筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

基地返還50年_白木原ベース通りの建築7

2022-09-12 21:50:07 | 戦後史

ウェスリー商会(紳士服)とパパサン理髪店

ニューヨーク・フラワーショップの道を挟んで基地寄りの西隣にあった店舗
平入り2階建ての和式建築の1階を2店舗で分けていた。
テーラーもバーバーもほぼガラス面で構成された店先だった。
ウェスリー商会の看板には
The Wesley Co,Ltd.
hongukong japan
Itazuke Annex Branch
とあり、中国系の服の仕立て屋だったことがわかる。
昭和50年代(1979年)にはテーラー古賀となっていたが看板はウェスリーのままだった。
西隣のパパサン理髪店の看板には
Pap-San Barber Shop
とあり、昭和50年代(1979年)も理髪店として営業していた(1983年で廃業か)。
1962年善隣地図典拠の一部資料には「PAO-SANパブ」とあるが、パブだったのかは不明。

基地の兵士の数は朝鮮戦争のあった1950年過ぎをピークに
ベトナム戦争が激化する1960年代には減少した。
それに従って通りも多くの店舗が廃業したり入れ替わったりした。
インド系や中国系の商売人は機を看るに敏で、看板だけ残して次の土地に移るものが多かったという。

たしか1979年にはパパサン理髪店の道を挟んだ北側の角の空き店舗が改装され
大流行したインベーダー・ゲームのテーブルを並べた陰気な店となったが
1年ももたずにそれも廃業した。
ベース通りの移ろいを建物からトレースしてみた(了)。

基地返還50年_白木原ベース通りの建築6

2022-09-11 22:25:31 | 戦後史

ニューヨーク フラワーショップ New York Flower Shop

今の白木原陸橋の南、AIU保険局の向いの角にあった花屋。
平入り二階建ての日本家屋で、通り側は木枠にガラスが一面にはめられていた。
角屋のため店名はモルタルの壁面に白ペンキの下地塗りをし、
2面に店名がペイントされていた。
基地返還後の昭和50年代には高鍋菓子店になっていた。

「白木原バーガー」と「春日ベースバーガー」

2022-09-10 16:43:21 | グルメ

2022.9.10 西鉄春日原駅前のバガーを売るキッチンカー



復刻された「白木原バーガー」と「春日ベースバーガー」
左の「白木原バーガー」はホワイトチーズ
右の「春日ベースバーガー」はチェダーチーズ
しっかり系のバンズ+レタス+マヨネーズ+輪切りトマト+輪切りオニオン+ピクルス+チーズ+チョップドミート
お値段900円(税込)也。


配られたチラシから、復刻の仕掛け人は春日ベース・ハウスの会さんでした。
Good job!

基地返還50年_白木原ベース通りの建築5

2022-09-07 21:58:45 | 戦後史

白木原バーガーショップ、白木原ビアホール
(白木原バーガー・レストラン)

白木原ベース通りの中央付近にあったとされるが、
正確な位置は忘れ去られた伝説のレストラン。
知られる限り残された写真は2カット。1955年頃には存在した。
切り妻の2階建ての日本家屋の1階がレストランに改装され
隣接するビアホールはいかにもレストランから増設したような
箱なりの構造の平屋。レストランの外壁は緑紺色、窓とドアの枠はアイボリーホワイト。
ビアホールは水色でいかにもアメリカン。
名物のバーガーは地元民にも愛され、記憶の味を復活させる動きがあるらしい。

https://www.kasugabaru.net/%E6%98%A5%E6%97%A5balloon%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF/
春日バルーンフェスタ(2022.9.10 SAT)
春日ベース・ハウスの会 /春日ベースバーガー(キッチンカー販売 於西鉄春日原駅西口)

http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s001/20220715210303.html
大野城市HP 西鉄大牟田線高架事業完成を記念したイベントの概要
「まどかマルシェ (2022.9.10 SAT)
西鉄天神大牟田線の下大利駅前、白木原駅前、春日原駅前通りと大野城市役所まどか広場の4箇所でマルシェを行います。その他にも、廃線ウォーク、いろんな車大集合展、大野城心のふるさと館でのイベントなどを実施します。商品総額50万円分相当の賞品があたるスタンプラリーも実施しますので、ぜひ全ての会場をお楽しみください。」



基地返還50年_白木原ベース通りの建築4

2022-09-06 22:07:37 | 戦後史

ジャック(刺繍店)とプレイメイト(パブ)

白木原ベース通りにはバーバーやテラーをはじめとして
同業の複数の店舗があったのが一つの特徴だろう。
ネーム屋もその一つで、ジャックは昭和55年までは通りに遺って
スポーツ関係や制服のネームを商売としていた。妻入り式2階建ての住居兼店舗。
現在、春日市一ノ谷にある五島ネームなどもこのベース通りでの商売の名残と聞く。

西隣のプレイメイトはパブ。飲み屋の客は店で黒人と白人がはっきり分かれていたという。
妻入り2階建てで箱型の店舗で、通り側の2層目には猫耳形の装飾壁が造り付けられていた。
個の2軒の位置は、通りの南西側でジェイムズ・ホングテイラーの数軒西隣の位置にあった。