思いのままに

今 感じたこと。

心の糧

2006-04-10 | 思いのままに


義父の病院へ週に4~5回通う中 最近になってよく思うことです。
それは 昔の話。20年以上前のこと

私は バイクに乗ってて 松山に来て1週間という方の車にはねられ 大腿部複雑骨折。
顔は腫れ上がり 両親が見ても それは 私とは違った人。
最初は 完治3ヶ月の事故。
結局 途中 身体障害者手帳を交付されたり 5回の7時間、8時間の手術を繰り返し
結局 私は 3年間、ベッドの上でした。

そんな中にあって 私のベッドには 周りの人から うらやまれるような(疎ましくおもわれるような ?笑) 賑やかな空間がありました。
それは 家族全員0型特有のおおらかさ。馬鹿笑いのできる 家族たち。
そして 友達。
その中の 一人の友人が 仕事が終わって 毎日1年半、ほんとに毎日 電車に乗って 私の元へ通ってくれました。
彼女の使える時間は 仕事と私の病院へ通うことだったように いつ思い出してもおもいます。
もらった 給料は ほとんど 私のために 使ってた?
母が作ってきてくれた 寿司や たくさんの料理を 大部屋の方々といっしょに
食した思い出も たくさんあります。
彼女の作ってきてくれた 料理やおかしを 一緒に食べたり 近所の出前のおうどんを とって食べたり・・・
ベッドの上に机をおいて その上で コタツにはいってるかのように 一緒に おしゃべりに花をさかせたり・・・

彼女は なんで あんなに毎日毎日通ってくれたんだろ。。。
彼女の仕事の苦しくってたまんないことは 私に話さずして。。。
その苦しかった思い出を 私は 昨年はじめて聞いたりして。。。

友人とは言え ほとんど毎日1年半。後の1年半が 週に何度かづつ。。。
私が 親にさえできないことを 彼女は 友人の私にしてくれてました。

あの時間があったから 私は 頑張れたんだろう。
車椅子なら 誰にも負けないくらい 早業で動かせていた私だったけど
杖を おもうように 操っていた私だけど。。。
心の辛さに負けないで いられたのは 
やはり 家族であり 彼女であり たくさんの友達。

奇跡としかいいようがありませんと言われた 最後の骨移植大手術。
できないと言われた 正座も できるようになりました。
レントゲンを浴び続けた体だったけど 五体満足の可愛い可愛い2人の子供にも恵まれました。

私に奇跡をくれたのは たくさんの大切な人の心。

人の心をいただくため 両親の深い愛情を知るため 私に3年の月日が必要だったのでしょう。
今になって また あらためて おもいます。
ありがとね
ほんとに ありがとね
感謝しても 感謝しても たりません。
いつも馬鹿言ってますが 今日は真面目に・・・
たくさんの 心を ありがとう。りんご。

最新の画像もっと見る

7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
やさしさ (GK)
2006-04-11 00:42:45
 3年…、長いです。凄いなあ。



 父の入院期間、辛い日々でした。父とはずっとずっと折り合いが悪くて、ずっとずっとまともな会話がない仲でした。入院中はほぼ毎日いっていて、子供の頃のように普通に話すようになりました。

 父に対してはいくつもの後悔があるのですが、逝く10日ほど前に「オニイと何でも話せるようになったから、今が一番、幸せだ」と言ってくれました。この言葉が後悔と納得を繰り返させることになるのですが…。

 父のことがあってから、変わった自分を実感します。たぶん少しだけですが。

 私自身の入院は盲腸の1週間だけです、幸いにも。



 こういった話の中でのトップ画像。ゆみさんのやさしさと心くばりを感じます。

返信する
すばらしい家族・友達 (BALTAN(バルタン))
2006-04-11 07:00:53
事故は苦しかったですけど、よい家庭環境・よい友達に恵まれて力強い味方でしたよね。



私も何回、友達に助けられたでしょう?

