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てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

ブラオイラ#259(街道をゆく⑪松任八ツ矢編)

2018年04月22日 20時45分53秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
旧北国街道をゆくは、
松任(現白山市)に入りました。

さあて、


今日はここからです。


味方の本、かもーん!
はいー!


目の前の国道8号線を越えて行け。

進むぞー!


どんどん!



ちゃんと旧街道は、


ちゃんと残ってるもんです


オイラは、


こういうのに小さな感動をおぼえるんだよね。


県道から外れたこんなちっぽけな小道、
その昔多くの人が往きかった旧北国街道だったということを知ってる方はほとんどおるまいて。


国道に一旦出て、


斜めに横切ります


この辺りはぐねぐね道だったんだね





それにしても今日は暑いですよ~


おや、左手に何かある。


なんだここはいろいろあるぞ、


立派な忠魂碑と


道路元標と(ほとんど見えない


郷小学校跡に


そして・・・・、

順徳天皇御神霊御駐車所跡!?
なんだそりゃ!
建ってから相当経過してるのかよく見えないが、たしかに駐車所跡と刻んである。

なんだ!
なんでこんなものがここにある?

まず順徳天皇であるが、

(ウィキより)
順徳天皇は、鎌倉時代の第84代天皇(在位:1210年12月12日~1221年5月13日、父上皇の討幕計画に参画し、それに備えるため、承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位して上皇の立場に退いた。父上皇以上に鎌倉幕府打倒に積極的で、5月に承久の乱を引き起こしたものの倒幕は失敗に終わった。乱後の7月21日、上皇は都を離れて佐渡へ配流となった。在島21年の後、仁治3年(1242年)9月12日に佐渡で崩御した。

佐渡に配流!?
この旧北国街道を通って佐渡へなのか!

その際に休憩所、輿に乗っているだろうから駐車所と称するのか。

帰ってネットでいろいろ調べるもわからなかった・・・。


進もう。



また国道に合流します。


しばらくは同線上を歩きます。


そして海側環状線道路に出ます。


左を見ると、

コストコがあり、

右を見ると、

北陸新幹線の白山車両基地へとつながる高架線が見えます。

海側環状線道路を越えます。


しばらくして国道から右に逸れる道へ


ちょうどここ。


行きます。


おや!


用水があり、


一里塚橋がある。

この辺りに一里塚があったんです。

クランクの旧街道を進みます。


通りも越えます。


おや、左手に


なんと狭小神社の登場です!


菅原神社です。


幅かなり狭いけど、なかなか趣のある神社でした。


白山駅の近くまできました。


だけど駅には向かわずここで左折します。


ここには面白い石標があって、

停車場往来とあり、大正三年の松任駅開設の際に設けられたそうでして・・・。

進みますね。


またまた通りを越えます。


静かな住宅街を通過してますが、


急に開けた場所が、


ここは江戸時代に設けられた延焼を防ぐための火除け地です。

金沢では広見なんて言い方をしてましたね(例:六斗の広見)

石碑の後ろには火除けの松跡が、


ここにはもう一つ注目なものが、

水準点です。

※水準点・・・水準測量に用いる際に標高の基準となる点のことである。測量法で定められている測量標の一つであり、永久標識に分類される。
要するに三角点は平面の位置、水準点は高さを正確に表す基準個所です。

この近くにいい感じのお寺もあった。


小さなしゃちほこがある


いいね。


今日はこの火除け地跡のここまでにしましょう。


今回はこれだけ進みました。



次回は松任中町編です。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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「順徳天皇御神霊御駐車所跡」について (ナカ)
2019-12-22 13:00:28
初めまして。「順徳天皇御神霊御駐車所跡」についてですが、明治6年10月7日,配流先の佐渡真野村の真輪寺に奉斎されていた順徳天皇の神像を摂津水無瀬宮に合祀することが布告され,佐渡を発して津幡・金沢・松任・小松・大聖寺・金津を通過して水無瀬宮に向かっています。おそらくその際に休憩もしくは宿泊で神像(神霊)を一時的に安置したのがこの石碑のある場所なのだろうと思います。詳細は石川県立図書館所蔵の古書「順徳天皇御神霊御還遷之記」に記されているようです。
返信する
ありがとうです。 (ヒゲ親父)
2019-12-22 18:18:07
な~る~ほ~ど~!
それは納得です。佐渡から大阪へ神像を運んだわけですか~。
教えてくれてありがとうございまする~
返信する

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