筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

宝満山の博多牡丹

2018-04-20 21:57:59 | 日記

博多牡丹は戦国期から江戸期にかけての博多在住の花奔園芸の好事家が
お互いの切磋により作り出した複数の品種の総称で、
椿屋遊園(木陳居士・山村新八)元禄四(1691)年著の「紫陽三月記」には144種の記載があります。
往事は実生から栽培し一つの品種に50年以上の時間をかけており、
江戸初期にこれだけの栽培者と品種があったことは、花奔園芸の歴史の中でも特筆されることのようです。
アジアに開かれた貿易都市を象徴する文化事象といえます。
遊園は福岡城の庭園管理もしていた伝承があり、城内のものもいわゆる
「博多牡丹」であったと考えられます。

福岡城から下し渡された牡丹がつくり継がれて宝満山の麓の個人宅にあります。

今年はいつに増して開花が早く、
今日の時点ではすでに盛りをやや過ぎていました。


今年は積雪や遅霜の影響か葉も花も至って小ぶりです。


今年も無事に開花している姿を見ることができました。

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