の9~10本のわだちが残され、わだちの間の

梁の部分は繰り返し版築されていた。土は黒く、固く締まっていた

。路面の多くの地点に秦漢時代の縄文が入った筒瓦や板瓦が埋め込

まれていたことで、路面からは前漢末年の「大泉五十」も銅銭が見

つかり、道路の絶対年代に信頼できる根拠を提供した。また道の北

側は5mの高さの版築で築いた保護用の擁壁も発掘されている。路面

は秦代に建設され、漢代まで維持されていた可能性が高いという。

(http://www.china-news.co.jp/culture/2009/04/cul09050203.htm

http://blogs.yahoo.co.jp/daikanyama3461/54151652.htmlより)

 平成21年度の西海道古代官衙研究会において筑紫野市古代道研究

会より公表されるDVD番組はその陝西省考古研究院がおこなった直

動の発掘現場を視察し、調査担当者と意見交換会をおこなった様子

が納られている。裏話として、先日のNHK BS2の「古代日本のハイ

ウエー~1300年前の“列島改造”~」では、この中国での取材

がおこなわれながら、残念なことに放映されなかったらしい。古代

道路ファンには必見のDVDとなろう。

平成21年度の西海道古代官衙研究会
日時;平成21年10月25日 日曜日 13:00~
場所;福岡市埋蔵文化財センター
  (福岡県福岡市博多区井相田2丁目1−94)

1「中国古代道紀行 秦直道をたずねて-陝西省編-」筑紫野市古代

道研究会(DVD上映)

2「筑紫条坊と前期大宰府の検討」福岡市教育委員会 吉留秀敏氏

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。