みみのお座敷 続編

芸術関連中心に新たに続編を作りました。
出没地=後楽園、高崎、西日暮里

譲るが勝ちだった日

2020-09-16 00:00:16 | 音楽
1988年年末くらいの出来事から。

昭和終盤のクリスマス前、我が合唱部の3月の舞台の曲目決めを行いました。
4曲=さようなら(斉藤由貴)、なごり雪、きみの朝、人は…(学校教師作)。
ピアノは私とH美が担当したから2曲ずつ分ける形。

さようなら♪はH美が選んだこともあり、必然的に彼女が弾くことに、同時に決まった、なごり雪は自動的に私。これは問題なし。
あとから決まった2曲は、互いに弾いてきて決めようという感じでした。
流行りの歌に詳しいH美のことだから、きっときみの朝を選ぶだろう、私は合唱曲ぽい、〈人は〉になるだろうと互いの望み通りに行くと思ったら、

H美「みみちゃん、どちらか決まった? 私、〈人は〉が良い~。」

懇願されるように先に言われてしまいました(・・;)))
私だってこちらが良いのに。私も希望を言ってじゃんけんにしてほしかったが、
待てよ。もし私が勝って希望が通ったら、なんかやりづらい気がする。
H美当人だけじゃなく、周りに何て言われるだろう、きっと意地悪いとか言われないかと先々の心配もあり、最初から身を引いた┐('~`;)┌
それでも悔しくて暫くは快くなかったです。

しかし。年があけて1月も終わりのころ、舞台の合唱部時間配分が、4曲ではきつく、一曲減らすことになったようです。
普段、部には来ない顧問が来て審査。私はその日、歯の治療があり、参加できなかったが、帰ってきてK以に聞いた。何の曲削ったんだろう。

K以「〈人は〉を止めたよ。あの曲は先生が、病気で入院して亡くなった生徒のために作ったものだから、暗いのでやめようって」

へえ!自分で作ったのを止めるなんて意外でした。そして、悔しさが無くなっていく自分がいました。この曲なくなったから、もう羨ましいとかも思わなくて済む(゚ω゚)
なんていうか、自分が担当する曲が没にならなかったこと、H美が一曲だけ弾くところを私は2曲も弾けるということも何となく嬉しかった\(^_^)/
あのとき、じゃんけんして決めようとか言わなくて良かったです!

さらに、年度が変わった4月には、学校で、上級生が、きみの朝を歌うイベントがあり、上級生しか参加できない場所なのだが、(合唱部上級生がピアノ弾ける人がいない)きみの朝を弾くことができました!
最初は敗北感ばかり感じてましたが、我慢して譲ったお陰で得なことが多かったです。
神様有り難う(*^ー^)ノ♪

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