徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

福島原発事故(当時)を振り返って、今・これからを考える

2014-09-17 19:17:00 | 政治・社会問題
東北の震災、福島第一原発事故から、3年半すぎて・・以前は、政治・社会問題にも疎く、どちらかといえば興味すら薄かった私だが、
あの震災以降、なにか、考えが変わる・・というより、否応なしに、知るようになり、考えるように、ややなったという気がする。
インターネット上の情報も多彩に取り込むことができる、・・そして 知ってしまったような気がする
政治と、経済と、原発、軍事、憲法改正問題、・・別々の分野にそれぞれ属していると思われた諸々の事が、実は、根っこで繋がっている、と。
このままでは、よくない、と。これから、がもっとあぶない、って。

(以下は、自分がFACEBOOKに投稿済で、こちらにも書きうつしておく、だからこれらのことについて考えていることの、まとめというかすべてではなく、メモの一切れだ。)

(9/16 投稿1)

福島原発事故当時・菅元首相 著書「東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと」・・当時の首相官邸、東電本社・現場、原子力保安院、警察・自衛隊、・・etc.の動きが時系列に、記されている。

その中でも、最も衝撃的な記述。・・
官邸が作っていた、『最悪のシナリオ』。・・福島原発から半径250km、東京、首都圏を含む地域、5000万人の、強制避難。実質的な、日本沈没。・・

”原発の重大事故は起きない。その前提に立って日本の社会はできていた。原発を54基も作ったのもその前提があったからだ。法律も制度も、政治も経済も、あるいは文化すら、原発事故は起きないという前提で動いていた。何も備えがなかったと言っていい。だから、現実に事故が起きた際に対応できなかった。政治家も電力会社も監督官庁も「想定していなかった」というのは、ある意味では事実なのだ。”(P28~29)

最悪のシナリオを、脳裏に描いて幾日を過ごした、当時の首相、菅直人氏。彼が原発反対を叫ぶとき、その信ぴょう性には、1%の疑いもない。





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(9/16 投稿2)

「吉田調書」(政府や誰やになんと言われようと、朝日新聞は(インターネットでは朝日デジタルに)5/20から、この文書をスクープして掲載した。)と、この菅直人の本などを読みあわせて、・・3/11以降の、”福島第一原発”事故の、時系列を読むのだが、何号機が先にどうなって、次にどうなって、というのが覚えきれない。・・が、

3/15。2号機は、・・何もせずして、急に圧力が下がった。・・それは、意図的でなく、”どこかに穴が空いて”(つまり原子炉が、勝手に壊れて)、格納容器の大爆発を免れた。 また、4号機の、使用済核燃料プールに、なぜか”水が入っていた”。・・それは、3/11の事故前、たまたま、点検作業がはかどらず、本来なら抜いてしまっているはずの水が原子炉にたまっていたままで、この水が”何らかの理由でプールに流れ込んだもの”とされている。たまたま・・・

菅直人は記している。「私は、この事故で日本壊滅の事態にならずにすんだのは、いくつかの幸運が重なった結果だと考えている。...つまり、私たちは幸運にも助かったのだ。幸運だったという以外に、総括のしようがない。そしてその幸運が今後もあるとはとても思えないのだ。」

「もし幸運にも助かったから原発は今後も大丈夫だと考える人がいたら、元寇の時に神風が吹いて助かったから太平洋戦争も負けないと考えていた軍部の一部と同じだ。カミカゼを信じることはできない。」

原発を推進する政治家・他の立場の人は、ほんとうに、日本が福島の事故では、寸でのところで「日本という国が壊滅的な打撃を受けるのをまぬがれた」という事実を、どのように考えているのか。知りたいと思う。