本当に、辛いときの助けほど感激でしょうね。
返信する
Unknown (卯月)
2006-04-11 20:27:34
3年間、ゆみさんも頑張ったんですね。

周りの人達もそうだけど、ゆみさん自身がそんな大変な中にありながら、いつも笑顔と明るさを絶やさなかったんでしょうね。

そのパワーが、奇跡を呼んだのでしょうか。



どんな試練も、決して無意味ではないんですね。



私もSLEになって入院していた時、母が毎日、バスと電車を乗り継いで来てくれた事を思い出しました。
返信する
泣いてます (りんご)
2006-04-11 23:43:15
あらっ おしゃれになってると思って読み進めるうちに。。。



鍋焼きうどん 思い出したよ。

いろんな話したね、聞いてもらうほうが多かった。

ゆみちゃんは ベッドの上でいつも笑顔でした。

卑屈になったりすることなく 心がいつも

元気でした。

人の喜びを 我事の様に喜んでくれました。



器の大きな人です、あなたは。

いろんなこと思い出して、泣いてます。

こちらのほうこそ ありがとう 。
返信する
Unknown (ゆみ)
2006-04-12 20:51:33
>GKさん

後悔だけでなく 納得と言う言葉に なんだか胸なでおろす気分でした。

親を見送って 後悔のない人は いないでしょう。もっと あれもこれもしてあげればよかった。ついつい そんな思いがあふれ出すんじゃないでしょうか。

最期の大事な時に お父さんとそういった言葉をかわせたこと 本当によかった。お母さんもその様子を見て 何より嬉しかったでしょう。



>バルタンさん

楽しかったり嬉しかったりする時には わからないことが 見えてくるものなのでしょうね。



>卯月さん

私は 人に助けられて生きてく人間なんだろうなと いつも思います。

その一番が 両親です。親が子をおもう気持ちというものは 計り知れないものがあります。

私も 両親が大好きで 尊敬もしてたのに このときはじめて知った気がしました。私が辛い時には 私以上に涙してる。私が嬉しいときには 私と同じ思いで喜んでくれてる、と。。。



>りんご

あの頃 いつもありがたいと思ってはいたけど きっと 今ほどの思いはなかったかもしれない。

時が流れ 自分が少し成長する度に りんごのしてくれたことが どれだけ 大変なことだったか ありがたいことだったか 友達の域を超えてたか。。。

その思いを なんも返すことが出来ない自分に 腹立たしかったりするけれど ただ これからも ずっと友達でいてほしい。
返信する
Unknown (ヴィオラ@viola)
2006-04-13 21:40:18
私は父を看取りました。とうより、転勤族の悲しさ、はるか南の町にいて、後3ヶ月の余命と宣告された父のもとへは、ほとんど顔見せることは出来ませんでした。

きっと、よくなるよ。という期待に甘えていたのです。

母と弟が見た父の辛さは、言葉ではたとえようの無いものだったようです。

それでも、母は父を看取った後は(父には)やれることをしてあげたからと、生々としていました。

なにも出来なかった私のほうが、自分に腹立たしくしばらく落ち込んでいました。



家族が辛いときって、できる限り皆で寄り添うことが大切と悟りました。



ですから、ゆみさんのご家族は素敵です。

そんなご家族の中で過ごされてきたゆみさんは幸せです。ゆみさんの持つ幸せを今度は子供たちにお仲間にお裾わけしてくださいね。





返信する
ヴィオラさん (ゆみ)
2006-04-14 23:21:29
その場、その時の状態に応じて 人はさまざまな感じ方や 生き方をしていくものなのですね。

でも いきつくところは 同じ。

辛さも喜びも 分かち合うことのできる人がいることの幸せを 誰しも感じとりながら 生きていくということ。。。



遠くにいて 行きたくても行くことのできない 辛さや寂しさは たまらなかったことでしょう。

返信する