千住大橋 伝説、歴史を背負う日本最古のタイドアーチ橋
▼昭和二年竣工 日本最古のタイドアーチ橋▼
千住大橋は、初めて見る事となった。私は、やはりまだまだ橋が単に好きなだけで、知らない事ばかり、未熟なのだと思う。これほどの橋を知らなかったとは。圧倒的な存在感があり風格漂う橋だ。
はじめの千住大橋の橋杭材は伊達政宗が陸中南部地方から水に強くて朽ちにくい高野槇(コウヤマキ)の材木を寄進し、明治期の洪水によって流されるまで使われ続けたという根強い言い伝えがある。当時の古い川柳にも
「伽羅よりもまさる、千住の槇の杭」
と詠まれた。実際、流されてしまった後も住民たちが槇の杭を拾い集め、火鉢にしたり、仏像に加工して守り神として祀るなど、半ば伝説化していた。その後の調査によってこの高野槇の橋杭が千住大橋の橋下に残っていることが確認され、前述の千住小橋の橋上から、その遺構を確認することができる。←こういった伝説もあるすごい橋。この下には千住小橋があったのか‥‥。やはり下調べは大事だなぁ。今度はそれを見よう。今日の夕方の空色は。あれが秋空というのか?紫がかっていたが。
今日はよくネコに会う日だった。こいつ‥‥‥後からよく見ると‥‥すげーカワイイ‥‥。ネコってやっぱりカワイイなぁ。千住大橋には、また訪れよう。
▼昭和二年竣工 日本最古のタイドアーチ橋▼
千住大橋は、初めて見る事となった。私は、やはりまだまだ橋が単に好きなだけで、知らない事ばかり、未熟なのだと思う。これほどの橋を知らなかったとは。圧倒的な存在感があり風格漂う橋だ。
はじめの千住大橋の橋杭材は伊達政宗が陸中南部地方から水に強くて朽ちにくい高野槇(コウヤマキ)の材木を寄進し、明治期の洪水によって流されるまで使われ続けたという根強い言い伝えがある。当時の古い川柳にも
「伽羅よりもまさる、千住の槇の杭」
と詠まれた。実際、流されてしまった後も住民たちが槇の杭を拾い集め、火鉢にしたり、仏像に加工して守り神として祀るなど、半ば伝説化していた。その後の調査によってこの高野槇の橋杭が千住大橋の橋下に残っていることが確認され、前述の千住小橋の橋上から、その遺構を確認することができる。←こういった伝説もあるすごい橋。この下には千住小橋があったのか‥‥。やはり下調べは大事だなぁ。今度はそれを見よう。今日の夕方の空色は。あれが秋空というのか?紫がかっていたが。
今日はよくネコに会う日だった。こいつ‥‥‥後からよく見ると‥‥すげーカワイイ‥‥。ネコってやっぱりカワイイなぁ。千住大橋には、また訪れよう。