筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

2013博多祇園山笠02

2013-07-14 05:43:24 | 人形

中洲新川端の飾り山の見送りです。
長谷川法世原作の「博多っ子純情」が採用されています。
ヤマには表と見送りが表裏でセットとなり
表は軍記や記紀などから取材したお堅い内容が選ばれ、
見送りは今昔物語からマンガまで幅広く子どもにも好かれる
やわものを扱うことが多いようです。豪軟でセットという形です。

ここでは表のテーマは黒田長政、如水親子の内容となっています。

博多祇園山笠の功労山

2013-07-11 19:53:19 | 山笠

今日で博多の山笠行事は、町内が動く行事としては折り返し地点。
大黒流では当番町17時舁き出しで「他流れ」がおこなわれました。
「他流れ」とは、字のごとく他の流れのある町内にヤマを入れることで、
明日の「追い山馴らし」を前にして、そのコースの要所を
直線で駆け抜ける動線で構成されています。
15日早朝の「追い山」に向かっての実質的なプロローグでもあります。
「他流れ」は流れによっては行わないところもあります。
寝るか寝ずのままに参加した「朝山」直後の行事でもあり、
参加者の体力が最もシビアになるのがこの行事でしょう。

本年はそのヤマの後に、「追善山」と「功労山」がおこなわれました。
「追善山」は流れを構成する町(大黒流は12ヵ町)の代表者である
取締や町総代を経験した物故者に対してヤマをその自宅か
その近所に設置された祭壇に持って行き、追善供養するもので、
「功労山」は流れ全体でこの1年間に亡くなった赤手拭を経験したものを
当番町が準備した祭壇にヤマを舁きいれて菩提を弔う行事です。


今年は同じ町内で同級生(ヤマでは先輩)の功労山がありました。
赤手拭経験者で物故者が1名であったことから追善に近い形でおこなわれました。

ヤマを舁きいれたら町総代が口上を述べて、皆に促して「手一本」を入れます。
顔見知りが焼香し、町総代は舁き棒に乗ったまま焼香します。
時に寡黙で、時に神経質で人懐っこく、面倒見のとても良い、
かといって辛口な大事なヤマの先輩でした。
よもや同級生の功労山に立ち会うことになるとは思いもしませんでした。
ご冥福をお祈りします。


2013博多祇園山笠01

2013-07-07 23:47:21 | 山笠

七番ヤマ 千代流 表「武魁神剣誉」 人形師 川崎修一


明治時代のヤマを彷彿とさせる重厚感のある作りです。
龍は圧巻!
古式のヤマの造りを意識して継承しているのは川崎氏、
といってもよいでしょう。そういう出来と言えます。