筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

博多人形師 中ノ子富基子 氏の訃報

2012-02-23 20:18:58 | 人形
博多人形師の中ノ子富基子様が2月23日にご逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

通夜;2月24日金曜日 19:00
葬儀;2月25日土曜日 11:00
場所;フューネラルハウス彩苑 笹丘斎場(福岡市中央区小笹1-36-5)電話092-752-4440
喪主;中ノ子金喜様(ご主人)

中ノ子 富基子 (雅号: 中ノ子 富貴子)(83歳)
従事年: 昭和20年より人形制作の仕事に従事

国の伝統工芸士認定年度: 昭和51年度
得意な技法: 原型 型取 彩色
主な製品: 能人形 縁起物 美人物 男物 童物

受賞歴:
福岡展昭和37年 県知事賞 山姥
東京展昭和38年 中小企業庁長官賞 筍
東京展昭和41年 通商産業大臣賞 蘭陵王
東京展昭和42年 通商産業大臣賞 杜若
東京展昭和44年 通商産業大臣賞 鶴亀
東京展昭和49年 通商産業大臣賞 古きを尋ねて
東京展昭和52年 福岡通商産業局長賞 春庭花
福岡県昭和57年 福岡伝統的工芸品 井筒
(HP「日本の伝統工芸士」より抜粋)

平成11年(1999年)秋 黄綬褒章受賞

 約4百年の歴史を持つ博多人形作家の家に育ち、幼少の頃より、福岡県無形文化財である叔母の中ノ子タミ氏から博多人形の製作技術及び伝統技能の指導を受ける。その後、中ノ子人形の伝承者として認められ、タミ氏の養女となり黒田藩官業製陶所に発する中ノ子家に伝わる人形の技能、技法を忠実に伝承、研鑽し、昭和37年中ノ子富基子博多人形工房を設立自営し今日に至っている。

 通産大臣賞や中小企業庁長官賞等数々の賞を受賞しており、昭和51年には伝統工芸士の認定を受けるなど、人形業界の代表的な技能者として尊敬されている。
なお、平成8年に卓越した技能者として労働大臣表彰を受賞している。
(労働省労働大臣官房秘書課HPより)



窯詰め作業中の中ノ子氏(2000年2月、ご主人と)


「鶴亀」


はかた伝統工芸館の「お多福」(色焼き込み)


中ノ子型の内裏雛3

2012-02-21 22:29:24 | 人形


以前もご紹介しましたが中ノ子型の佐賀弓野の内裏雛です。
諸岡龍八工房の作と思われます。


中ノ子勝美作との大きな違いは原型に省略された個所があること。


型が扁平化している点が指摘されます。


土も白色味があり密度が高くやや重いようです。
今宿人形の大橋家にあった中ノ子型の内裏雛は
西公園の石田が型を販売しいたものを購入したものといわれています。
中ノ子は一族分業で人形を生産していましたが、
型を作って同業者に売ることもしていたようです。
売り物の型はそれ用の意匠のものがあったことが考えられます。

中ノ子型の内裏雛2

2012-02-06 23:04:37 | 人形

この中ノ子型の雛人形は背面まで行き届いた彩色が施されています。
弓野の諸岡龍八(故人)の戦前作の雛には背面の彩色がありません。
(2011-03-13 本ブログ記事参照)
この雛の作者である中ノ子勝美氏は、土人形の背面について
製作者の立場からコメントとしたことがあります。

「私は土人形の裏を白地に残した人間の知恵に教えられるものがあるように感じています。昔の人が虎を作るために足跡を粘土にとって参考としたり人形の裏面を線刻によって表現するなど、見えないところにも心がとどいています。人形を彩色するのに、裏まで彩色することは簡単なことです。
 各地の土人形が、すべていろいろの由来をのべているのに、どの人形も期せずして裏を白地に残していること、この白地の裏面は大切なものではないかと思います。
 茶碗に釉薬のかからない高台脇が残されています。土人形の土味を、胡粉の白で化粧し裏面に残したと考えたいものです。
 古博多の小型の中には、裏の彩色を必要とするものもありますが、この彩色を好まれない人が多く(裏は白地ときめて)現在では白地に残して製作しています。私はもっと自然の姿で人形をうけとめてほしいと思います。」(『竹とんぼ』第89号1968年「人形の裏面」より)

さすれば、この内裏雛の背面は中ノ子氏にとっては深い想いのある彩色なのであろう。
弓野の諸岡氏作の内裏雛と比較した場合、彫りが異なっていることに気づく。
弓野は衣文の重なりは線で表現され男雛の後ろの垂れはない。
これは中ノ子氏のいう「人形の裏面を線刻によって表現」されたもので、
中ノ子氏の男雛は「裏の彩色を必要とするもの」と表現された原型であろう。


中ノ子型の内裏雛

2012-02-05 14:40:50 | 人形

中ノ子勝美氏が復興した古型博多の内裏雛。
原型は中ノ子吉三郎の明治期の作。
このタイプのものは九州地方の土人形の産地に伝播し、
津屋崎、今宿、弓野、古賀、天草、帖佐などに遺作がある。
古賀では男雛が独立して菅原道真公になっている例がある。
塑峰の銘があり昭和50年代頃、中ノ子氏50代前半頃の作か。
面の胡粉は厚く丁寧で面相は端正で狂いが無く、
柄が細密で土人形の域を超えた気品のある作となっている。

雪の都府楼跡

2012-02-02 22:35:30 | 日記

今日は早暁から降雪し太宰府もうっすらと積雪。
早朝は大宰府政庁跡でも地吹雪の様相に・・・
冬らしい景観をひさびさに見ることが出来ました。


11時頃からお天気は一転。
冬の寒い好天に雪化粧の礎石が映えます。